日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

現在の支援総額

1,395,500

19%

目標金額は7,000,000円

支援者数

44

募集終了まで残り

40

日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

現在の支援総額

1,395,500

19%達成

あと 40

目標金額7,000,000

支援者数44

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

最新情報
【5万円以上のリターンをご支援いただいた皆さまへ】
追加特典のお知らせ

このたび、5万円以上のリターンをご支援いただいた皆さまへの感謝の気持ちを込めて、特別な追加特典をご用意いたしました。

オランダ国立世界文化博物館では、日本コレクションのうち展示されているのはわずか約5〜6%。残り約95%は一般公開されることなく、収蔵庫で大切に保管されています。

そこで今回、5万円以上のリターンをご支援いただいた皆さまを対象に、**オランダ国立世界文化博物館「ビハインド・ザ・シーンズ・ツアー(バックヤード見学)」**へご招待いたします。

通常は立ち入ることのできない収蔵庫や保存・修復エリアを学芸員の案内で見学し、展示室では決して見ることのできない世界屈指の日本コレクションや、文化財を未来へ受け継ぐための保存・修復の現場をご覧いただける貴重な機会です。

本ツアーは、すでに5万円以上のリターンをご支援いただいた皆さまも対象となりますこれからご支援くださる方も、同様にご参加いただけます。

ビハインド・ザ・シーンズ・ツアー概要

  • ・実施期間:2027年3月1日〜2028年2月28日
  • ・会場:オランダ国立世界文化博物館(ライデン)
  • ・現地までの交通費・宿泊費は各自ご負担ください。
  • ・見学日時などの詳細は、ご支援者様へメールにてご相談させていただきます。


  • 【ご注意】
    本リターンはオランダで実施するプログラムです。海外でのリターン履行となるため、国内での実施に比べ、現地の事情や博物館の運営状況、社会情勢、天災、感染症、その他やむを得ない事情により、実施日程や内容が変更となる場合、または延期・中止となる場合があります。
    ご支援にあたっては、海外で実施するリターンであることをご理解いただき、このような国内よりも高い不確実性やリスクが伴う可能性があることを、あらかじめご了承くださいますようお願いいたします。
    なお、実施内容に変更が生じる場合は、ご支援者の皆様へ速やかにご案内いたします。


皆さまからの温かいご支援への感謝を込めて実現した、今回だけの特別な追加特典です。ぜひこの機会に、普段は決して見ることのできない「博物館の裏側」を体験していただければ幸いです。


はじめに〜このプロジェクトについて〜 

はじめまして。私は茶道家として活動し、茶文化の研究・普及活動を行っております、茶の文化フォーラム株式会社の堀内議司男(茶名・壷中庵 宗長)と申します。

 本プロジェクトは、江戸時代後期に長崎・出島オランダ商館長を務めたヤン・コック・ブロムホフゆかりの未公開作品――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」を、日本で修復し、本邦初公開へつなげるための文化保存プロジェクトです。

 2026年11月13日より、長崎・ハウステンボス美術館にて、

「 OTEMAE ブロムホフ 茶道を愛した異邦人」展(主催 ハウステンボス株式会社・日本経済新聞社)

が開催されます。

パレス ハウステンボス

ハウステンボス美術館

 本展では、ブロムホフが江戸時代に蒐集しヨーロッパへ持ち帰った茶道具約120点を、約200年ぶりに日本へ里帰りさせ、本邦初公開いたします。

 そして今回、この展覧会にあわせて、長年公開されることのなかった「ブロムホフ家族図」を修復し、日本で初めて公開したいと考えています。


ブロムホフとは何者だったのか

2009年にライデン国立博物館(現オランダ国立世界文化博物館)のマティー・フォラー先生の講義を拝聴して以来、私はヤン・コック・ブロムホフ(1779~1853)という人物に深い関心を抱いてまいりました。

彼は、江戸時代の出島オランダ商館長であり、日本初の英語辞書を編纂した人物としても知られています。

オランダ・アムステルダムで生まれ、フランス革命戦争やナポレオン戦争を経て、1805年にバタヴィア(現インドネシア・ジャカルタ)でオランダ東インド会社に勤務しました。

1809年に出島の荷倉役(倉庫番)として来日し、商館長ヘンドリック・ドゥーフの推薦で長崎の通詞たちに英語を教え、英語辞書の編纂を始めました。1813年、イギリス軍の捕虜となり、一時オランダへ帰国しましたが、1817年に商館長として再び来日します。


