
名物裂は、織物そのものが貴重であった時代から、茶人たちに珍重され、掛軸や茶入の仕覆などに用いられてきました。その価値は極めて高く、仕覆や表具を仕立てた際に生じた残り裂まで「名物裂帖」として大切に伝えられてきました。オランダとの貿易においても、こうした舶来の織物は重要な輸入品の一つでした。
一方、同じ裂でありながら、点前に用いられる帛紗は、茶器を清めるための神聖な道具です。そのため、常に清浄で新しいものが尊ばれ、傷みや汚れのあるものを使い続けることはありませんでした。このような性格から、江戸時代に実際に使用された帛紗は、私の知る限り、ほとんど今日まで伝わっていません。
今回の展覧会では、ブロムホフが持ち帰った紫と朱の帛紗を展示します。江戸時代の茶人が実際に用いた帛紗が二百年の時を経て伝わった、極めて貴重な資料です。
ブロムホフが来日する二年前の文化四年(1807)、江戸で千家流茶道を広めた江戸千家の祖・川上不白(1719~1807)が亡くなりました。彼の著した『不白筆記』には、帛紗の色について次のような記述があります。
「色ハ紫黄から茶紅也」すなわち、帛紗の色として紫・黄から茶・紅の三色を挙げ、さらに、
「紫ハ常躰用ル 黄から茶ハ老人 紅ハ若年嗜老ノ物也」と記しています。
これによれば、紫は常用する色、黄から茶は老人が用いる色、紅は若年者が用いる色であり、年長者が好みによって紅を用いることも認められていたことがうかがえます。
この記述からは、江戸時代の帛紗には年齢による色の使い分けが存在したことがわかります。現在、多くの流儀では「男子は紫、女子は朱(緋)」という使い分けが一般的ですが、『不白筆記』には現在とは異なる帛紗の色彩観が記されており、その使い分けが時代とともに変化してきたことを物語っています。
今回展示される紫と朱の帛紗は、茶器を清めるためだけ布ではありません。茶人たちが茶席で手に取り、さばき、道具を清めたその所作を、二百年の時を超えて今に伝える貴重な歴史資料でもあります。その色の意味に思いを巡らせながらご覧いただくと、江戸時代の茶の湯がより身近に感じられることでしょう。
※写真はオランダ国立世界文化博物館(NMVW = Nationaal Museum van Wereldculturen / Wereldmuseum)蔵 朱 袱紗



