
ブロムホフは、野点など旅先で茶を楽しむための茶籠も持ち帰っています。
残念ながら籠そのものは失われ、現在は仕覆だけが残されていますが、その中には茶碗、茶器、茶筅筒、茶筅、茶杓、帛紗、茶巾など、茶を点てるために必要な道具一式が収められています。
なかでも私が興味深く感じたのが、折畳式の茶杓です。私自身、これは比較的新しい時代に生まれた工夫だとばかり思っていました。しかし、ブロムホフが持ち帰った茶籠に含まれているということは、少なくとも文政年間には、すでに携帯のために茶杓を折り畳むという発想が存在していたことになります。
茶碗も、茶器も、茶筅も、帛紗も、茶巾も必要である。しかし、それらをできるだけ小さな籠の中に収め、どこへでも持ち運べるようにする。そのためには、細長い茶杓さえ折り畳んでしまう。
こうした発想を見ていると、李御寧(イ・オリョン)が『「縮み」志向の日本人』で論じた、日本文化における「縮み」の美意識を思い起こします。
日本人は、単に物を小さくするのではなく、大きな世界を小さな空間の中へ凝縮することを得意としてきました。盆栽や箱庭、弁当、扇子などにも見られるように、機能を失うことなく、小さく畳み込むことによって一つの完結した世界をつくり出す。茶籠や茶箱も、まさにその一つです。
一服の茶を点てるために必要な世界を、小さな籠の中に丸ごと収めて持ち歩く。折畳式の茶杓は、その「縮み」の発想を象徴する道具の一つといえるでしょう。
そして、ブロムホフ・コレクションを調べていて、もう一つ興味深いことに気づきました。
偶然なのかもしれませんが、茶籠の籠そのものをはじめ、道具を収めていた箱、さらに後ほどご紹介する旅箪笥など、「物を入れるための器」が失われている例が少なくありません。
一方で、湊長安の書付けがある茶箱や、これも後ほどご紹介する螺鈿が施された茶箱などは、現在まで残されています。
ここで興味深いのが、当時のオランダにも「茶箱」があったということです。ただし、日本の茶箱とは役割が違います。日本の茶箱が茶碗や茶器、茶筅など、茶を点てるための道具一式を仕込むものであるのに対して、オランダの茶箱は、高価な茶葉を保存するためのものでした。
茶葉そのものが貴重品であったため、その容器にも銀や鼈甲などが用いられ、豪華な装飾が施され、なかには鍵を備えた茶箱もありました。つまり、茶を収める「箱」そのものが、家具や工芸品として鑑賞に値するものであったのです。
そうした文化の中で、日本の何の装飾もない籠や白木の箱は、オランダの人々の目にどのように映ったのでしょうか。
単なる収納や運搬のための容器と受け取られたのか。それとも、日本の茶の湯において、籠や箱もまた道具の一部であり、中に何をどのように仕込むかまで含めて意味をもつことが理解されていたのでしょうか。
もちろん、籠や箱が失われた理由を、今となって断定することはできません。
ただ、ブロムホフ自身は、これらの籠や箱も含めて日本で収集し、オランダまで持ち帰っています。少なくともブロムホフの手元にあった時点では、籠や箱もまた、彼が持ち帰るべきものとして選んだ日本の茶道具の一部だったのです。
ところが、ブロムホフの手を離れ、コレクションとして王室に渡り、さらに博物館の収蔵品として整理・保存されていく過程で、装飾や書付けのある茶箱が残る一方、素朴な籠や箱、旅箪笥などの多くが失われていきました。
それが偶然や経年による紛失だったのか、あるいは日本とオランダとで「入れ物」に対する価値の見方に違いがあったためなのか、今となって確かめることはできません。
しかし、二百年後の今日、残されたものと失われたものを見比べてみると、ブロムホフの手からコレクションが離れた後、異なる文化の中で日本の茶道具の何が価値あるものとして認識され、何が残されていったのかという、もう一つの興味深い問題が見えてきます。