オランダ国立世界文化博物館鎖国下、日本とヨーロッパを結ぶ唯一の窓口であった出島。当時、ヨーロッパではナポレオン戦争の影響によりオランダがフランスに併合されましたが、その間も出島には唯一オランダ国旗が翻り続け、日本と西洋を結ぶ窓口としての役割を果たしていました。

オランダ再独立後、出島オランダ商館長として赴任したブロムホフは、途絶えかけていた日蘭貿易の回復に尽力するとともに、日本の文化や動植物の調査・研究を積極的に支援しました。

また、後に日本研究の先駆者として名を残す フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの活動の基盤を築いたのもブロムホフでした。

江戸参府では徳川家斉に謁見し、多くの蘭学者たちと交流。その最前線で日本文化に深い関心を寄せたブロムホフは、茶道具、絵画、工芸品、人物模型、出島模型など、多岐にわたる日本文化資料を蒐集しました。

帰国後、それらをオランダ国王へ売却したことで、ヨーロッパ最初の本格的日本コレクションが成立します。19世紀初頭の日本文化を今日に伝える貴重な記録であり、日本とヨーロッパの文化交流の歴史を物語る遺産となっています。

特に興味深いのは、彼が収集した茶道具です。それは単なる「異国趣味の収集品」ではありませんでした。点前が成立するほど体系的に揃えられており、彼が「茶の湯」という文化そのものを理解しようとしていたことが分かります。

 私は長年茶道に携わる中で、ブロムホフは単なる収集家ではなく、ヨーロッパ“最初の茶人”であったのではないかと考えるようになりました。

昨年、オランダで出会った一枚の絵

昨年、展覧会の企画調査のため、オランダ・ライデンのオランダ国立世界文化博物館を訪問しました。そこで出会ったのが、川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。

この作品は長らくブロムホフ家の子孫によって大切に保管されてきました。しかし、その存在は知られていたものの、一般公開されることはありませんでした。

そして昨年、オランダ国立世界文化博物館へ寄贈され、公的コレクションの一部となったのです。

 作品寸法は、83 × 158.4 cm。額装を含めると 98.9 × 174.3 cm に及びます。

 実際に対面すると、その圧倒的な存在感に言葉を失いました。人物の表情、衣装の描写、細部に宿る空気感――。そこには、単なる異国風俗画ではない、「特別な時間」が描かれていました。

 オランダ国立世界博物館蔵・川原慶賀筆 ブロムホフ家族図

川原慶賀という絵師

川原慶賀筆「出島図」
オランダ国立世界文化博物館
川原慶賀(1786年~1860年頃)は、江戸時代後期の長崎で活躍した絵師です。出島を通じて来日したオランダ人や外国人との交流が盛んであった長崎にあって、彼は西洋人から高く評価され、とりわけシーボルトの依頼を受けて数多くの作品を制作したことで知られています。

慶賀は、日本の風俗、職人の仕事、祭礼、街並み、動植物、そして人々の暮らしを、驚くほど緻密な観察眼によって描き残しました。その作品は単なる絵画ではなく、写真の存在しなかった時代の日本を伝える貴重な視覚資料でもあります。

シーボルトは、日本の自然や文化をヨーロッパへ紹介するために膨大な資料を収集しましたが、その多くを支えたのが慶賀の筆でした。慶賀が描いた植物図譜や風俗画は、後にヨーロッパで刊行されたシーボルトの著作にも活用され、日本研究の発展に大きく貢献しています。

そして、《ブロムホフ家族図》は、慶賀の作品の中でも特に重要な一枚です。

この作品には、出島オランダ商館長ヤン・コック・ブロムホフ、その妻ティティア、息子ヨハネス、乳母のペトロネラ、そしてインドネシア系の召使が描かれています。鎖国下の日本において、西洋人一家が揃って描かれた例は極めて稀であり、当時の国際交流の実像を今に伝える貴重な記録となっています。

また、この作品は単なる家族肖像画ではありません。西洋の肖像画的な構成を取り入れながらも、日本人絵師ならではの細やかな観察によって、衣服の質感や人物の表情、所持品に至るまで克明に描写されています。そこには異国の人々への好奇心と敬意、そして長崎という国際都市ならではの視点を見ることができます。

