
ここからは、山の暮らしが、実際にどのように人と自然の境界を守ってきたのかについて、考えてみたいと思います。
かつて早川の多くの集落では、今では木に覆われている山の中腹まで、畑が広がっていました。
人が畑へ通い、作物を育て、周囲の草を刈る。山の斜面に人の目と手が入り続けることで、獣が身を隠したまま集落の近くまで下りてこられる藪は、今よりずっと少なかったはずです。

もちろん、それでも獣による被害はあったでしょう。作物を目当てに、鳥や獣がやって来ることも当然あったと思います。
大切なのは、そこが人の手の入り続ける場所だったということです。
畑を耕し、草を刈る。その向こうの山から薪を拾い、木を伐る。炭窯のある山へ通い、炭を焼く。山菜やきのこを探す。山道を歩き、水源を見回る。猟に出て、犬とともに山を歩く。
どれも、人が生きるために必要だった営みです。
しかし結果として、こうした営みは、三つの働きを果たしていたのではないかと思います。
一つは、草や藪に覆われる場所を減らし、山と集落との間の見通しを保つこと。
一つは、人が繰り返し山へ入り、そこが「人のいる場所」であることを示し続けること。
そしてもう一つは、足跡や糞、食痕、気配や鳴き声などから、獣の存在に早く気づくことです。
山の暮らしが守っていた人と自然の境界は、柵のように両者を隔てる一本の線ではなく、ある程度の幅を持った場所でした。
人は山から資源を調達し、鳥や獣は人の作物を目当てに近づいてくる。人は追い払い、ときには捕らえ、獣もまた人の気配を感じて距離を取る。そうやって、その都度、互いの距離を取り直してきました。
そうした営みの重なりが、集落と奥山との間に、「人の気配が続く、幅のある場所」をつくっていたのだと思います。
それは、自然を人の暮らしから切り離すことではありません。人もまた自然の中で生きながら、山や獣との距離を絶えず調整してきたのでしょう。
人と自然の境界は、そこに線を引けば守れるものではない。日々の暮らしのなかで、人が山に関わり続けることによって、保たれてきたものなのだと思います。




