日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

現在の支援総額

1,395,500

19%

目標金額は7,000,000円

支援者数

44

募集終了まで残り

40

日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

現在の支援総額

1,395,500

19%達成

あと 40

目標金額7,000,000

支援者数44

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

(6)世界が見出した画家・川原慶賀

一枚の絵を修復することは、単に作品を美しくよみがえらせることではありません。その絵を描いた画家の歴史的な位置づけを、もう一度問い直すことでもあります。

ここまで川原慶賀の生涯と画業、そして近年の研究成果をたどってきました。そこから浮かび上がってくるのは、「出島絵師」という従来の枠組みだけでは捉えきれない、一人の国際的な画家の姿です。

 フィッセルは、「われわれは、長崎のただ一人の画家を仲介してしか絵を入手できなかった」と記しています。この「ただ一人の画家」とは川原慶賀のことです。

 この記述からわかるのは、慶賀が単なる出島出入絵師ではなく、オランダ商館員と日本の絵画世界をつなぐ、事実上唯一の仲介者であったということです。彼は商館員から注文を受けて自ら制作するだけでなく、求められた画題を理解し、作品の制作や調達を取りまとめる役割も担っていたのでしょう。数百点に及ぶ膨大な注文量を考えれば、慶賀を中心とした工房、あるいは周辺の絵師を含む制作体制が存在したと考えるのが自然です。

 その結果、十九世紀初頭にヨーロッパへ伝えられた日本の自然や風俗、文化の多くは、慶賀という一人の画家の目と判断を通して形づくられました。慶賀は日本を描いた画家であると同時に、ヨーロッパにおける「日本像」を創出した人物でもあったのです。

 江戸後期の美術が本格的に再評価されるようになったのは、実は現代に入ってからのことです。現在では絶大な人気を誇る伊藤若冲でさえ、美術史家・辻惟雄が1970年に『奇想の系譜』でその独創性を評価するまでは、美術史の中で高い位置づけを与えられていたわけではありません。そして、若冲の名が一般に広く知られるようになったのは、2006年に東京国立博物館を皮切りに京都国立博物館、九州国立博物館を巡回した「プライスコレクション『若冲と江戸絵画』展」が大きな契機となりました。このことは、美術史における評価は決して固定されたものではなく、新たな研究や資料の発見によって書き換えられていくことを示しています。

 川原慶賀もまた、そのような再評価を待つ画家の一人ではないでしょうか。これまで慶賀は「長崎の出島出入絵師」として語られることが多く、その活動も地方的なものとして理解されてきました。また、現存作品の大半がヨーロッパに所蔵されていることもあり、日本国内では十分な研究が行われてきたとは言えません。

 しかし、フィッセルやシーボルトの記録、そして現在ヨーロッパ各地に残る膨大な作品群を総合して考えれば、慶賀は一地方の絵師ではありません。彼は十九世紀初頭、日本とヨーロッパを結ぶ文化交流の最前線に立ち、日本の姿を世界へ発信した国際的な画家でした。

 若冲の再評価が二十一世紀の日本美術史を書き換えたように、川原慶賀の再評価は、日本とヨーロッパの文化交流史、さらには世界美術史の中における日本美術の位置づけそのものを書き換える可能性を秘めていると、私は考えています。

 皆さまのご支援が、川原慶賀再評価への歴史的な第一歩となり、その歩みが、ご支援くださった皆さまのお名前とともに、日本とヨーロッパを結ぶ新たな文化史の一ページに刻まれることを心より願っております。

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