《ブロムホフ家族図》は、美術作品であると同時に、出島を舞台とした日蘭交流の歴史を映し出す「時代の証言者」なのです。

なぜ、同じ構図の作品が複数存在するのか

ブロムホフの商館長としての来日は、当時の日本人に大きな衝撃を与えました。ブロムホフが家族を伴っていたからです。なかでも、出島に現れた西洋女性の姿は極めて珍しく、人々の強い関心を集めました。

そのため、長崎奉行所は絵師に命じて一家の姿を描かせ、その画像はさまざまな形で模写・再構成されながら広く流布していきます。肉筆画として描き継がれただけでなく、長崎版画として制作され、日本各地へと伝えられました。

現在でも数多くの異版や類似作品が残されており、その中には本来の人物像から離れ、「西洋婦人図」や「阿蘭陀夫婦図」として一般化したものも少なくありません。また、実際にはブロムホフ夫妻とは無関係でありながら、その名を冠して伝えられた作品も見られます。

それほどまでに、ブロムホフ一家の来航、とりわけ西洋女性の存在は、鎖国下の日本人の想像力をかき立てる出来事であったのです。[参考文献:東京大学所蔵の二つの「ブロムホフ家族図」松井洋子・高島晶彦著]

慶賀筆とされる同構図の家族図は世界に数点確認されていますが、本作品はその中でも最大の画面を有し、筆致も最も精緻であることから、現存作品群の中で最初に制作された可能性が高いと考えられます。

オランダ国立世界文化博物館の主任学芸員ダーン・コック氏は、興味深い見解を示しています。江戸時代、慶賀が描いた作品は長崎奉行所の検閲を受ける必要がありました。

一度、ある形式――この場合「背景を持たず、ソファに座るブロムホフ家族」という構図――について許可が下りると、その後は改めて検閲を受けることなく、同構図を繰り返し制作できたのではないかというのです。

 これは長崎湾や出島風景を描いた慶賀作品にも共通して見られる特徴です。つまり本作品は、単なる肖像画ではなく、鎖国時代における文化交流と検閲制度の痕跡をも伝える歴史資料でもあるのです。

この絵が描いた「最後の時間」

 この家族図は、ブロムホフが家族とともに長崎・出島で過ごした、かけがえのない時間を描いた肖像画です。当時、日本は鎖国体制下にあり、外国人の滞在には厳しい制限がありました。特に女性や子どもの渡航は許されていませんでした。しかしブロムホフは、その禁を越え、妻ティティアと幼い子どもを伴って来日します。けれど、その滞在は長く続きませんでした。家族はわずか三ヶ月ほどで日本を離れることになります。

 そして――

 それは、家族にとって永遠の別れでもありました。

この絵は、その別れを前にした、家族がともに過ごした最後の時間を描いた肖像です。他の同構図作品と⽐べても、⼈物の表情にはどこか厳しさと切迫感がにじみ出ており、当時の彼らが置かれていた状況が静かに迫ってきます。

異国の地で暮らす不安 
家族が引き離される予感

その時間が、この一枚には刻まれているのです。

ティティア ― 日本人を魅了した最初の西洋女性

わずかな滞在であったにも関わらず、妻ティティアは、西洋女性として初めて来日した存在として長崎の人々に強い印象を残しました。その姿は日本三大土人形の一つでもある地元長崎の「古賀人形」にも表され、「西洋婦人」として現在に至るまで記憶され続けています。

また、ティティアは、日本を訪れた最初の西洋女性として知られるだけではありません。彼女はスクエア・ピアノを出島へ持ち込み、日本で初めて西洋ピアノを演奏した人物としても知られています。

さらに、ティティアが残した書簡には、日本人から抹茶でもてなしを受けた様子が記されています。現存する史料から確認できる限りでは、ティティアは抹茶を飲んだ最初の西洋女性の一人と考えられます。

ブロムホフが茶道具を蒐集し、日本文化への理解を深めていた一方で、ティティア自身もまた日本の風俗や文化に強い関心を寄せていました。出島で供された一碗の抹茶は、単なる飲み物ではなく、日本人のもてなしの心に触れる体験だったことでしょう。

日本で初めてピアノを奏でた西洋女性。そして、日本人から抹茶でもてなしを受けた最初の西洋女性。その存在は、ブロムホフ一家が日蘭交流の歴史において特別な位置を占めていることを物語っています。

