
【オランダで語られるティティア・ベルフスマ②】
出島に滞在したティティア・ベルフスマは、まもなく長崎の絵師たちの関心を集める存在となりました。
当時の長崎には、異国の人々や風俗を記録する絵師たちがいました。
出島のオランダ人、唐人屋敷の中国人、珍しい器物や風俗などを描き留めることは、彼らの大切な役割でもありました。
その中で、ティティアほど人々の好奇心を誘った人物はいなかったのかもしれません。
なぜなら、長崎の人々は自由に出島へ入ることができず、自分の目で彼女を見ることができなかったからです。
だからこそ、彼女の肖像には大きな需要が生まれました。川原慶賀や石崎融思をはじめ、多くの日本人画家がティティアを描きました。画家たちは彼女をさまざまな姿で描き、多くの場合、夫ブロムホフ、幼いヨハネス、乳母ペトロネラ、召使マラティらとともに表現しました。
興味深いのは、日本人画家たちがティティア個人を描こうとしただけではなく、彼女を通して「オランダらしさ」そのものを描こうとしていた点です。
たとえば、ティティアがピアノを弾き、夫ブロムホフがパイプをくゆらせ、ペトロネラが幼いヨハネスの世話をし、ジャワ人の召使が飲み物を運ぶ場面があります。
これは単なる家族の肖像ではありません。
当時の日本人にとって未知であった「西洋の暮らし」を、絵画として見える形にしたものだったのでしょう。
一方で、これらの作品には日本絵画らしい特徴も見られます。
背景や室内空間はあまり細かく描かれず、奥行きも強調されません。その結果、見る人の視線は自然と人物へ向かいます。異国の服を着たティティア、乳母、幼子、召使。
それぞれの姿が、当時の日本人にとっていかに珍しく、驚きに満ちたものであったかが伝わってきます。
私は、ここに日本人の「異国を見る眼差し」と同時に、「異国を日本の絵画様式の中で理解しようとする試み」を感じます。また、江戸時代の日本絵画には、背景や室内空間を簡略化し、人物や物語を主役として表現する様式的な特徴があります。しかし、出島やオランダ商館を描いた作品については、それだけでなく、幕府による情報管理のもとで、「描いてよいもの」と「描きすぎてはならないもの」が存在した可能性も考えられます。特にブロムホフ家族図のような作品では、画家が空間を描けなかったのではなく、人物像を中心に据え、背景をあえて抑制したと見ることもできるでしょう。
そのことは、川原慶賀が描いた風俗図や植物図を見れば明らかです。写真は慶賀が描いた日本狼です。慶賀は動植物の細部や衣服の質感、建築や風俗までも驚くほど緻密に描き分ける卓越した描写力を備えていました。その類まれな筆致を知れば、ブロムホフ家族図の背景が簡略なのは、作品の目的や当時の社会的・政治的背景を踏まえた意図的な表現であった可能性をも考えたくなります。
(つづく)



