最新情報
【5万円以上のリターンをご支援いただいた皆さまへ】
追加特典のお知らせ
このたび、5万円以上のリターンをご支援いただいた皆さまへの感謝の気持ちを込めて、特別な追加特典をご用意いたしました。
オランダ国立世界文化博物館では、日本コレクションのうち展示されているのはわずか約5〜6%。残り約95%は一般公開されることなく、収蔵庫で大切に保管されています。
そこで今回、5万円以上のリターンをご支援いただいた皆さまを対象に、**オランダ国立世界文化博物館「ビハインド・ザ・シーンズ・ツアー(バックヤード見学)」**へご招待いたします。
通常は立ち入ることのできない収蔵庫や保存・修復エリアを学芸員の案内で見学し、展示室では決して見ることのできない世界屈指の日本コレクションや、文化財を未来へ受け継ぐための保存・修復の現場をご覧いただける貴重な機会です。
本ツアーは、すでに5万円以上のリターンをご支援いただいた皆さまも対象となります。これからご支援くださる方も、同様にご参加いただけます。
ビハインド・ザ・シーンズ・ツアー概要
- ・実施期間:2027年3月1日〜2028年2月28日
- ・会場:オランダ国立世界文化博物館(ライデン)
- ・現地までの交通費・宿泊費は各自ご負担ください。
- ・見学日時などの詳細は、ご支援者様へメールにてご相談させていただきます。
- 【ご注意】
本リターンはオランダで実施するプログラムです。海外でのリターン履行となるため、国内での実施に比べ、現地の事情や博物館の運営状況、社会情勢、天災、感染症、その他やむを得ない事情により、実施日程や内容が変更となる場合、または延期・中止となる場合があります。
ご支援にあたっては、海外で実施するリターンであることをご理解いただき、このような国内よりも高い不確実性やリスクが伴う可能性があることを、あらかじめご了承くださいますようお願いいたします。
なお、実施内容に変更が生じる場合は、ご支援者の皆様へ速やかにご案内いたします。
皆さまからの温かいご支援への感謝を込めて実現した、今回だけの特別な追加特典です。ぜひこの機会に、普段は決して見ることのできない「博物館の裏側」を体験していただければ幸いです。
はじめに〜このプロジェクトについて〜
はじめまして。私は茶道家として活動し、茶文化の研究・普及活動を行っております、茶の文化フォーラム株式会社の堀内議司男(茶名・壷中庵 宗長)と申します。
本プロジェクトは、江戸時代後期に長崎・出島オランダ商館長を務めたヤン・コック・ブロムホフゆかりの未公開作品――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」を、日本で修復し、本邦初公開へつなげるための文化保存プロジェクトです。
2026年11月13日より、長崎・ハウステンボス美術館にて、
「 OTEMAE ブロムホフ 茶道を愛した異邦人」展(主催 ハウステンボス株式会社・日本経済新聞社)
が開催されます。
パレス ハウステンボス
ハウステンボス美術館
本展では、ブロムホフが江戸時代に蒐集しヨーロッパへ持ち帰った茶道具約120点を、約200年ぶりに日本へ里帰りさせ、本邦初公開いたします。
そして今回、この展覧会にあわせて、長年公開されることのなかった「ブロムホフ家族図」を修復し、日本で初めて公開したいと考えています。
ブロムホフとは何者だったのか
2009年にライデン国立博物館(現オランダ国立世界文化博物館)のマティー・フォラー先生の講義を拝聴して以来、私はヤン・コック・ブロムホフ(1779~1853)という人物に深い関心を抱いてまいりました。
彼は、江戸時代の出島オランダ商館長であり、日本初の英語辞書を編纂した人物としても知られています。
オランダ・アムステルダムで生まれ、フランス革命戦争やナポレオン戦争を経て、1805年にバタヴィア(現インドネシア・ジャカルタ)でオランダ東インド会社に勤務しました。