なぜ今修復は必要なのか

企画調査のためライデンを訪れた際、私はダーンさんから、この《ブロムホフ家族図》の保存状態について詳しくお話を伺いました。

作品は約200年という長い歳月を経ており、画面や額装には経年による劣化が見られます。しかし現在、オランダ国立世界文化博物館には、この作品を本格的に修復するための十分な体制が整っていないとのことでした。

その一方で、日本には江戸時代の絵画や表装に関する高度な修復技術が継承されており、本作品についても日本で修復を行うことが現実的かつ最善の選択肢であることを知りました。

私は長年にわたりブロムホフとそのコレクションを追い続けてきましたが、この貴重な作品を未来へ伝えるためには、今まさに修復が必要な時期に来ていることを強く実感しました。

「この展覧会という歴史的な機会に、この作品を修復し、日本で公開したい」と。

この作品は単なる西洋人肖像画ではありません。江戸時代、日本とオランダが唯一交流を続けていた時代の記憶であり、異国で生きた家族の記録であり、そして日本人絵師・川原慶賀が見つめた“世界”そのものなのです。 

 修復を担う人々

 本作品の修復は、京都の修復工房「宇佐美修徳堂」に依頼いたします。


修復を担当するのは、長年文化財修復に携わってきた宇佐美直治さん、そして次世代を担う宇佐美直希さんです。

文化財修復は、単に傷みを直す作業ではありません。作品が持つ時間や歴史を尊重しながら、未来へ受け渡していく極めて繊細な仕事です。

 今回の修復では、作品本来の姿を損なうことなく、完全公開と次世代への継承を可能にする修復を目指します。これは一枚の絵画を守るだけでなく、日本の修復技術そのものを未来へ繋ぐ取り組みでもあります。

 オランダ国立世界文化博物館
学芸員 ダーン・コックさんからのメッセージ


【ブロムホフ家族図の現在の状況】



修復スケジュール(予定)

 本プロジェクトでは、作品の安全性を最優先に、オランダと日本の関係者が連携しながら修復・公開準備を進めてまいります。


200年の時を経て蘇る『ブロムホフ家族図』
修復を経て、いよいよ日本の皆様の前に姿を現します

本プロジェクトでご支援いただきたい内容

 本クラウドファンディングでは、「ブロムホフ家族図」の修復および輸送費用へのご支援をお願いしております。

 具体的には、

・オランダ―日本間の往復輸送費
・日本国内輸送費
・修復費
・保存・展示準備費
・上記プロジェクトに関わる諸費用 

 などに充てさせていただきます。

 文化を未来へつなぐために
このプロジェクトは、一枚の絵画修復にとどまるものではありません。

江戸時代、日本とヨーロッパが交わった記憶
異国で生きた家族の時間
日本人絵師が見つめた世界

 それらを、未来へ受け渡すための試みです。もしこの作品が修復されなければ、この絵は静かに時の中へ埋もれていくかもしれません。だからこそ今、この作品をよみがえらせたい。

200年の時を超えて受け継がれてきたこの作品を、次の時代へ手渡したい。

 どうか皆さまのお力をお貸しください。

 心より、ご支援をお願い申し上げます。

茶道家 堀内議司男(壷中庵・宗長)


