
第六章 ザボンの置かれた玄関
中学三年生のある朝、学校へ行こうと玄関を開けると、大きなザボンが置いてあった。
それを見た母は泣いていた。
鹿児島でよく見かける大きな柑橘類。広島で一緒に暮らしたあの男は、鹿児島出身だった。
ザボンを見た瞬間、何かがまた動き始めたのだと分かった。
その後すぐ、母から引っ越すと言われた。場所は近くだったが、今度は一戸建ての貸家だった。風呂もトイレもきれいだった。豪華という意味ではない。ただ、普通だった。
母は、広島で一緒に暮らしたあの男と再婚した。
再婚してもいいかとは聞かれなかった。
広島へ連れて行かれたときと同じように、気づけば生活が決まり、いつの間にか一緒に暮らし始めていた。
ただし、男の息子二人とは一緒に住まなかった。母は言った。
「自分の子でない子を育てる自信がない」
広島では、男の子たちと僕たちが一緒に暮らしていた。母の言葉を聞きながら、自分はどうなのだろうと思った。継父にとって僕と妹も、自分の子ではない。
けれど、高校受験を控えた僕には、継父のことを気にかける余裕はなかった。
母からは、繰り返し言われていた。
「県立高校に落ちたら就職してもらう」
落ちれば働く。受かれば高校へ行ける。
十五歳の進路は、夢ではなく家計によって決まろうとしていた。
そして高校入学と同時に、僕の名字は変わった。
周囲の友達に気を遣われるのが嫌だった。そこで自分から「ダンディ健吾」というあだ名をつけ、下の名前で呼んでもらうよう仕向けた。
けれど、友達の方がずっと大人だった。
第七章 「お兄ちゃん」と呼ばれた僕
ある日、母が雑種の子犬をもらってきた。
うちには、いつも何かしらペットがいた。
ただ、飼い方は放し飼い同然だった。
今思えば、十分な余裕もない家庭で動物を飼うのは、無責任だったのかもしれない。
それでも、僕はペットたちに救われていた。
子犬には「J.J」と名付けた。J.Jは僕にとても従順だった。学校から帰って飯を食うと、すぐに散歩へ出た。河原に座り、長い時間、J.Jに話しかけた。
「大人になったら絶対に金持ちになる」
「鳥の骨ばかりじゃなくて、ステーキを食わせてやる」
「こんな田舎じゃなくて、都会へ行こう」
当時は見たこともなかったが、後から思えば、映画『スタンド・バイ・ミー』のような時間だった。
家の中では、母と継父の関係が荒れていった。
僕が夜更けに帰ると、割れた皿を片付けた跡があった。ふすまが破れていた。きれい好きの母が、食べ終わった食器を放置していた。
チラシの裏に、こう書かれていたこともある。
「自分のことは自分でしなさい!」
何があったのかは分かった。でも、関わるのが面倒だった。
継父が母や妹を一方的に殴っている場面を見たわけではない。反対に、比較的小柄な母が、背の高い継父を本気で叩いている場面を何度も見た。
そのたびに、僕は妹の目をふさいだ。
大人同士のことなのに、妹に見せてはいけないと思った。
母が叩き続けると、継父も時折、「やめろ!」と声を荒らげ、母を払いのけた。
その瞬間、僕は母の前に立った。
継父に対抗できるのは、僕しかいないと思った。
感情が高まり、つかみ合いになった。我を忘れて取っ組み合った。口から出る言葉は、「うるせえ」「死ね」だった。
思い返せば、僕と継父の間には、喧嘩になる直接の理由はなかった。
十五歳の僕と、三十五歳の継父。
ただ戦う、二匹のオスのようだった。
喧嘩が終わると、母は決まって妹を抱きしめた。
「おとうさんも、お兄ちゃんもイヤだね」
母を守るために前へ出たはずの僕は、いつの間にか継父と同じ「嫌な男」の側に置かれていた。
そういえば、母はいつからか僕を「健吾」と呼ばなくなっていた。
「お兄ちゃん」
僕もいつからか、「母さん」と呼ばなくなった。
「ねえ」とか、「ちょっと」。
人に話すときは、「あの人」とか、母の名前に「さん」をつけて呼んだ。
名前を呼ばなくなるほど、親子の距離は遠くなっていた。
初めは母を守ろうとしていたのだと思う。けれど、やがてそんな理由も消えた。
目の前にいる継父をどうやっつけるか。自分の方が強いと、どうやって分からせるか。どう屈服させるか。俺がいる限り、お前の好きにはさせない。
もう、守るもクソも何もなかった。
継父は、ただ嫌いな存在になった。
第八章 「ダンディ健吾いるか」
母のいら立ちは次第にエスカレートした。顔を合わせれば、僕に文句を言った。
継父との取っ組み合いを毎日のように繰り返し、僕の暴力にも歯止めが利かなくなっていた。
ある日、僕は母の横面をはたき、机をひっくり返した。
泣きじゃくる妹を見て、我に返った。
J.Jを連れて家を飛び出した。制服のまま、泣きながら担任の先生の家を訪ねた。
先生は最初こそ驚いたが、僕の家庭事情を知っていた。何があったのかと問い詰めることはなかった。
「風呂入れ」
そう言って、すぐに風呂を沸かしてくれた。
風呂から出ると、ご飯とみそ汁が用意されていた。
「これ食え」
僕が食べている間も、先生は深刻な話をしなかった。
「うまいだろ」
「ここの店の味噌にこだわってるんだ」
先生は、たわいのない話をした。
けれど、そんな話がありがたかった。
J.Jは途中で勝手に家へ帰っていった。賢い犬だった。
制服で飛び出してきた僕に、先生は自分のスウェットを貸してくれた。
「俺はいつもソファで寝てるから、俺のベッドで寝ろ」
翌朝は朝飯も作ってくれた。
「俺は先に学校へ行くから、お前も遅れず来いよ」
「鍵はここに入れとけよ」
先生は、家の鍵を僕に預け、先に出た。
学校へ行くと、先生は昨夜のことを何も言わなかった。僕を呼び出すことも、みんなの前で特別扱いすることもなかった。
出席簿を開き、いつもの調子で声を上げた。
「ダンディ健吾いるか~?」
普通に出席を取った。
僕は普通に返事をした。
その日の放課後、いつもどおり家へ帰った。母から文句は言われなかった。
僕はJ.Jにだけ言った。
「悪かったな」
餌をやり、頭をなでた。自分も飯を食い、いつものように河原へ散歩に行った。夜更けに帰ると、また何事もなかったように一日が終わった。
先生は僕の問題を解決したわけではない。
ただ、風呂を沸かし、飯を食わせ、寝床を用意し、次の日には普通の生徒として名前を呼んだ。
あの夜の僕に必要だったのは、説教でも事情聴取でもなかったのだと思う。
一晩、安心して眠れる場所だった。
別の日には、仲のよい友達とゲームセンターで殴り合いになった。金を貸した、借りたという、今となってはどうでもよい理由だった。
美術の先生が体当たりで止めてくれた。正座をさせられ、説教された。
先生は言った。
「お前の心は、もっと美しいはずだ」
問題行動だけではなく、その奥にいる僕まで見てもらえたような気がした。
あの言葉も、今も残っている。
次回
第9章「父」という文字のある仕事
第10章 合格しても、進学できない
第11章 腹が減ったら寝るにかぎる
へ続く。



