皆さまこんばんは☪︎* 三線のYUIKAです。今日は、このCD制作プロジェクトを一緒に進めている大切な存在、ピアニストの**大城結花さん(ゆいねぇ)**との出会いについてお話しさせてください。ゆいねぇとの出会いは、今振り返ると本当に不思議で、まるで最初から繋がることが決まっていたかのようなご縁でした。きっかけは、2024年11月。私の弟と、ゆいねぇの弟が小・中学校の親友で、2人が一緒にオーストラリアへワーキングホリデーに行くことになり、両家族が空港へお見送りに行った日のことです。その時、ゆいねぇのお母さんが私に話しかけてくださいました。「うちの長女も音楽をやっていて、ピアニストなのよ」その時に見せてもらったアーティスト写真と名前に、私は見覚えがありました。実はゆいねぇは、私のボイストレーナーの先生のライブでバックキーボードを担当していて、そのライブのチラシを制作したのがなんと私だったんです!ww更に私はそのライブを観に行く予定をしており、ゆいねぇのお母さんも行く予定とのこと。その為実際に初めてゆいねぇと顔を合わせたのは、そのボイストレーナーの先生のライブの日。私は客席から舞台にいるゆいねぇを見ていて、ゆいねぇのお母さんが顔繋ぎをして下さいました。しかしその後、LINEで挨拶をする機会はあったものの、特にそれ以上の接点はなく、時間が過ぎていきました。ところが、2ヶ月後。また思いもよらない形で再会することになります。私がレギュラーで演奏させていただいていた「琉球美ら唄」で、一緒に演奏していた方が突然辞めることになり、お店のオーナーさんが「キーボーディストを紹介するね」と言ってくださったのですが…その時に紹介されたのが、まさかのゆいねぇだったんです...!「えっ!?あの時の!?」まさかこんな形で一緒に演奏することになるなんて…と、本当に驚きました。私は、ゆいねぇと出会う前からずっと「女性のキーボーディストと繋がりたい」と願っていました。だから初めてゆいねぇに会った時、「もしかしてこの人かも…?」と直感で思ったのを覚えています。それと同時に、「とても可愛くて魅力的な人だなぁ…」と、少しだけ嫉妬したのもここだけの話です(笑)ww私はその頃、脚本家の方から村民劇『比嘉太郎物語』の音楽担当のお話をいただいたので「これは絶対ゆいねぇと一緒にやりたい!」と思いました。私たちは2人とも北中城村字島袋 出身。しかも、同じ名前の「ユイカ」。さらにルーツを辿ってみると驚いたことに、ゆいねぇの親族には、島袋にルーツを持つハワイ移民二世で太郎さんのように沖縄に多大な貢献をされたタケジロウ・ヒガさんという方がいらっしゃり、私は太郎さんの恩師である喜納昌盛先生の親族であったり...。こうして繋がっていく話を知れば知るほど、「これは偶然なのかな…?」いや、もうここまで来ると、出会うべくして出会ったご縁としか思えませんでした。私たちはユニットとしてバンドを組んでいるわけではなく、元々それぞれソロで活動していた中で出会ったご縁。でも、そのご縁が重なり今回のCD制作プロジェクトを一緒に取り組んでいます。ゆいねぇのピアノの響きは、魂に響く音色を持っています。そして、私が作った曲の意図や想いを、言葉にしなくても汲み取り、その曲にぴったりのアレンジをしてくれる。もちろん、ゆいねぇの作る楽曲も素晴らしい。恥ずかしながら、私はメロディと歌詞を書くことはできても、三線以外の楽器は弾けず、譜面も読めません。だからこそ、この音楽制作はゆいねぇあってのもので、私一人では成し得ませんでした。ゆいねぇがいてくれるからこそ、音楽が形になり、命が宿る。私にとってゆいねぇは、とても心強くて、大切で、大好きなお姉ちゃんのような存在。人と人との出会いは、本当に不思議で尊いものだと感じています。こうして繋がったご縁が、音楽となり、また誰かの心へ届き、笑顔の輪が広がっていったら嬉しいです。これからもゆいねぇと2人で、心を込めてこの作品を育てていきます。




