延岡で「助けて」と言えない子ども家庭を地域で支え続けたい。

宮崎県延岡市で5年以上続けてきた「子ども宅食」。食支援・見守り・相談支援を通じて、「助けて」と言えない子どもと家庭への継続的なつながりを届け続けたいです。

現在の支援総額

895,500

35%

目標金額は2,500,000円

支援者数

137

募集終了まで残り

10

延岡で「助けて」と言えない子ども家庭を地域で支え続けたい。

現在の支援総額

895,500

35%達成

あと 10

目標金額2,500,000

支援者数137

宮崎県延岡市で5年以上続けてきた「子ども宅食」。食支援・見守り・相談支援を通じて、「助けて」と言えない子どもと家庭への継続的なつながりを届け続けたいです。

第三章 「私にはこの子がいる」

ある冬の寒い朝、けたたましい警報音で目を覚ました。

台所へ行くと、母がひもで縛られていた。そのそばには、あの男が立っていた。

「暴れるから縛った」

そう言われた。

意味は分からなかったが、僕は母のひもを解いた。警報音の理由を尋ねると、ガスコンロからガスが出ているせいだと言われた。

後になって知った。母と男は、僕たち子どもを巻き込んでガス自殺を図ったのだという。母もそれに賛成していたと聞かされた。

僕は理科の授業で習ったガスの性質を思い出した。コンロの栓を閉め、玄関の扉を開けた。ほうきを持ち、天井を掃くようにして空気を動かした。

しばらくすると、警報音は止まった。

家族の命を救ったなどという実感はなかった。ただ、うるさい音を止めなければならないと思って動いただけだった。

そのとき、目にした光景を今も忘れられない。

母は眠っている妹だけを抱きしめて、言った。

「私にはこの子がいる」

僕もそこにいた。

ガスを止め、玄関を開け、家の中の空気を動かした僕も、同じ部屋にいた。

けれど、その言葉を聞いたとき、母に選ばれたのは妹だけなのだと思った。

子どもだった僕が家族を守った。けれど、その場で僕だけが家族の外側へ押し出されたような気がした。



第四章 「その他」に丸がついた日

小学校を卒業したら、また引っ越すと言われた。もう、どうでもよかった。

次に移ったのは、母の実家から少し近い場所だった。二軒長屋のぼろぼろの家。汲み取り式のトイレ、五右衛門風呂、二部屋だけの2K。

それでも、広島で一緒に暮らした男も、その息子たちもいなかった。

学校生活はまあまあ楽しかった。バスケットボール部に入り、友達もできた。同級生の女の子たちが、「家に遊びに行ってもいい?」と聞いてくることもあった。

でも、家を見せたくなかった。

ある日、母から実父に電話をかけるよう言われた。養育費を払ってもらうように伝えろという。電話の横で母は、声を潜めて言った。

「自転車が欲しいと言いなさい」

自分の希望として父に頼むように言われた。子どもの僕が、親同士のお金の話を運ぶ役目になった。

ある夏休みの暑い日、母から「今日は来客があるから、制服を着て家にいて」と言われた。きちんとしたシャツを着て名札を付けた男性が二人やってきた。

その数時間前から、母はなぜかエアコンを切った。

「エアコンは壊れていると言いなさい」

母の軽自動車も、その日だけいつもの駐車場にはなかった。

男性たちは僕にいろいろなことを尋ね、三十分ほどで帰っていった。

後になって、彼らが生活保護の担当者だったと知った。

うちは母子家庭の生活保護世帯だった。

担当者が定期的に訪問するたびに、「エアコンは壊れている」「車はない」と、うそをつくように言われた。なぜそうしなければならないのか、子どもの僕には分からなかった。ただ、大人に本当のことを言ってはいけない家なのだと覚えた。

当時、中学校では毎月、諸費を集める集金袋が配られた。袋には「長子・次子・その他」と書かれていた。同じ学校にきょうだいがいる場合、徴収額が変わるためだった。

僕は長男だった。しかし、僕の袋には「その他」に丸がついていた。

友達が聞いた。

「なんで長男やとに、その他に丸がついてるん?」

僕自身もよく分からなかった。しかし、その質問で気づいた。生活保護世帯だからだ。

僕は母に、もう集金袋を学校へ持って行きたくないと訴えた。母は、毎月納めなくてよいように年間分を一括で払ってくると言い、学校へ行った。

次の日から、朝食はパンの耳だけになった。



第五章 茶色い弁当

僕はバスケットボール部に入っていたが、バッシュを買ってもらえなかった。

しばらくは体育館シューズで練習した。友達にからかわれるのが嫌で、何度も母に頼んだ。ようやく買ってきてくれたのは、コンバースのワンスターだった。

それ、スニーカーじゃん。

そう思ったが、ないよりはましだった。試合に出るときは、後輩のバッシュを借りて履いた。

当時通っていた中学校には給食がなく、毎日弁当を持参した。

母は料理が上手だった。けれど、僕の弁当だけはいつも茶色かった。

魚のあらや大根を、しょうゆで煮ただけのおかず。アルミホイルすら買えなかったのか、ご飯とおかずの仕切りはなかった。昼にふたを開ける頃には、白いご飯まで煮汁で茶色に染まっていた。

隣の弁当には、赤いウインナーや黄色い卵焼きが入っていた。色とりどりのおかずがきれいに仕切られていた。

僕は弁当を隠しながら食べた。食べないという選択肢はなかったが、できるだけ目立たないように急いで食った。

家が貧しいと、子どもは何も分かっていないようで、よく分かっている。

バッシュを持っていないこと。弁当の色が違うこと。集金袋の丸が違うこと。友達の家では当たり前にあるものが、自分の家にはないこと。

一つ一つは小さな違いでも、それが毎日積み重なると、自分だけが別の場所にいるような気持ちになる。

だから家に友達を呼ばなかった。だから本当のことを話さなかった。困っていると知られるくらいなら、何も必要としていない顔をした。


次回

第6章 ザボンの置かれた玄関

第7章「お兄ちゃん」と呼ばれた僕

第8章「ダンディ健吾いるか」

へ続く。

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