1809年に出島の荷倉役(倉庫番)として来日し、商館長ヘンドリック・ドゥーフの推薦で長崎の通詞たちに英語を教え、英語辞書の編纂を始めました。1813年、イギリス軍の捕虜となり、一時オランダへ帰国しましたが、1817年に商館長として再び来日します。
オランダ国立世界文化博物館鎖国下、日本とヨーロッパを結ぶ唯一の窓口であった出島。当時、ヨーロッパではナポレオン戦争の影響によりオランダがフランスに併合されましたが、その間も出島には唯一オランダ国旗が翻り続け、日本と西洋を結ぶ窓口としての役割を果たしていました。
オランダ再独立後、出島オランダ商館長として赴任したブロムホフは、途絶えかけていた日蘭貿易の回復に尽力するとともに、日本の文化や動植物の調査・研究を積極的に支援しました。
また、後に日本研究の先駆者として名を残す フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの活動の基盤を築いたのもブロムホフでした。
江戸参府では徳川家斉に謁見し、多くの蘭学者たちと交流。その最前線で日本文化に深い関心を寄せたブロムホフは、茶道具、絵画、工芸品、人物模型、出島模型など、多岐にわたる日本文化資料を蒐集しました。
帰国後、それらをオランダ国王へ売却したことで、ヨーロッパ最初の本格的日本コレクションが成立します。19世紀初頭の日本文化を今日に伝える貴重な記録であり、日本とヨーロッパの文化交流の歴史を物語る遺産となっています。
特に興味深いのは、彼が収集した茶道具です。それは単なる「異国趣味の収集品」ではありませんでした。点前が成立するほど体系的に揃えられており、彼が「茶の湯」という文化そのものを理解しようとしていたことが分かります。
私は長年茶道に携わる中で、ブロムホフは単なる収集家ではなく、ヨーロッパ“最初の茶人”であったのではないかと考えるようになりました。
昨年、オランダで出会った一枚の絵
昨年、展覧会の企画調査のため、オランダ・ライデンのオランダ国立世界文化博物館を訪問しました。そこで出会ったのが、川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。
この作品は長らくブロムホフ家の子孫によって大切に保管されてきました。しかし、その存在は知られていたものの、一般公開されることはありませんでした。
そして昨年、オランダ国立世界文化博物館へ寄贈され、公的コレクションの一部となったのです。
作品寸法は、83 × 158.4 cm。額装を含めると 98.9 × 174.3 cm に及びます。
実際に対面すると、その圧倒的な存在感に言葉を失いました。人物の表情、衣装の描写、細部に宿る空気感――。そこには、単なる異国風俗画ではない、「特別な時間」が描かれていました。
オランダ国立世界博物館蔵・川原慶賀筆 ブロムホフ家族図
川原慶賀という絵師
川原慶賀筆「出島図」
オランダ国立世界文化博物館 川原慶賀(1786年~1860年頃)は、江戸時代後期の長崎で活躍した絵師です。出島を通じて来日したオランダ人や外国人との交流が盛んであった長崎にあって、彼は西洋人から高く評価され、とりわけシーボルトの依頼を受けて数多くの作品を制作したことで知られています。
慶賀は、日本の風俗、職人の仕事、祭礼、街並み、動植物、そして人々の暮らしを、驚くほど緻密な観察眼によって描き残しました。その作品は単なる絵画ではなく、写真の存在しなかった時代の日本を伝える貴重な視覚資料でもあります。
シーボルトは、日本の自然や文化をヨーロッパへ紹介するために膨大な資料を収集しましたが、その多くを支えたのが慶賀の筆でした。慶賀が描いた植物図譜や風俗画は、後にヨーロッパで刊行されたシーボルトの著作にも活用され、日本研究の発展に大きく貢献しています。
そして、《ブロムホフ家族図》は、慶賀の作品の中でも特に重要な一枚です。
この作品には、出島オランダ商館長ヤン・コック・ブロムホフ、その妻ティティア、息子ヨハネス、乳母のペトロネラ、そしてインドネシア系の召使が描かれています。鎖国下の日本において、西洋人一家が揃って描かれた例は極めて稀であり、当時の国際交流の実像を今に伝える貴重な記録となっています。
