延岡で「助けて」と言えない子ども家庭を地域で支え続けたい。

宮崎県延岡市で5年以上続けてきた「子ども宅食」。食支援・見守り・相談支援を通じて、「助けて」と言えない子どもと家庭への継続的なつながりを届け続けたいです。

現在の支援総額

895,500

35%

目標金額は2,500,000円

支援者数

137

募集終了まで残り

9

延岡で「助けて」と言えない子ども家庭を地域で支え続けたい。

現在の支援総額

895,500

35%達成

あと 9

目標金額2,500,000

支援者数137

宮崎県延岡市で5年以上続けてきた「子ども宅食」。食支援・見守り・相談支援を通じて、「助けて」と言えない子どもと家庭への継続的なつながりを届け続けたいです。

第六章 ザボンの置かれた玄関

中学三年生のある朝、学校へ行こうと玄関を開けると、大きなザボンが置いてあった。

それを見た母は泣いていた。

鹿児島でよく見かける大きな柑橘類。広島で一緒に暮らしたあの男は、鹿児島出身だった。

ザボンを見た瞬間、何かがまた動き始めたのだと分かった。

その後すぐ、母から引っ越すと言われた。場所は近くだったが、今度は一戸建ての貸家だった。風呂もトイレもきれいだった。豪華という意味ではない。ただ、普通だった。

母は、広島で一緒に暮らしたあの男と再婚した。

再婚してもいいかとは聞かれなかった。

広島へ連れて行かれたときと同じように、気づけば生活が決まり、いつの間にか一緒に暮らし始めていた。

ただし、男の息子二人とは一緒に住まなかった。母は言った。

「自分の子でない子を育てる自信がない」

広島では、男の子たちと僕たちが一緒に暮らしていた。母の言葉を聞きながら、自分はどうなのだろうと思った。継父にとって僕と妹も、自分の子ではない。

けれど、高校受験を控えた僕には、継父のことを気にかける余裕はなかった。

母からは、繰り返し言われていた。

「県立高校に落ちたら就職してもらう」

落ちれば働く。受かれば高校へ行ける。

十五歳の進路は、夢ではなく家計によって決まろうとしていた。


そして高校入学と同時に、僕の名字は変わった。

周囲の友達に気を遣われるのが嫌だった。そこで自分から「ダンディ健吾」というあだ名をつけ、下の名前で呼んでもらうよう仕向けた。

けれど、友達の方がずっと大人だった。



第七章 「お兄ちゃん」と呼ばれた僕

ある日、母が雑種の子犬をもらってきた。

うちには、いつも何かしらペットがいた。

ただ、飼い方は放し飼い同然だった。

今思えば、十分な余裕もない家庭で動物を飼うのは、無責任だったのかもしれない。

それでも、僕はペットたちに救われていた。

子犬には「J.J」と名付けた。J.Jは僕にとても従順だった。学校から帰って飯を食うと、すぐに散歩へ出た。河原に座り、長い時間、J.Jに話しかけた。

「大人になったら絶対に金持ちになる」

「鳥の骨ばかりじゃなくて、ステーキを食わせてやる」

「こんな田舎じゃなくて、都会へ行こう」

当時は見たこともなかったが、後から思えば、映画『スタンド・バイ・ミー』のような時間だった。

家の中では、母と継父の関係が荒れていった。

僕が夜更けに帰ると、割れた皿を片付けた跡があった。ふすまが破れていた。きれい好きの母が、食べ終わった食器を放置していた。

チラシの裏に、こう書かれていたこともある。

「自分のことは自分でしなさい!」

何があったのかは分かった。でも、関わるのが面倒だった。

継父が母や妹を一方的に殴っている場面を見たわけではない。反対に、比較的小柄な母が、背の高い継父を本気で叩いている場面を何度も見た。

そのたびに、僕は妹の目をふさいだ。

大人同士のことなのに、妹に見せてはいけないと思った。

母が叩き続けると、継父も時折、「やめろ!」と声を荒らげ、母を払いのけた。

その瞬間、僕は母の前に立った。

継父に対抗できるのは、僕しかいないと思った。

