
【オランダで語られるティティア・ベルフスマ④】
ティティア・ベルフスマを描いた肖像には、いくつか共通する特徴があります。
多くの場合、彼女は左向きに描かれています。また、日傘を持ち、耳飾り、髪飾り、西洋風のドレス、赤い珊瑚の首飾りを身につけています。
これらは、日本人画家たちが考えた「西洋女性らしさ」の象徴だったのでしょう。
一方で、とても興味深いことに、ティティアの目は多くの作品で日本画的なアーモンド形に描かれています。ここで筆者がいう『アーモンド形』とは、日本画によく見られる様式化された人物表現を指していると考えられます。切れ長の両端が細く中央が少しふくらんでいるような目をアーモンド形(almond-shaped eyes)と表現したのでしょう。
つまり、画家たちは西洋女性を写実的にそのまま描いたというよりも、日本の絵画表現の中で「異国」を描こうとしていたのです。幼いヨハネスも、子どもというより小さな大人のように描かれることがあります。ここにも、当時の日本絵画における人物表現の特徴が見て取れます。
ティティアは結局、1817年12月に日本を去ることになります。滞在はわずか三か月ほどでした。しかし、その姿は忘れられることがありませんでした。
川原慶賀や石崎融思らが描いたティティア像は、その後何度も模写され、小さな絵画、磁器、土産物などにも写されていきました。二百年を経た今もなお、ティティアの姿は日本の肖像文化の中に残っています。
今回紹介したオランダの論文は、ティティアを「日本で大きな印象を残した最初の西洋女性」として描いています。
ただ、私自身はブロムホフ家族図を見るとき、ティティアだけでなく、ブロムホフ、乳母ペトロネラ、幼いヨハネス、そしてジャワ人召使マラティを含めた、より大きな物語を感じます。そこに描かれているのは、一人の西洋女性の珍しさだけではありません。
鎖国下の日本が、出島という小さな窓を通して初めて見た「世界」の姿です。
そしてまた、日本人がその異国を、自らの絵画表現の中に取り込み、理解しようとした痕跡でもあります。
11月からハウステンボス美術館で開催される「OTEMAE ブロムホフ 茶道を愛した異邦人」展では、こうした日蘭交流の物語も、ぜひ感じていただければと思っています。



