
集落と奥山との間には、「人の気配が続く、幅のある場所」がありました。その幅の中で、実際にどのようなやり取りがされていたのか。早川で見聞きした三つの話を紹介したいと思います。
一つ目は、山の畑と鳥の話です。
山の斜面を伐り拓いてつくった畑では、主に穀類や豆を育てていました。山の畑は人の目が届きにくく、雉や山鳥に作物を食べられることもあったと聞きます。そこで畑の片隅に、人が身を隠して鳥を待つための小屋をつくり、鳥が出てくると鉄砲で撃ち、その命をいただいたそうです。
「作物を食べられても、出てきた鳥や獣を捕って食べれば、それでおあいこ」
こんな言葉が印象に残っています。

二つ目は、犬の話です。
昔は、猟師も猟犬も今よりずっと多かったと聞きます。放して飼われていた犬たちは、獣の気配を感じると、何頭かで山へ入っていくことがあったそうです。
二日も三日も帰ってこないことがあり、
「きっと山で獲物を追い詰めて、その場で食べて、満足して寝てきたんだろう」
そんなふうに話す人もいました。
犬が獣の気配を感じ取って山へ入る。犬は人の力だけでは届かないところを補いながら、集落へ近づく獣との距離を取り直してくれていたのでしょう。

三つ目は、蜂蜜と熊の話です。
早川町では、今もニホンミツバチを飼っている人がいます。
集落と山との際に置かれた巣箱が、蜂蜜の匂いを嗅ぎつけた熊に襲われたという話を、毎年のように聞きます。集落付近に現れた熊が、有害鳥獣捕獲によって捕らえられたときには、その肉をいただくこともあります。
一方で、蜂には気の毒ですが、巣箱が襲われたことで、それまで見えなかった熊の存在に人が気が付くことにつながってもいます。養蜂という営みが、結果として、山から集落へ近づく熊の動きを知らせる、一つのセンサーのような役割も果たしているのかもしれません。
穀物と鳥。獣と犬。蜂蜜と熊。
作物を作っても、全てが人間のものになるわけではない。ある程度、獣や鳥に食べられることは折り込みながらも、人の暮らしが成り立たなくなるところまでは明け渡さない。時には、捕らえた命も、恵みに変える。
もちろん、実際の被害がいつも「おあいこ」で済んだわけではないでしょう。それでも、この感覚の中には、人も山から恵みをいただいて生きているという自覚と、自分たちも自然に働きかけていかなければ暮らす環境は維持できないという、覚悟のようなものが表れているように思います。
山の恵みをいただきながら、獣や鳥の動きを見て、その都度、距離を取り直す。
自然と共に生きるとは、自然への働きかけをやめることではなく、恵みと被害、感謝と緊張の間で、どこまで受け入れ、どこから守るのかを判断し続けることなのだと思います。



