
ブロムホフが日本から持ち帰った茶道具を見ていると、彼が茶の湯のさまざまな場面に深い関心を寄せていたことがわかります。
写真は、ブロムホフが持ち帰った旅箪笥に収められていた道具一式です。残念ながら旅箪笥そのものは現在所在不明となっていますが、その中には、江戸参府の折に静岡県金谷で求めたと思われる志戸呂焼の茶碗も含まれています。
ブロムホフの茶道具コレクションには、献茶のための格式ある真台子一式があり、茶碗、茶器、水指など、日常に茶を楽しむための道具があります。そして興味深いことに、茶箱二点、茶籠一点、旅箪笥一点と、旅先で茶を点てるための道具をいくつも持ち帰っています。
なぜ、これほど多くの携帯用の茶道具を必要としたのでしょうか。茶の湯において、旅先での茶や野点は決して「気軽な茶」ではありません。茶室の中であれば、炉があり、畳があり、床があり、道具を置く位置も点前の手順も定められています。しかし、一歩野に出れば、それらはありません。あるのは松陰であり、河辺であり、芝生であり、その土地の風や光、水、そして季節です。
『南方録』は野点について、「定法なきがゆえに定法大法あり」
と説いています。決まりがないから何をしてもよい、という意味ではありません。むしろ決まりに頼ることができないからこそ、それまで茶人が身につけてきた経験、美意識、判断力、そして心のあり方そのものが問われるのです。
野点とは、自然の中でただ茶の湯を楽しむことではありません。その土地の「いさぎよき所」を見いだし、そこに一時の茶の場をつくることです。
松の木も、川の流れも、風も、鳥の声も、亭主がつくることはできません。すでにそこにある自然を受け入れ、その中に自らの茶を置く。だからこそ野点には、茶人としての力量が問われます。
そのような旅や野点のために用いられたのが、茶箱、茶籠、旅箪笥といった携帯のための茶道具でした。茶室そのものを旅に持って行くことはできません。しかし、茶碗や茶器、水指など、茶を点てるために必要な道具を小さくまとめ、携えて行くことはできます。
いわば、旅箪笥や茶箱は「持ち運べる茶室」なのです。屋敷を離れても、旅の途中でも、野原でも、茶は点てられる。場所が変われば、道具の取り合わせも点前も変わります。しかし、亭主がいて、客がいて、一碗の茶を介して心を通わせるという茶の湯の本質は変わりません。むしろ茶室という完成された空間を離れたときにこそ、その人が本当に茶を身につけているかが問われるのです。
そして、この「旅する茶の湯」という日本の文化に強く惹かれた人物こそ、ブロムホフだったのではないでしょうか。
考えてみれば、ブロムホフ自身の人生もまた、旅の連続でした。
故国オランダを離れ、海を渡り、遠くアジアへやって来る。長崎・出島で暮らし、江戸参府という長い旅を経験し、やがて再び海を越えてヨーロッパへ帰っていく。
そんな「旅する人」であったブロムホフが日本で出会ったのが、場所に縛られることなく、道具を携え、旅先でも一服の茶を点てる文化でした。
彼が持ち帰った茶道具を改めて見てみると、その全体像が見えてきます。
献茶に用いる真台子は、「儀礼の茶」
茶碗、茶器、水指などは、「日常の茶」
そして茶箱、茶籠、旅箪笥は、「旅の茶」
ブロムホフは、最も格式ある茶から、日々の暮らしの中の茶、さらには旅先での茶まで、人生のあらゆる場面にある茶の湯を日本から持ち帰ろうとしたのではないでしょうか。
人生は旅です。
人は一つの場所にとどまり続けることはできません。場所が変わり、立場が変わり、出会う人も変わっていきます。それでも、茶人は茶を点てる。
旅先で旅箪笥や茶箱を開き、茶碗を取り出し、湯を沸かし、一碗の茶を点てる。その瞬間、見知らぬ土地にも一時の茶の場が生まれます。
そして、ブロムホフの旅箪笥に収められた志戸呂焼の茶碗もまた、彼自身の旅の途中、江戸参府の道すがらに手にしたものでした。旅の途中で出会った茶碗を、旅のための道具に収め、さらに海を越えて故国へ持ち帰る。そこには、ブロムホフ自身の旅と、茶道具の旅とが重なって見えてきます。
「人生が旅であるならば、茶もまた旅をする」
旅する人生を送ったブロムホフが日本から持ち帰った茶箱、茶籠、旅箪笥。その小さな道具の中には、単なる携帯の便利さだけではなく、場所が変わっても一碗の茶を点てるという、茶の湯の自由さと本質が詰め込まれているように思えてなりません。



