
今回のコンサートは、売却することになったグランドピアノに「ありがとう」を伝えるために、学生たちが企画したものでした。
運営を続けていくために、グランドピアノを売却する。
そう決めたときには、それが必要なことだと思っていました。
ピアノがなくても、かのん[奏音]は残せる。
そう考えていました。
もちろん、今でもそれは間違いではないと思います。
でも、今回のコンサートを終えて、その気持ちが揺らぎました。
かのん[奏音]が目指しているのは、子どもたちがそのままでいられる場所です。
何かができるからでもなく、何かを成し遂げるからでもなく、そのままの自分でいていい場所。
そして、自分の中にあるものを、その人なりのやり方で表すことのできる場所。
そのために、音楽の力は大きいのだと思います。
ピアノを弾く。歌う。誰かと音を合わせる。誰かの演奏を聴く。
言葉にしなくても、自分の中にあるものが、音になって表れることがあります。
かのん[奏音]には、本があります。
静かに過ごせる場所があります。
誰かと話をする時間もあります。
どれも大切です。
でも、今回の学生たちの姿や、コンサートの様子を伝える写真を見ながら、あらためて思いました。
かのん[奏音]にとって、音楽はやはり特別なものです。
そして、その中心には、ずっとグランドピアノがありました。
売ると決めたのに
今回のコンサートでは、入場料、募金、協賛金など、たくさんのご支援をいただきました。
この場所とピアノを大切に思ってくださっている方が、思っていたよりずっとたくさんいる。
そのことも知りました。
そして何よりも学生たちが眩しいほどに輝いていました。
そうなると、
何とか、このグランドピアノも残せないだろうか。
そんなことを考えてしまいます。
売ると決めたのに。
残したいと思う。
運営のことを考えれば、手放した方がいい。
これからのことを考えると、残したくなる。
まだ、答えは出ていません。
お別れのコンサートのはずが、答えが出るどころか、かえってわからなくなってきました。
でも、今はそれでいいのかもしれません。
もう少し、このピアノのことを考えてみようと思います。
学生たち、そしてコンサートに来てくださった皆さま。
応援してくださった皆さまのおかげで、もう一度考えることができています。
本当にありがとうございました。
謝辞:
写真撮影は、佐世保西高写真部の学生です。ご提供ありがとうございます。