支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 人件費

  • リターン仕入れ費

  • ・オランダ―日本間の往復輸送費 ・日本国内輸送費 ・修復費 ・その他上記プロジェクトにかかる費用

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

支援に関するよくある質問

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最新の活動報告

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  • これまで私なりの「ブロムホフ家族図論」を展開してきました。 そのような考察が可能になった最大の理由は、昨年、ブロムホフ家の子孫からオランダ国立世界文化博物館へ、現在クラウドファンディングで修復を目指している《ブロムホフ家族図》が寄贈されたことにあります。 この作品の存在自体は以前から知られていました。しかし、長らくブロムホフ家に伝来する個人蔵であったため、美術史研究者でさえ実見する機会はほとんどなく、まさに「幻の家族図」ともいうべき存在でした。 さらに重要なのは、その来歴が極めて明確であることです。今回寄贈された作品は、ブロムホフの長男ヨハネスの子孫に代々伝えられてきた作品です。一方、アムステルダム国立美術館所蔵の六人構図は、ヨハネスの妻サラ・マリア・ファン・デ・ポルの家系に伝来したことが知られています。 つまり、二つの作品はともに由緒の確かな伝来をもち、それぞれ異なる家系に受け継がれてきたことが確認されています。このこと自体が、《ブロムホフ家族図》を研究するうえで極めて重要な意味を持っています。 その作品が公的な博物館に収蔵されたことによって、初めてアムステルダム国立美術館所蔵作品をはじめとする他の《ブロムホフ家族図》との本格的な比較研究が可能になりました。 私の考察も、その比較から得られた一つの仮説に過ぎません。しかし、この作品の公開によって、《ブロムホフ家族図》の制作順序や川原慶賀工房の制作実態を考える、新たな研究の扉が開かれたことは間違いないでしょう。 私は、この世界文化博物館所蔵作品こそ、現存する《ブロムホフ家族図》の本歌、あるいは少なくとも制作の基準となった作品ではないかと考えています。この作品を基準に比較することで、これまで一括して「川原慶賀筆」とされてきた作品の中にも、慶賀本人の制作だけではなく、工房による制作が含まれている可能性が見えてきます。 そして、なぜヨハネスの家系と妻サラ・マリアの家系に、それぞれ一枚ずつ家族図が伝わったのかという点も、新たな研究課題となります。 私見では、世界文化博物館所蔵作品は、ヨハネスにとって幼少期の家族の記憶を伝える肖像として受け継がれたのではないかと考えています。一方、アムステルダム国立美術館所蔵作品は、ジャワ人召使いの少年を加えた六人構図であり、十九世紀初頭のオランダ植民地社会において、奴隷や召使いを従えた家族像が社会的地位や成功を象徴する意味を持っていた可能性も考えられます。 もちろん、これは現段階では一つの仮説です。今後、美術史や保存修復、絵画技法などの専門家による精密な比較調査によって、その妥当性が検証されることを期待しています。 今回のクラウドファンディングは、単に一枚の絵を修復するためだけのものではありません。川原慶賀研究、そして日本とオランダを結ぶ美術史研究を大きく前進させる第一歩となるプロジェクトです。 ぜひ多くの方にブロムホフと川原慶賀の存在を知っていただき、この歴史的な研究の新たな展開を、ともに見届けていただければ幸いです。 もっと見る
  • 【ライクスミュージアムが残した「二人の画家」の謎】の投稿で、アムステルダム国立美術館 への問い合わせの返答がきました。 「お問い合わせの件について調べましたところ、2014年刊行のアジア美術コレクション・カタログに、この問題に関する記述があることが分かりました。該当するページを添付いたします。また、このカタログ項目を担当した学芸員に、共有できる基礎的な調査資料があるかどうかを問い合わせております。回答が届き次第、改めてご連絡いたします。」というお返事をいただきました。2014年刊行のアジア美術コレクション・カタログには下記の記述があります。 ブロムホフ家族石崎融思(1768–1846)または川原慶賀(1786頃–1860頃)1817年絹本着色 95.7 × 173.3cm所蔵番号:NG-2008-641817年8月15日、オランダからの船が長崎港に入港した。それ以前は1806年まで毎年オランダ船が来航していたが、その年ルイ・ボナパルトがオランダ王となって以降、日本との交易は完全に途絶えていた。1809年から1817年までの間には、わずか3隻のイギリス船が長崎港への入港を試みたものの、いずれも成功しなかった。この間ずっと出島商館長を務めていたヘンドリック・ドゥーフは、ヨーロッパで何が起こっているのかを知らなかった。