日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

現在の支援総額

1,880,500

26%

目標金額は7,000,000円

支援者数

66

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募集終了まで残り

23

日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

現在の支援総額

1,880,500

26%達成

あと 23

目標金額7,000,000

支援者数66

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

ブロムホフが単なる茶道具の収集家ではなく、実際に茶を嗜んでいたことを物語る茶道具の一つが、この茶箱です。

 蓋裏には、「日本大老臣 青山下野守侍医 江戸 湊長安 平義胤(花押)文政癸未冬十月」と記されています。

 さらに箱の底には、「Eidosche docter Minato Tsooan」というオランダ語による署名まで残されています。そして、この茶箱には湊長安自筆の添状も添えられています。そこには、「ブロムホフ商館長閣下へ進呈します。ご帰国の旅路でもご使用いただければ幸いです。今一度、貴殿の幸福と祝福を祈ります。誠意を込めて、貴殿のしもべ、そして友人とお呼びください」という趣旨の言葉が記されています。

 箱書にある「文政癸未冬十月」は、文政六年(1823)十月、現在の暦では十一月頃にあたります。この時、ブロムホフはまだ出島商館長として長崎に在任していましたが、その翌月には日本を離れ、オランダへの帰途につきました。

 つまり、この茶箱は、日本を去るブロムホフへの餞別として、江戸の医師・湊長安から贈られたものだったのです。

 さらに注目したいのが、箱書に記された「青山下野守侍医」という肩書です。

 青山下野守とは、丹波篠山藩主で、幕府老中として幕政の中枢を担った青山忠裕のことです。湊長安はその侍医でした。しかも箱書では青山忠裕を「日本大老臣」と記しています。そこには、幕府の重職にあった青山忠裕への敬意と、その侍医として仕える長安自身の自負もうかがうことができます。

 この茶箱には、黒楽茶碗、茶入、象牙製茶杓、茶筅、津軽塗と思われる器、紫の帛紗、茶巾など、茶を点てるための道具が一式納められています。添状にも、はっきりと「旅路でもご使用ください」という意味の言葉が記されています。「日本を離れてからも、この茶箱を携え、茶を楽しんでほしい。」そんな友人への思いを込めて、湊長安はこの茶箱をブロムホフに贈ったのではないでしょうか。

 日本を離れた船の上で、ブロムホフがこの茶箱を開き、茶碗を取り出し、茶を点てている姿を想像してみてください。

そこにいるのは、自ら茶碗を手に取り、茶杓で茶をすくい、茶筅を振って一碗の茶を点てる、一人の「茶人」としてのブロムホフです。

 この茶箱は、ブロムホフが茶道具をただ鑑賞し、収集していただけではなく、実際に茶を点て、茶の湯を楽しんでいたことを物語る、極めて重要な資料の一つといえるでしょう。そして、この茶箱こそ、本展覧会のタイトルである「OTEMAE ― ブロムホフ 茶道を愛した異邦人」を象徴する代表的な茶道具の一つだと考えています。

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