また、この作品は単なる家族肖像画ではありません。西洋の肖像画的な構成を取り入れながらも、日本人絵師ならではの細やかな観察によって、衣服の質感や人物の表情、所持品に至るまで克明に描写されています。そこには異国の人々への好奇心と敬意、そして長崎という国際都市ならではの視点を見ることができます。
《ブロムホフ家族図》は、美術作品であると同時に、出島を舞台とした日蘭交流の歴史を映し出す「時代の証言者」なのです。
なぜ、同じ構図の作品が複数存在するのか
ブロムホフの商館長としての来日は、当時の日本人に大きな衝撃を与えました。ブロムホフが家族を伴っていたからです。なかでも、出島に現れた西洋女性の姿は極めて珍しく、人々の強い関心を集めました。
そのため、長崎奉行所は絵師に命じて一家の姿を描かせ、その画像はさまざまな形で模写・再構成されながら広く流布していきます。肉筆画として描き継がれただけでなく、長崎版画として制作され、日本各地へと伝えられました。
現在でも数多くの異版や類似作品が残されており、その中には本来の人物像から離れ、「西洋婦人図」や「阿蘭陀夫婦図」として一般化したものも少なくありません。また、実際にはブロムホフ夫妻とは無関係でありながら、その名を冠して伝えられた作品も見られます。
それほどまでに、ブロムホフ一家の来航、とりわけ西洋女性の存在は、鎖国下の日本人の想像力をかき立てる出来事であったのです。[参考文献:東京大学所蔵の二つの「ブロムホフ家族図」松井洋子・高島晶彦著]
慶賀筆とされる同構図の家族図は世界に数点確認されていますが、本作品はその中でも最大の画面を有し、筆致も最も精緻であることから、現存作品群の中で最初に制作された可能性が高いと考えられます。
オランダ国立世界文化博物館の主任学芸員ダーン・コック氏は、興味深い見解を示しています。江戸時代、慶賀が描いた作品は長崎奉行所の検閲を受ける必要がありました。
一度、ある形式――この場合「背景を持たず、ソファに座るブロムホフ家族」という構図――について許可が下りると、その後は改めて検閲を受けることなく、同構図を繰り返し制作できたのではないかというのです。
これは長崎湾や出島風景を描いた慶賀作品にも共通して見られる特徴です。つまり本作品は、単なる肖像画ではなく、鎖国時代における文化交流と検閲制度の痕跡をも伝える歴史資料でもあるのです。
この絵が描いた「最後の時間」
この家族図は、ブロムホフが家族とともに長崎・出島で過ごした、かけがえのない時間を描いた肖像画です。当時、日本は鎖国体制下にあり、外国人の滞在には厳しい制限がありました。特に女性や子どもの渡航は許されていませんでした。しかしブロムホフは、その禁を越え、妻ティティアと幼い子どもを伴って来日します。けれど、その滞在は長く続きませんでした。家族はわずか三ヶ月ほどで日本を離れることになります。
そして――
それは、家族にとって永遠の別れでもありました。
この絵は、その別れを前にした、家族がともに過ごした最後の時間を描いた肖像です。他の同構図作品と⽐べても、⼈物の表情にはどこか厳しさと切迫感がにじみ出ており、当時の彼らが置かれていた状況が静かに迫ってきます。
異国の地で暮らす不安
家族が引き離される予感
その時間が、この一枚には刻まれているのです。

ティティア ― 日本人を魅了した最初の西洋女性
わずかな滞在であったにも関わらず、妻ティティアは、西洋女性として初めて来日した存在として長崎の人々に強い印象を残しました。その姿は日本三大土人形の一つでもある地元長崎の「古賀人形」にも表され、「西洋婦人」として現在に至るまで記憶され続けています。
また、ティティアは、日本を訪れた最初の西洋女性として知られるだけではありません。彼女はスクエア・ピアノを出島へ持ち込み、日本で初めて西洋ピアノを演奏した人物としても知られています。