彼は困難な状況の中で職務を果たしていたが、1817年、ようやくオランダ船が水平線上に姿を現したときには、さぞ安堵したに違いない。その船には、ドゥーフの後任としてヤン・コック・ブロムホフ(1779–1853)が乗っていた。彼は、日本当局を大いに困惑させることになる妻ティティア・ベルフスマ(1786–1821)、生後18か月の息子ヨハネス、乳母ペトロネラ・ムンス、そしてジャワ人の女中マラティを伴って来日した。これは、出島にはオランダ東インド会社の職員しか居住を許されていなかったため、規則に明らかに反する行為であった。ドゥーフとブロムホフは日本側当局に家族の滞在を願い出たが許可されず、12月6日、妻子と召使たちは長崎港を出帆し、ブロムホフだけが出島に残された。これは悲劇的な結末であり、夫妻は二度と再会することはなかった。出島で過ごしたこの4か月間は、非常に綿密に記録された。この前例のない出来事は、できる限り正確に記録される必要があると考えられたため、ブロムホフ一家を描いた絵画は、まるで記録写真のように細部に至るまで精密に制作された。この肖像画では、一家は互いに間隔を置いて配置されているが、これは明らかに演出された構図である。夫妻は椅子に腰掛け、乳母は立ち、女中は床に座り、もう一人の召使は後方に立っている。幼いヨハネスは恥ずかしそうに母親にしがみついている。この家族肖像には複数のヴァージョンが制作された。当時、石崎融思は出島で記録画家として活動していた。しかし、この無署名の作品は、石崎融思の弟子であった川原慶賀が描いた同じ構図の作品群に、より近い特徴を示している。そのため、この作品はブロムホフが私的に川原慶賀へ依頼して制作させたものである可能性がある。ブロムホフはこの肖像画を生涯手元に置き、1823年にオランダへ帰国した際にも持ち帰った。アムステルダム国立美術館は2008年、この作品を彼の子孫から取得した。何世紀もの間、日本にはヨーロッパ人女性が存在しなかった。そのため、ティティアの姿は長崎で制作された版画に大きな影響を与え、外国人を描いた土産物版画を求める国内旅行者の市場拡大に寄与した(図92A)。サイトの表記は曖昧で、実はアムステルダム博物館もこの家族図をブロムホフが依頼して川原慶賀に描かせたとみているようです。担当学芸員からの引き続きの回答を待っております。 もっと見る
  • 株式会社宇佐美修徳堂の宇佐美直治さんより、川原慶賀筆《ブロムホフ家族図》修復の進捗について、ご報告をいただきました。宇佐美さんは6月にオランダ・ライデンのオランダ国立世界文化博物館を訪れ、作品の状態調査と日本への輸送準備を行われました。 現地で確認したところ、《ブロムホフ家族図》には、絹の亀裂や欠損、汚れやシミ、彩色の剥離・剥落などが見られ、約200年の歳月による劣化が全体的に進んでいる状態でした。 ライデンでの現地作業では、まず額装の現状を記録するため、修復前の撮影、採寸および損傷調査を行いました。その後、額装を解体して絵画本紙のみの状態にしました。解体の結果、本紙には裏打ちが施されておらず、絹の裏面から彩色を施す「裏彩色」の技法が、非常に良好な状態で残っていることが確認できました。 続いて、本紙の表面および裏面に付着していた塵や埃を、彩色や基底材である絹に影響を与えないよう、柔らかい刷毛や筆を用いて慎重に除去しました。また、脆弱になっている彩色部分には膠水溶液を塗布し、剥落止め(絵具の安定作業)を行いました。 その後、ダーン学芸員に作業等を確認していただき、日本へ輸送するための梱包作業を行い、ライデンでの作業を終了しました。 今後は8月に作品が京都の宇佐美修徳堂へ到着し、本格的な修復が始まります。まず、蛍光X線分析などの科学的調査を実施し、使用されている顔料や制作技法について詳しく調べます。 9月からは、絹に付着した汚れやシミを可能な限り除去した後、薄美濃紙による第一回の裏打ちを行います。続いて、胡粉を混ぜた楮紙による第二回の裏打ちを施し、亀裂部分には細く裁断した和紙を貼って補強したうえで、第三回の裏打ちを行います。 裏打ち後は、和紙を張った下地に柿渋を塗布した「仮張り板」(乾燥版)に本紙を張って十分に乾燥させます。 これと並行して、額の組子下地を新調し、楮紙による六種類・九層にも及ぶ下張りを施すなど、日本の伝統的な表装技術を駆使した作業が進められます。 10月末頃には、修復を終えた絵画を下張り済みの額下地の表面に張り込み、裏面には無地の裂を張って京都での修復作業は終了する予定です。その後、ハウステンボス美術館で最終的な額装の仕上げを行い、すべての修復作業が完了します。 約200年の時を経て、川原慶賀が描いた《ブロムホフ家族図》が、日本の伝統修復技術によって新たな命を吹き込まれます。修復された作品は、2026年11月13日からハウステンボス美術館で開催される展覧会「OTEMAE ― ブロムホフ 茶道を愛した異邦人 ―」で、いよいよ一般公開される予定です。 完成の日まで、ぜひ温かく見守っていただければ幸いです。 もっと見る

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