感情が高まり、つかみ合いになった。我を忘れて取っ組み合った。口から出る言葉は、「うるせえ」「死ね」だった。

思い返せば、僕と継父の間には、喧嘩になる直接の理由はなかった。

十五歳の僕と、三十五歳の継父。

ただ戦う、二匹のオスのようだった。

喧嘩が終わると、母は決まって妹を抱きしめた。

「おとうさんも、お兄ちゃんもイヤだね」

母を守るために前へ出たはずの僕は、いつの間にか継父と同じ「嫌な男」の側に置かれていた。

そういえば、母はいつからか僕を「健吾」と呼ばなくなっていた。

「お兄ちゃん」

僕もいつからか、「母さん」と呼ばなくなった。

「ねえ」とか、「ちょっと」。

人に話すときは、「あの人」とか、母の名前に「さん」をつけて呼んだ。

名前を呼ばなくなるほど、親子の距離は遠くなっていた。

初めは母を守ろうとしていたのだと思う。けれど、やがてそんな理由も消えた。

目の前にいる継父をどうやっつけるか。自分の方が強いと、どうやって分からせるか。どう屈服させるか。俺がいる限り、お前の好きにはさせない。

もう、守るもクソも何もなかった。

継父は、ただ嫌いな存在になった。



第八章 「ダンディ健吾いるか」

母のいら立ちは次第にエスカレートした。顔を合わせれば、僕に文句を言った。

継父との取っ組み合いを毎日のように繰り返し、僕の暴力にも歯止めが利かなくなっていた。

ある日、僕は母の横面をはたき、机をひっくり返した。

泣きじゃくる妹を見て、我に返った。

J.Jを連れて家を飛び出した。制服のまま、泣きながら担任の先生の家を訪ねた。

先生は最初こそ驚いたが、僕の家庭事情を知っていた。何があったのかと問い詰めることはなかった。

「風呂入れ」

そう言って、すぐに風呂を沸かしてくれた。

風呂から出ると、ご飯とみそ汁が用意されていた。

「これ食え」

僕が食べている間も、先生は深刻な話をしなかった。

「うまいだろ」

「ここの店の味噌にこだわってるんだ」

先生は、たわいのない話をした。

けれど、そんな話がありがたかった。

J.Jは途中で勝手に家へ帰っていった。賢い犬だった。

制服で飛び出してきた僕に、先生は自分のスウェットを貸してくれた。

「俺はいつもソファで寝てるから、俺のベッドで寝ろ」

翌朝は朝飯も作ってくれた。

「俺は先に学校へ行くから、お前も遅れず来いよ」

「鍵はここに入れとけよ」

先生は、家の鍵を僕に預け、先に出た。

学校へ行くと、先生は昨夜のことを何も言わなかった。僕を呼び出すことも、みんなの前で特別扱いすることもなかった。

出席簿を開き、いつもの調子で声を上げた。

「ダンディ健吾いるか~?」

普通に出席を取った。

僕は普通に返事をした。

その日の放課後、いつもどおり家へ帰った。母から文句は言われなかった。

僕はJ.Jにだけ言った。

「悪かったな」

餌をやり、頭をなでた。自分も飯を食い、いつものように河原へ散歩に行った。夜更けに帰ると、また何事もなかったように一日が終わった。

先生は僕の問題を解決したわけではない。

ただ、風呂を沸かし、飯を食わせ、寝床を用意し、次の日には普通の生徒として名前を呼んだ。

あの夜の僕に必要だったのは、説教でも事情聴取でもなかったのだと思う。

一晩、安心して眠れる場所だった。


別の日には、仲のよい友達とゲームセンターで殴り合いになった。金を貸した、借りたという、今となってはどうでもよい理由だった。

美術の先生が体当たりで止めてくれた。正座をさせられ、説教された。

先生は言った。

「お前の心は、もっと美しいはずだ」

問題行動だけではなく、その奥にいる僕まで見てもらえたような気がした。

あの言葉も、今も残っている。


次回

第9章「父」という文字のある仕事

第10章 合格しても、進学できない

第11章 腹が減ったら寝るにかぎる

へ続く。

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