さらに、ティティアが残した書簡には、日本人から抹茶でもてなしを受けた様子が記されています。現存する史料から確認できる限りでは、ティティアは抹茶を飲んだ最初の西洋女性の一人と考えられます。
ブロムホフが茶道具を蒐集し、日本文化への理解を深めていた一方で、ティティア自身もまた日本の風俗や文化に強い関心を寄せていました。出島で供された一碗の抹茶は、単なる飲み物ではなく、日本人のもてなしの心に触れる体験だったことでしょう。
日本で初めてピアノを奏でた西洋女性。そして、日本人から抹茶でもてなしを受けた最初の西洋女性。その存在は、ブロムホフ一家が日蘭交流の歴史において特別な位置を占めていることを物語っています。
なぜ今修復は必要なのか
企画調査のためライデンを訪れた際、私はダーンさんから、この《ブロムホフ家族図》の保存状態について詳しくお話を伺いました。
作品は約200年という長い歳月を経ており、画面や額装には経年による劣化が見られます。しかし現在、オランダ国立世界文化博物館には、この作品を本格的に修復するための十分な体制が整っていないとのことでした。
その一方で、日本には江戸時代の絵画や表装に関する高度な修復技術が継承されており、本作品についても日本で修復を行うことが現実的かつ最善の選択肢であることを知りました。
私は長年にわたりブロムホフとそのコレクションを追い続けてきましたが、この貴重な作品を未来へ伝えるためには、今まさに修復が必要な時期に来ていることを強く実感しました。
「この展覧会という歴史的な機会に、この作品を修復し、日本で公開したい」と。
この作品は単なる西洋人肖像画ではありません。江戸時代、日本とオランダが唯一交流を続けていた時代の記憶であり、異国で生きた家族の記録であり、そして日本人絵師・川原慶賀が見つめた“世界”そのものなのです。
修復を担う人々
本作品の修復は、京都の修復工房「宇佐美修徳堂」に依頼いたします。
修復を担当するのは、長年文化財修復に携わってきた宇佐美直治さん、そして次世代を担う宇佐美直希さんです。
文化財修復は、単に傷みを直す作業ではありません。作品が持つ時間や歴史を尊重しながら、未来へ受け渡していく極めて繊細な仕事です。
今回の修復では、作品本来の姿を損なうことなく、完全公開と次世代への継承を可能にする修復を目指します。これは一枚の絵画を守るだけでなく、日本の修復技術そのものを未来へ繋ぐ取り組みでもあります。
オランダ国立世界文化博物館
学芸員 ダーン・コックさんからのメッセージ
【ブロムホフ家族図の現在の状況】
修復スケジュール(予定)
本プロジェクトでは、作品の安全性を最優先に、オランダと日本の関係者が連携しながら修復・公開準備を進めてまいります。

200年の時を経て蘇る『ブロムホフ家族図』
修復を経て、いよいよ日本の皆様の前に姿を現します
本プロジェクトでご支援いただきたい内容
本クラウドファンディングでは、「ブロムホフ家族図」の修復および輸送費用へのご支援をお願いしております。
具体的には、
・オランダ―日本間の往復輸送費
・日本国内輸送費
・修復費
・保存・展示準備費
・上記プロジェクトに関わる諸費用
などに充てさせていただきます。
文化を未来へつなぐために
このプロジェクトは、一枚の絵画修復にとどまるものではありません。
江戸時代、日本とヨーロッパが交わった記憶
異国で生きた家族の時間
日本人絵師が見つめた世界
それらを、未来へ受け渡すための試みです。もしこの作品が修復されなければ、この絵は静かに時の中へ埋もれていくかもしれません。だからこそ今、この作品をよみがえらせたい。
200年の時を超えて受け継がれてきたこの作品を、次の時代へ手渡したい。
どうか皆さまのお力をお貸しください。
心より、ご支援をお願い申し上げます。
茶道家 堀内議司男(壷中庵・宗長)
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【ブロムホフが育ったオランダの喫茶文化】その1
