
(5)川原慶賀研究の現在
川原慶賀に関する研究は、主としてオランダに伝わった膨大な作品群の調査から始まりました。現在のオランダ国立世界文化博物館を中心とするライデンのコレクションには、ブロムホフ、フィッセル、シーボルトらが日本で収集した絵画・工芸品・自然史資料などが数多く所蔵されています。日本では長らく、慶賀はシーボルトの調査を助けた「出島絵師」として知られてきました。しかし、作品の大半が伝わるオランダでは、早くからその驚異的な観察力と記録性が高く評価されてきました。
その評価を象徴する言葉が、オランダ語の 「Fotograaf zonder camera」、すなわち「カメラを持たない写真家」です。1987年、当時のライデン国立民族学博物館は、ケン・フォスとマティ・フォラーによる研究図録を刊行しました。その題名は、『Kawahara Keiga: Fotograaf zonder camera / Photographer without a Camera』でした。これは単なる比喩ではなく、慶賀の画業全体を象徴する評価として、博物館が公式に採用した呼称でした。
さらに2014年から2015年にかけて、日本博物館シーボルトハウスでも 『Kawahara Keiga. Fotograaf zonder camera』 展が開催され、約25年ぶりとなる本格的な慶賀展が実現しました。現在でもオランダ国立世界文化博物館は、この呼称を用いて慶賀を紹介し、出島への出入りを許された画家として、日本人とオランダ人との交流を視覚的に記録した存在として高く評価しています。
一方、日本国内でも研究は着実に進展してきました。神戸市立博物館は《ヘンドリック・ドゥーフ像》《ブロムホフ家族図》《長崎港鳥瞰図》など、長崎洋風画を代表する作品を所蔵しています。また長崎歴史文化博物館にも、出島、唐人屋敷、風俗、祭礼、職人、動植物などを描いた慶賀関係作品が数多く収蔵されています。
さらに永松実、兼重護、原田博二ら長崎の研究者によって、慶賀の生涯や画業、石崎融思との関係、西洋画法の受容などが継続的に研究されてきました。2000年代以降には長崎県の主導により、国内外に散在する慶賀作品の調査が進められ、その成果は『ビジュアル百科事典 川原慶賀の見た江戸時代の日本』として公開されています。このデータベースは、作品の所蔵先、主題、材質、寸法、落款などを横断的に検索できる基礎資料として、現在の慶賀研究に欠かせない存在となっています。
もっとも、データベースに「川原慶賀筆」あるいは「川原慶賀関係作品」と登録されていることが、そのまま慶賀本人の自筆を意味するわけではありません。この点について重要な示唆を与えたのが、野藤妙・宮崎克則による研究です。両氏はフィッセル・コレクションとシーボルト・コレクションに伝わる《人の一生》を比較し、人物の顔貌、描線、衣服、構図、彩色などを詳細に分析しました。その結果、従来一括して「慶賀筆」とされてきた作品群には、慶賀本人だけでなく、複数の門人や工房絵師が関わっていた可能性が指摘されています。
江戸時代には、狩野派や円山四条派をはじめ、多くの画派で工房制作が一般的に行われていました。師匠の落款があっても、そのすべてを師匠自身が描いたとは限りません。慶賀の署名がある作品についても、それが本人の完全な自筆を意味する場合と、慶賀工房の作品であることを示す場合の両方が存在したと考えるのが自然でしょう。
写真は、一瞬の光景を機械によって記録します。しかし慶賀の絵は、対象を観察し、情報を取捨選択し、構図を整え、ときには異なる時間や視点を一つの画面へ統合して描き出しています。その意味で、慶賀の作品は写真以上に「編集された記録」ともいえるでしょう。
したがって、「カメラを持たない写真家」という呼称は、慶賀の絵を写真と同一視するためのものではありません。写真が存在しなかった時代に、卓越した観察眼と描写力によって、日本の風俗・自然・人々の営みを後世へ伝えた記録者としての役割を象徴する表現なのです。
そして今日、慶賀研究は単なる「出島絵師」の研究から、日蘭交流史、工房制作の実態、さらには近世日本における視覚文化や情報伝達のあり方を解明する研究へと発展しつつあります。「カメラを持たない写真家」という評価は、その卓越した描写力を称えるだけでなく、近代以前の日本を世界へ伝えた第一級の記録者としての歴史的意義を示す言葉として理解されるべきでしょう。
※写真は、シーボルトハウスで2014年11月28日~2015年2月22日まで開催された『Kawahara Keiga. Fotograaf zonder camera(川原慶賀 ― カメラを持たない写真家)』 展のポスター



