沖縄を救った男『比嘉太郎物語』を音楽で未来へ。サントラCD制作プロジェクト

「沖縄を救った男が、私たちの村にいた。」沖縄戦から80年、通訳兵・比嘉太郎の生き様を描いた村民劇の主題歌『ガジュマルの花』をCD化し、平和への願いを後世へ届けます。

現在の支援総額

733,000

146%

目標金額は500,000円

支援者数

78

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2026/03/01に募集を開始し、 78人の支援により 733,000円の資金を集め、 2026/04/04に募集を終了しました

沖縄を救った男『比嘉太郎物語』を音楽で未来へ。サントラCD制作プロジェクト

現在の支援総額

733,000

146%達成

終了

目標金額500,000

支援者数78

このプロジェクトは、2026/03/01に募集を開始し、 78人の支援により 733,000円の資金を集め、 2026/04/04に募集を終了しました

「沖縄を救った男が、私たちの村にいた。」沖縄戦から80年、通訳兵・比嘉太郎の生き様を描いた村民劇の主題歌『ガジュマルの花』をCD化し、平和への願いを後世へ届けます。

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

まずはじめに、皆様のたくさんのご支援に心より感謝申し上げます。おかげさまで、本プロジェクトは残り19日を残して目標金額を達成することができました!ご支援くださった皆様、そしてこのプロジェクトを応援し広めてくださった皆様、想いを寄せてくださる全ての方へ心より御礼申し上げます。また、支援とともに寄せていただいた温かい応援のお声やコメントの一つひとつが、私たちにとって大きな励みとなっています。本当にありがとうございます。今回のクラウドファンディングは、単に資金を補うことだけが目的ではありません。CDを制作する決意に至るまでの“想い”、そして歴史に埋もれてしまった偉人の存在を、より多くの方々に知っていただきたい。このプロジェクトが平和を創り上げていく上での一助となれれば。そんな想いから始まりました。そしてありがたいことに、クラウドファンディング終了までまだ19日残っています。そこで私たちは――ネクストゴールに挑戦します!目標金額 125万円次の目標は、より多くの方にこのプロジェクトを知っていただくことです。特に、これからの未来を担う子ども達の心を育み、平和をつないでいく為の助力になりたい。そんな想いから、平和教育、情操教育の教材として、役立てて頂くため沖縄県本島内のすべての小中学校(約330校)へCDの寄贈することを目指します。この物語と音楽が、子どもたちや皆様の心に残り、「平和」について考えるきっかけとなることを願っています。皆様からの応援が、未来の平和へとつながっていきます。残りの期間も、このプロジェクトをより多くの方へ届けて行きたいと思っています。引き続き、温かいご支援と応援をどうぞよろしくお願いいたします。


こんにちは!ピアノのユイカです。本日でクラファン目標金額の500000円を達成することができました。本当にありがとうございます。まだお一人お一人に直接お礼を言えてないのですが…!!!残り半月を残してこんなにたくさんのご支援を頂けたことを心から感謝申し上げます(´;Д;`)昨年の舞台をきっかけにした音楽制作がこんなにたくさんの人を巻き込んだ動きになっていくとは思ってもいなかったです。次なる動きに向けて頑張っていきますので引き続き応援よろしくお願いいたします( ;  ; )


皆様こんばんは☪︎* 三線のYUIKAです!3/16(月)QAB琉球朝日放送『CATCHY』(16:15〜) に告知のため出演させていただきます!私の出演は 16:20頃予定 しています。現在挑戦しているクラウドファンディングや、CD制作に込めた想いについてお話しさせていただく予定です。沖縄とハワイをつなぐ物語から生まれた音楽、そして地域の子どもたちと一緒に創り上げている作品について、少しでも多くの方に知っていただけたら嬉しいです。お時間の合う方はぜひご覧ください♪


こんにちは!ピアノのユイカです。先日、私の祖父のいとこにあたり、比嘉太郎さんと同じハワイ移民二世である タケジロウ・ヒガさん について少しご紹介させていただきました。今日は、タケジロウさんのことをもう少し詳しく書いてみようと思います♪前回ご紹介した通り、タケジロウさんはハワイに生まれ、2歳から少年期までを北中城村島袋で過ごしました。1936年にハワイへ戻りますが、1941年の真珠湾攻撃後、ハワイでも日系兵の募集が始まり、日系人への風当たりも強まります。そのような状況の中で葛藤を抱えながらも、タケジロウさんはアメリカ軍への志願を決意しました。沖縄戦では、沖縄育ちで日本語にも堪能であったことから、アメリカ陸軍情報部隊の一員として任務に就きます。捕虜や住民への聞き取りや尋問を通して得られた沖縄の情報を軍へ伝える役割を担いました。こうしてタケジロウさんは、故郷である日本、そして沖縄を敵に回さざるを得ない立場となります。タケジロウさんは、避難している住民たちにうちなーぐちで投降を呼びかけ、多くの県民の命を救いました。また、尋問を命じられた捕虜の中には、小学校時代の恩師や同級生がいたとも伝えられています。なんだか、比嘉太郎さんのエピソードととてもよく似ていますよね。当時、日系兵たちの呼びかけを信じることができず命を落とした住民も多く、沖縄戦で亡くなった民間人は10万人以上とも言われています。しかし、アメリカ陸軍情報部の日系兵の存在がなければ、その犠牲はさらに増えていたとも言われています。日系兵の方々の働きによって救われた命が数多くあったことを思うと、改めてご先祖様たちの歩みに感謝の気持ちが湧いてきます。太郎さんやタケジロウさんをはじめ、多くの日系兵が民間人の救出に大きく貢献しました。しかし、日米両方のアイデンティティを持ちながら、どちらにも完全には属することができず、さらにはゆかりある沖縄を敵に回さざるを得なかった彼らの心情は、想像することさえ難しいものです。舞台、比嘉太郎物語の劇中では、戦後の荒廃した沖縄に、ハワイから物資を送るシーンが描かれていましたが、タケジロウさんも協力していたようです。親戚の方から聞いたお話ですが、豚だけでなく、ヤギも送ったそうです(ヒージャー汁はうちなーんちゅのソウルフードですからね笑)そして沖縄に向かう船の中で、子ヤギが生まれ、行く時よりも増えていたとも言っていました笑タケジロウさんは2017年、94歳でお亡くなりになりました。戦後は何度も沖縄を訪れ、戦争体験を語る授業や平和についての講演を行い、生涯を通して平和を伝える活動を続けられました。実は、私も小さい頃に何度かお会いしているのですが、その記憶がなく……。舞台をきっかけにするまでは深く知ることもなく、今となっては少し恥ずかしく思っています。ちなみに、こちらの写真は沖縄を訪れた際のもので、左が私の祖父、右がタケジロウさんです。さて本日は、比嘉太郎さんと並ぶハワイ移民もう一人の重要な人物、タケジロウ・ヒガさんについてご紹介しました。今後もこのプロジェクトの応援、どうぞよろしくお願いします!