2026/07/25 14:00【ブロムホフが育ったオランダの喫茶文化】その1『De theezieke juffers(ティーにいかれた婦人たち)』 ブロムホフが茶道具を持ち帰った十九世紀初頭、オランダでは茶はどのように飲まれ、どのような文化として受け入れられていたのでしょうか。 私が最初にオランダの喫茶文化を学んだのは、角山栄氏の名著『茶の世界史』でした。同書では、1701年にアムステルダムで初演された喜劇『De theezieke juffers(ティーにいかれた婦人たち)』が、「茶に熱中したオランダ女性を風刺した作品」として紹介されています。 1701年の初版本を通読したところ、この作品は角山氏が紹介された以上に、豊かな内容を持つ社会喜劇であることがわかりました。 物語は、主人公レオノールが、恋人ヤーコプがいながら両親によって裕福な老人ヨーストとの結婚を決められてしまうところから始まります。そこでヤーコプは召使ウェールハーンとともに、「東インドから帰国した親族」に変装して家へ入り込みます。 二人は東インドから大量の茶を持ち帰った人物として迎えられ、家族や近所の婦人たちは、その珍しい茶や中国磁器に夢中になります。その隙にヤーコプはレオノールとの駆け落ちを図りますが計画は発覚します。しかし、彼の誠実な愛情と叔父の遺産相続が明らかになると、父親は二人の結婚を認め、最後は二組の恋人が結ばれ、「さあ、もう一杯お茶を飲もう」という言葉で幕を閉じます。 この作品には、恋愛結婚と親が決める結婚、東インド会社がもたらした新しい消費文化、女性たちの社交空間、茶・磁器・菓子を楽しむ都市生活、そして東インドへの憧れなど、1700年前後のアムステルダム市民社会そのものが生き生きと描かれています。 つまり、この作品は「茶」を主役としながら、都市文化全体を描いた社会喜劇だったのです。 また、角山氏は、オランダ人が「茶を受け皿に移して飲む」「音を立てて飲む」といった飲み方を紹介し、それを「茶道の真似事」と指摘されています。しかし、私が確認した1701年初版本には、そのような具体的な作法の描写は見当たりませんでした。 劇中で描かれているのは、「茶葉を持ち寄る」「茶の香りを嗅ぐ」「茶の色を論評する」「茶葉の銘柄を比べる」「客には必ず茶を勧める」といった、茶会での会話や振る舞いです。 全文を通読して最も印象的だったのは、1701年という極めて早い時期に、すでに茶がオランダ都市文化の中心的存在として描かれていることでした。 茶は単なる飲み物ではありません。社交を生み、流行を生み、異国への憧れをかき立てる文化の象徴として、人々の暮らしに深く根付いていたのです。 この劇が描く社会は、ブロムホフが日本へ赴任する約百年前のオランダです。この作品は、ブロムホフ来日の一世紀も前から、オランダ人が茶を「社交」と「文化」の象徴として受け入れていたことを具体的に示しています。 そのような成熟した喫茶文化の中で育ったブロムホフが、日本で茶の湯や茶道具に深い関心を抱いたことは、決して偶然ではなかったでしょう。 そして、私は、この成熟した喫茶文化という土壌があったからこそ、ブロムホフはたんに茶道具を蒐集したのではなく、日本の茶の湯そのものに魅せられ、その精神や作法までもオランダへ伝えようとしたのではないかと考えています。 もっと見る
【二百年ぶりに帰ってくる江戸時代の茶の湯 ──「OTEMAE ブロムホフ 茶道を愛した異邦人」展開催への道のり】
2026/07/23 12:25今回皆さまにご支援をお願いしていますクラウドファンディングは、本年11月13日から来年2月21日までハウステンボス美術館で開催される展覧会「OTEMAE ブロムホフ 茶道を愛した異邦人」の企画・監修を務めることになったことが、大きなきっかけです。 しかし、この展覧会の構想は、実は二十年近く前に芽生えた一つの思いから始まっていますその実現に向けて調査を進める中で、私はオランダ国立世界文化博物館に所蔵される《ブロムホフ家族図》と出会いました。この作品が約二百年ぶりに日本へ里帰りできる可能性が見えてきた一方で、深刻な傷みが判明し、修復が不可欠であることも分かりました。