
かつて早川の人々は、山を向いて生きていました。
現在のような川沿いの道ができる以前、外へ出るには、往還や峠道を越えていきました。畑も山にありました。場所によっては村役場や学校も山の上にありました。
山は、遠くから眺めるものではありませんでした。仕事も、学びも、町の外との行き来も山の中にあり、日々の視線と足は山へ向いていたと想像しています。

その暮らしの向きが大きく変わったのは、大正時代。
水力発電所の建設が始まり、早川沿いにトロッコ軌道が敷かれ、それまでは川を流していた材木を、トロッコで運び出すようになりました。やがて軌道は外され、車が走るようになり、現在の県道南アルプス公園線へとつながっていきます。
人や物の流れは、山を越える方向から、川沿いを下る方向へ変わりました。交通が便利になり、通学、仕事、買い物、医療など、私たちの暮らしは川沿いに下流とのつながりを強めていきました。

ただ、道が川沿いに移ったからといって、すぐに山との関わりがなくなったわけではありません。
林業、鉱山、水力発電。山と深くつながった産業や営みが賑わっていた時代には、仕事や祈りのために多くの人が山へ入り、山はまだ暮らしの前面にありました。
やがて、そうした産業や営みも衰え、山へ入る人が少なくなり、身体が山へ向かわなくなるにつれて、私たちの意識も山から離れ、山は暮らしの正面から背景へと、変わっていったのではないかと感じています。
私たちが作りたい「山の共同よろず小屋」は、
川下を向いて生きる今の暮らしの中に、もう一度、山を向く時間をつくる。山へ入り、手を動かし、そこにある知恵や人との関係を結び直す。
そのための場所です。

この挑戦を見守り、支えてくださっている皆さまに、改めて感謝いたします。この取り組みに共感していただけましたら、山や地域の暮らしに関心のありそうな方へ、この活動報告やプロジェクトページを共有していただけるとうれしいです。
これからも、早川町の山や暮らしの様子、地域に残る知恵、準備の進捗などを活動報告でお伝えしていきます。