皆さまこんばんは☪︎* 三線のYUIKAです。今日は、このCD制作プロジェクトを一緒に進めている大切な存在、ピアニストの**大城結花さん(ゆいねぇ)**との出会いについてお話しさせてください。ゆいねぇとの出会いは、今振り返ると本当に不思議で、まるで最初から繋がることが決まっていたかのようなご縁でした。きっかけは、2024年11月。私の弟と、ゆいねぇの弟が小・中学校の親友で、2人が一緒にオーストラリアへワーキングホリデーに行くことになり、両家族が空港へお見送りに行った日のことです。その時、ゆいねぇのお母さんが私に話しかけてくださいました。「うちの長女も音楽をやっていて、ピアニストなのよ」その時に見せてもらったアーティスト写真と名前に、私は見覚えがありました。実はゆいねぇは、私のボイストレーナーの先生のライブでバックキーボードを担当していて、そのライブのチラシを制作したのがなんと私だったんです!ww更に私はそのライブを観に行く予定をしており、ゆいねぇのお母さんも行く予定とのこと。その為実際に初めてゆいねぇと顔を合わせたのは、そのボイストレーナーの先生のライブの日。私は客席から舞台にいるゆいねぇを見ていて、ゆいねぇのお母さんが顔繋ぎをして下さいました。しかしその後、LINEで挨拶をする機会はあったものの、特にそれ以上の接点はなく、時間が過ぎていきました。ところが、2ヶ月後。また思いもよらない形で再会することになります。私がレギュラーで演奏させていただいていた「琉球美ら唄」で、一緒に演奏していた方が突然辞めることになり、お店のオーナーさんが「キーボーディストを紹介するね」と言ってくださったのですが…その時に紹介されたのが、まさかのゆいねぇだったんです...!「えっ!?あの時の!?」まさかこんな形で一緒に演奏することになるなんて…と、本当に驚きました。私は、ゆいねぇと出会う前からずっと「女性のキーボーディストと繋がりたい」と願っていました。だから初めてゆいねぇに会った時、「もしかしてこの人かも…?」と直感で思ったのを覚えています。それと同時に、「とても可愛くて魅力的な人だなぁ…」と、少しだけ嫉妬したのもここだけの話です(笑)ww私はその頃、脚本家の方から村民劇『比嘉太郎物語』の音楽担当のお話をいただいたので「これは絶対ゆいねぇと一緒にやりたい!」と思いました。私たちは2人とも北中城村字島袋 出身。しかも、同じ名前の「ユイカ」。さらにルーツを辿ってみると驚いたことに、ゆいねぇの親族には、島袋にルーツを持つハワイ移民二世で太郎さんのように沖縄に多大な貢献をされたタケジロウ・ヒガさんという方がいらっしゃり、私は太郎さんの恩師である喜納昌盛先生の親族であったり...。こうして繋がっていく話を知れば知るほど、「これは偶然なのかな…?」いや、もうここまで来ると、出会うべくして出会ったご縁としか思えませんでした。私たちはユニットとしてバンドを組んでいるわけではなく、元々それぞれソロで活動していた中で出会ったご縁。でも、そのご縁が重なり今回のCD制作プロジェクトを一緒に取り組んでいます。ゆいねぇのピアノの響きは、魂に響く音色を持っています。そして、私が作った曲の意図や想いを、言葉にしなくても汲み取り、その曲にぴったりのアレンジをしてくれる。もちろん、ゆいねぇの作る楽曲も素晴らしい。恥ずかしながら、私はメロディと歌詞を書くことはできても、三線以外の楽器は弾けず、譜面も読めません。だからこそ、この音楽制作はゆいねぇあってのもので、私一人では成し得ませんでした。ゆいねぇがいてくれるからこそ、音楽が形になり、命が宿る。私にとってゆいねぇは、とても心強くて、大切で、大好きなお姉ちゃんのような存在。人と人との出会いは、本当に不思議で尊いものだと感じています。こうして繋がったご縁が、音楽となり、また誰かの心へ届き、笑顔の輪が広がっていったら嬉しいです。これからもゆいねぇと2人で、心を込めてこの作品を育てていきます。


新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!