
こんにちは!
昨日の投稿を読んでくださった方、ありがとうございました。
今日は、あのエピソードの背景にある「社会的な文脈」を、少し掘り下げてみたいと思います。
ちょっと(いやかなり?)硬い内容かもです。
あの親子は、すでに「支援につながっていた」
昨日ご紹介した親子。
娘さんのことで精神的にキツい状態で来てくださったお母さん。
扉を開けた瞬間の「相談室はどこ?2階?」という言葉。
そしてお店を出た途端に娘さんが笑顔で言った「また来よう」。
実はこの方は、すでに相談機関につながっていました。
担当の相談支援員さんも、もちろん真剣にこの方に向き合っていたはず。
それでも、届かないものがありました。
「障害のある親同士が、自然に話せる場所」
既存のご紹介できる先は少なからずありますが、より希望に沿った選択肢を制度の中に見つけられなかった。
それで相談支援員さんは私に連絡をしました。「こういう場や取り組みを知らないか」と。

データが示す「支援のミスマッチ」
これは、この親子だけの話ではありません。
令和6年度 内閣府「人々のつながりに関する基礎調査」では、こんな事実が明らかになっています。
孤立し、強い孤独感を抱える人の50.1%が、相談を「無駄・解決しない」と考えている。
さらに、支援につながっていても孤独感が解消されない「ミスマッチ群」と呼ばれる人たちの存在が示されています。
相談で「気持ちが楽になる」と感じながらも、「問題が解決する」とは思えていない。
支援の量や有無ではなく、その「質や内容」がニーズと合っていない可能性を、データは示しています。
支援制度が存在するだけでは、届かない。
その「最後の壁」が、日本社会に厳然と存在しています。

だから、アドカラーは飲食店でなければならない
相談窓口に行くということは、「自分には問題がある」と自覚して、
「どこに相談すべきか」を調べて、勇気を出して扉を開けるということです。
でも本当に追い詰められている人ほど、そのステップを踏む余力がない。
そして上記のデータが示すように、そういう人ほど「相談しても無駄」と思っている場合がある。
「ご飯を食べに行く」という動機には、その心理的ハードルがありません。
ただ食べに来た。
でもそこに人がいて、話せる空気があって、専門職もいる。
気づいたら話していた。
あの親子が「また来よう」と言えたのは、アドカラーが「相談に行く場所」ではなく「ご飯を食べに行く場所」だったからだと思います。
そこに専門職がいたから、自然な会話の中でそれぞれが必要なものを受け取れた。
支援の「手前」に、場所が必要だ
制度は、困っている人が「助けてほしい」と言えることを前提に設計されています。でも現実は逆です。最も困っている人ほど、助けを求めることができない。
アドカラーは、その「手前」に立とうとしています。
相談する必要がない場所として存在することで、相談できない人たちが自然と人とつながれる。それが、飲食店という形を選んだ理由です。
この場所を続けることの意味が、少し伝わったら嬉しいです。
※データ出典:令和6年度 内閣府「人々のつながりに関する基礎調査」及び関連分析



