
「ブロムホフ家族図」と一口に言っても、実は一枚だけではありません。
現在確認されているだけでも複数の作品が存在し、大きく分けると、六人構成、五人構成、四人構成の系統があります。
私が最も重要だと考えているのは、今回クラウドファンディングで修復を目指しているオランダ国立世界文化博物館所蔵の家族図です。
この作品は約200年にわたり、ブロムホフ家の子孫によって大切に受け継がれ、昨年になって初めてオランダ国立世界文化博物館へ寄贈されました。
一方、アムステルダム国立美術館所蔵の家族図(写真)は、ブロムホフの死後に息子ヨハネスが相続し、ヨハネスの死後はファン・デ・ポル家へ受け継がれ、その後、財団を経て、2008年にアムステルダム国立美術館が購入して収蔵されたことが分かっています。
つまり、この二つの作品は、約200年という歳月の中で、まったく異なる道を歩んできたのです。
アムステルダム国立美術館や大英博物館所蔵の作品は、ブロムホフ、ティティア、ヨハネス、乳母ペトロネラ、女性召使マラティ、そして名の分からないジャワ人少年(大英博物館の作品では少年と思われる人物)の六人構成になっています。
私は、この六人構成にはブロムホフ自身の意図があったのではないかと考えています。
単に日本人に見せるための絵ではなく、母国オランダへ持ち帰ることを意識した肖像画だったのではないでしょうか。
18〜19世紀のヨーロッパでは、東インドで成功した人物が、異国の召使や奴隷身分の人物を従えて描かれることは、海外での成功や社会的地位を象徴する表現でもありました。
そう考えると、六人目の少年は、ブロムホフの権威や東インドでの成功を視覚的に示すために描かれた存在だった可能性があります。もしそうであるならば、ブロムホフは、家族の記憶を残すための家族図と、東インドで成功した商館長としての姿を示す家族図という、性格の異なる二つの作品を制作させたことになります。
もちろん、これは現時点では一つの仮説です。
しかし、私がさらに興味深く感じるのは、その後の作品の歩みです。
約200年もの間、ブロムホフ家が子孫へ大切に伝え続け、決して手放すことなく守り抜いてきたのは、今回修復を目指しているオランダ国立世界文化博物館所蔵の家族図でした。
もしブロムホフ自身、あるいはその子孫が、「わが家を代表する一枚」と考えていた作品があったとすれば、それがこの作品だったと考えるのは、ごく自然なことではないでしょうか。
だからこそ、この作品を修復し、約200年ぶりに日本へ里帰りさせることには、単なる修復事業を超えた大きな意味があると私は考えています。