そこで、この貴重な作品を未来へ受け継ぐため、修復プロジェクトとしてクラウドファンディングを立ち上げることにしたのです。 ここでは、その展覧会がどのような思いから生まれたのか、その歩みをお話ししたいと思います。 二十年前、ライデン国立民族学博物館(現・オランダ国立世界文化博物館)のマティ・フォラー先生の講演で、私は初めてヤン・コック・ブロムホフという人物を知りました。江戸時代、長崎出島のオランダ商館長であった彼は、日本から茶道具一式をオランダへ持ち帰っていました。 しかも茶碗や茶入だけではありません。茶筅、茶巾、柄杓、袱紗など、実際に茶を点てるための道具まで揃えていたことに、大きな驚きを受けました。 茶道史を学んできた私にとって、ブロムホフという人物は、それまで一度も耳にしたことのない存在でした。長く茶の湯に携わってきたつもりでいましたが、まさに「井の中の蛙、大海を知らず」。日本の茶道史という枠の外にも、まだ知られていない茶の湯の歴史が広がっていることを、ブロムホフの存在によって初めて気づかされたのです。「いつか、この茶道具を日本へ里帰りさせ、多くの方々にご覧いただくことはできないだろうか」その思いが、本展覧会の出発点となりました。 その後資料を読み進めるにつれ、このコレクションが単なる異国趣味の蒐集ではないことに気が付きました。茶碗や茶入だけではなく、茶筅、茶巾、茶、炭など、本来なら使われて失われてしまう消耗品までが、一つのまとまりとして約二百年間保存されてきたのです。 これは単に古い茶道具が残ったということではありません。江戸時代後期、人々がどのような道具を使い、どのように茶を点て、茶の湯を楽しんでいたのかを、そのまま伝える「生きた茶の湯」の記録なのです。私はこのコレクションを、「江戸時代の茶の湯を封じ込めたタイムカプセル」と考えています。 これまでの茶道史は名物道具や大名茶・流儀・数寄者を中心に語られてきました。しかし、このコレクションから見えてくるのは、江戸時代に広く社会へ浸透した茶の湯の姿です。そこに、このコレクション最大の価値があります。 いつか実物を見たいと思い、博物館へ見学をお願いしました。快諾をいただき渡欧準備を進めていた矢先、新型コロナウイルスの流行により計画は中止となりました。しかし、その経験によって「いつか日本で公開したい」という思いは、むしろ強くなりました。日本の美術館や博物館は、それぞれ独自の収蔵品や研究テーマに基づいて展覧会を企画・開催しています。そのため、一個人が企画した展覧会を新たに実現することは、現実には極めて難しいのが現状です。かつてであれば、新聞社や百貨店、企業などが文化事業として展覧会を企画し、美術館と協力して開催する機会も少なくありませんでした。しかし、時代の変化とともに文化事業を取り巻く環境は厳しさを増し、そのような挑戦的な企画が実現する機会は決して多くありません。私も、この構想を心の中で温めながら、「いつか実現できれば」という思いを抱き続けるしかありませんでした。 そんな中、この企画の価値をご理解くださり、「ぜひ実現しましょう」と手を差し伸べてくださったのが、ハウステンボスでした。私は以前から、この展覧会を開催するならハウステンボス以外にはないと考えていました。その思いとハウステンボスの理念が重なり、この企画は現実のものとなりました。今振り返れば、それはまさに運命的な出会いだったと思っています。 ハウステンボス美術館は、オランダ王宮を忠実に再現した「パレス ハウステンボス」の中にあります。一方、ブロムホフは帰国後、自ら収集した日本コレクションをオランダ国王ウィレム一世へ献納し、世界初の体系的な日本コレクションを成立させました。 つまり、日本からオランダ王宮へ渡った文化財が、二百年後、オランダ王室の宮殿を再現した空間で披露されるのです。この歴史的背景を考えると、本展覧会に最もふさわしい場所はハウステンボス以外にありません。 国宝や重要文化財を集めた茶道具展は、これまで数多く開催されてきました。しかし、本展は少し違います。ご覧いただくのは、茶碗だけではありません。