今日は改めて、これまでのプロジェクトを振り返って今回のクラウドファンディング実施に至った経緯をお知らせしたいと思います。2018年 第1期クラウドファンディング実施第1期は、アニメーションなどを制作する前の企画・準備段階に必要な資金についてご支援を募りました。第1期では408万円のご支援をいただき、お預かりしたご支援金で台本を冨川元文さんに、キャラクターデザインとイメージ図をかわぐちかいじさんにお願いし、無事に完成することができました。これらの作業で、第1期でお預かりした資金の約90%を使わせていただきました。ここでコロナ禍などがあり、予定したアニメーションスタッフのみなさんを含め、動きが止まってしまいました。それらもあって、アニメーション作品は一時足踏み状態となりました。2026年 第2期クラウドファンディング実施にあたってその後も、先に進めたいとプロローグ・エピローグの実写部分の撮影を考え、協力依頼などに奔走していましたが、一進一退の状況が続いていました。第1期でご支援いただいたお金を無駄にすることはしたくない、と考えていたところ、広島から第1期に支援・応援してくださった方々より、2030年の被爆85年に向けて作って欲しいと強い応援の声が届き、みなさんの応援に背中を押されて再スタート(第2期クラウドファンディング)を決心しました。第1期で残った約10%の資金を使用させていただき、第2期クラウドファンディングのための準備を進めてきました。21世紀となり、世界は一層不安な時代となり、20世紀に世界ではじめて使用された核兵器の凄惨さを後世に伝え残すために私たちにできることは、『ヒロシマ・夏の名残のバラ』を作り残すことだと思っています。今回第2期目は、アニメーション本体を制作するためのクラウドファンディングです。内訳は、アニメーション監督・絵コンテ約500万円、アニメの原画・動画約900万円、彩色約450万円、撮影約400万円、音楽作曲・演奏・録音約1000万円、吹き替え約750万円。計5000万円を考えています。その後、劇場配給やテレビ放映などについては、映画配給会社や放送局などと話し合うことになります。まずはアニメーション映画を完成させることが、これまでご支援、応援くださった方々、そしてこれから応援してくださる方に応えることだと思います。第2期のクラウドファンディングをスタートしてから、色々な方とお話しし、新たな出会いもあり、改めてみなさんの応援に胸が熱くなりました。しっかり完成させますので、これからもご支援をよろしくお願いします。
9月7日〜8日に、広島・尾道を訪問。プロジェクトメンバーである広島の中尾達史さんと、直接会って打ち合わせをしました。その他にも沢山の出会いがあり、一部をここでご紹介します。【9月7日 広島・尾道】・読売新聞広島総局の方からご連絡をいただき、取材を受けました。・尾道に移動して、今回のプロジェクトの広報で協力いただいているスタジオネオの伊波さん・菅野さんと合流。応援していただける徳永さんともお会いしました。尾道は、キャラクターデザインをしていただいた「かわぐちかいじ」さんの出身地であり、ぜひ訪問したいと考えていました。尾道は、映画監督・小津安二郎、大林宣彦などの数多くの名作の舞台になった、映画ファンにとっての聖地なんですね。大林宣彦監督の作品に登場する喫茶店にも訪れ、映画談義に花が咲きました。【9月8日 広島】・広島フィルムコミッションや広島市映像文化ライブラリーに立ち寄り、・お昼には広島平和記念資料館前で中尾達史さんと再会し、打ち合わせをしました。・その後は、広島・宮島線で草津南の「泉美術館」へ。2023年に開催された展覧会「広島の記憶」では、被爆以前の広島の街を描いた画や写真などが紹介されていましたので、そのカタログなどを目当てに訪問しました。・最後は、広島で映画上映活動をされている友川千寿美さんともお会いしました。2日間で、多くの情報やネットワークを知ることができて、大変有意義な訪問となりました。と同時に、応援してくださる方々の熱意に触れ、この作品を必ず完成させたいと思いを新たにしました。
CAMPFIREのプロジェクトを開いてくださった方から「動画」のピアノ演奏について連絡いただきました。演奏曲名は、誰でもご存じの「庭の千草」です。原曲はアイルランド民謡The last rose of Summer.(和訳「夏の名残のバラ」)です。本作品のタイトルのヒントにさせていただきました。昔からの友人のピアニストの方に演奏をお願いしたのですが、最近鍵盤をあまりさわらないので指が動かないとのことで、その方の友人が演奏してくださいました。前奏部分もつけて録音いただきました。
9月2日朝かわぐちかいじさんも見られて、いよいよスタートのようですねとメールをいただきました。
8月22日 キャラクターデザインをしてくださったかわぐちかいじさんを訪問。久しぶりに仕事場でお会いしました。大変お元気で出筆中。「ヒロシマ・夏の名残のバラ」の再スタートをお伝えしました。応援いただきました。お話の中でかわぐちかいじさんと僕は、何と1948年(昭和23年)生まれだったことがわかりました。がんばります!!!



