
19世紀初頭のオランダの喫茶文化
ブロムホフが日本へ赴任した19世紀初頭のオランダでは、茶はすでに単なる嗜好品ではなく、生活文化の一部として深く定着していました。その実態をオランダ民俗学者J.J.フォスカイル(J.J. Voskuil)の『オランダにおけるコーヒーと茶の普及(De verspreiding van koffie en thee in Nederland)』で語られています
フォスカイルは、17世紀から20世紀にかけての茶とコーヒーの普及を、遺産目録、食生活の記録、地方史料、生活誌など多様な史料をもとに分析し、その普及を四つの段階に整理しています。
第一段階は17世紀。この時期、茶は「茶会(theevisite)」という社交文化の中で広まり、人々が集い語り合う「親しさ(*gezelligheid*)」を象徴する飲み物となった。
第二段階は18世紀。この社交文化は家庭へと取り込まれ、茶は家族が共に過ごす時間を演出する「家庭の親密さ(huiselijke intimiteit)」の文化へと発展しました。一方、コーヒーはより早く庶民へ浸透し、「民衆の飲み物」として全国に広まっていきます。
第三段階は、食生活そのものが変化です。朝食のビールはコーヒーへ置き換えられ、やがてコーヒーは朝食の定番となります。しかしフリースラントなど一部の地域では、古くからの茶会文化の影響により、朝食でも茶が飲まれていました。
第四段階では、茶は大衆化した後もなお「社会的威信(status)」を保持し続けたため、19世紀になると、茶は朝食や午後の喫茶へさらに広がり、地域によってはコーヒーに代わる飲み物として受け入れられていきます。フォスカイルは、茶が朝食へ広まった最大の理由を、その高い社会的威信・ステイタスに求めています。
彼によれば、茶は単なる飲料ではなく、社交や家庭生活、教養を象徴する文化として受け止められていました。フォスカイルが繰り返し強調するのは、茶が大衆化した後もなお「社会的威信(status)」を保持し続けたという点です。このことは、日本の茶道と重なる部分があります。日本の茶道もまた、一碗の茶を飲む行為そのものではなく、道具、礼法、もてなしを通して、精神性や教養、美意識を表現する文化として発展してきました。もちろん、オランダの茶会と日本の茶道は起源も目的も異なります。しかし、茶に社会的価値や文化的威信を見いだしていたという点では、両者には共通する側面が認められます。
ブロムホフが長崎へ赴任した1817年は、まさにフォスカイルがいう第三段階から第四段階への移行期にあたります。つまりブロムホフは、茶を単なる飲料ではなく、社交、家庭生活、教養、さらには社会的威信を象徴する文化として受け止める社会の中で育った人物でした。そのような文化的背景に育ったブロムホフが、日本で出会った茶の湯に深い関心を抱いたのは、決して偶然ではなかったのでしょう。彼はそれを単なる異国の喫茶法ではなく、一つの高度な生活文化として受け止めたと考えられます。
さらに注目すべきは、ブロムホフが持ち帰ったのが、茶碗、茶釜、茶入、水指、茶杓、炭、茶、さらには真台子までを含む点前を構成する茶道具一式であったことです。そこからは、彼の関心が工芸品の蒐集にとどまらず、「茶の湯」という総合的な文化そのものに向けられていたことがうかがえます。彼がヨーロッパへ伝えようとしたのは、個々の美術品ではなく、茶の湯の全体像だったのでしょう。
※写真はニコラース・アールトマン(Nicolaes Aartman)作「《室内で茶を飲む人々》(Interieur met theedrinkend gezelschap)」:1723年~1760年