茶筅があり、茶巾があり、柄杓があり、茶があり、炭があります。 それらが一体となって初めて「茶の湯」は成立します。だから展覧会名を「OTEMAE」としました。この展覧会は名品を鑑賞する展覧会ではなく、「二百年前の茶の湯」を丸ごと体験する展覧会なのです。 二十年前、一人のオランダ人の名を知ったことから始まった私の思いは、こうして一つの展覧会となりました。二百年前、長崎からオランダへ渡った茶の湯が、再び長崎へ帰ってきます。 本展は、単なる茶道具展ではありません。江戸時代の「生きた茶の湯」と、日本とオランダの交流の歴史を未来へ伝える、新しい茶の湯の展覧会です。ぜひハウステンボス美術館で、ブロムホフが見つめた日本と、二百年前の茶の湯の息づかいを感じていただければ幸いです。 もっと見る
【幻の《ブロムホフ家族図》が開く、新たな美術史】
2026/07/22 15:46これまで私なりの「ブロムホフ家族図論」を展開してきました。 そのような考察が可能になった最大の理由は、昨年、ブロムホフ家の子孫からオランダ国立世界文化博物館へ、現在クラウドファンディングで修復を目指している《ブロムホフ家族図》が寄贈されたことにあります。 この作品の存在自体は以前から知られていました。しかし、長らくブロムホフ家に伝来する個人蔵であったため、美術史研究者でさえ実見する機会はほとんどなく、まさに「幻の家族図」ともいうべき存在でした。 さらに重要なのは、その来歴が極めて明確であることです。今回寄贈された作品は、ブロムホフの長男ヨハネスの子孫に代々伝えられてきた作品です。一方、アムステルダム国立美術館所蔵の六人構図は、ヨハネスの妻サラ・マリア・ファン・デ・ポルの家系に伝来したことが知られています。 つまり、二つの作品はともに由緒の確かな伝来をもち、それぞれ異なる家系に受け継がれてきたことが確認されています。このこと自体が、《ブロムホフ家族図》を研究するうえで極めて重要な意味を持っています。 その作品が公的な博物館に収蔵されたことによって、初めてアムステルダム国立美術館所蔵作品をはじめとする他の《ブロムホフ家族図》との本格的な比較研究が可能になりました。 私の考察も、その比較から得られた一つの仮説に過ぎません。しかし、この作品の公開によって、《ブロムホフ家族図》の制作順序や川原慶賀工房の制作実態を考える、新たな研究の扉が開かれたことは間違いないでしょう。 私は、この世界文化博物館所蔵作品こそ、現存する《ブロムホフ家族図》の本歌、あるいは少なくとも制作の基準となった作品ではないかと考えています。この作品を基準に比較することで、これまで一括して「川原慶賀筆」とされてきた作品の中にも、慶賀本人の制作だけではなく、工房による制作が含まれている可能性が見えてきます。 そして、なぜヨハネスの家系と妻サラ・マリアの家系に、それぞれ一枚ずつ家族図が伝わったのかという点も、新たな研究課題となります。 私見では、世界文化博物館所蔵作品は、ヨハネスにとって幼少期の家族の記憶を伝える肖像として受け継がれたのではないかと考えています。一方、アムステルダム国立美術館所蔵作品は、ジャワ人召使いの少年を加えた六人構図であり、十九世紀初頭のオランダ植民地社会において、奴隷や召使いを従えた家族像が社会的地位や成功を象徴する意味を持っていた可能性も考えられます。 もちろん、これは現段階では一つの仮説です。今後、美術史や保存修復、絵画技法などの専門家による精密な比較調査によって、その妥当性が検証されることを期待しています。 今回のクラウドファンディングは、単に一枚の絵を修復するためだけのものではありません。川原慶賀研究、そして日本とオランダを結ぶ美術史研究を大きく前進させる第一歩となるプロジェクトです。 ぜひ多くの方にブロムホフと川原慶賀の存在を知っていただき、この歴史的な研究の新たな展開を、ともに見届けていただければ幸いです。 もっと見る





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