
十五章 「行きづらい」
実際に子ども食堂を始めると、想像していたのとは少し違った。
子ども以外の人も多く来た。困ってなさそうな家庭も来ていた。
それでもよかった。子ども食堂は、貧困家庭だけを選別する場所ではない。地域の誰もが一緒に食べられる場所であることにも意味がある。
ただ、本当に来てほしい家庭が来ていなかった。
ある母親に、「子ども食堂においで」と声をかけた。
母親は言った。
「行きづらい」
別の子ども食堂へ行ったことがあるという。
「予約制で断られた」
「遅い時間に行ったら、公民館の靴箱に弁当がぽつんと置かれていて、惨めだった」
「何を話すわけでもなく、タダで食べさせてもらっている気がした」
「子ども食堂って、貧困家庭が行くところでしょって、周りが言ってた」
食事を必要としていなかったわけではない。
必要だからこそ、行ってみた。それでも、支援を受けるために、自分たちが困窮家庭だと示さなければならないような感覚が、母親を傷つけていた。
場所を用意して「来てください」と言うだけでは、届かない人がいる。
支援を必要としている人ほど、支援の場所へ来られないことがある。
第十六章 待ってちゃダメだ
ほどなくして、新型コロナウイルスが広がった。
災害時の地域拠点としても期待されていた子ども食堂は、軒並み開催を中止した。
僕たちの子ども食堂は、それでも活動を続けた。ただし、会食は禁止された。できることは弁当の配付だけだった。
通常の子ども食堂よりも、多くの人が弁当を取りに来た。
「お弁当どうぞ」
「ありがとうございます」
たった、それだけだった。
弁当は渡せた。けれど、家庭が何に困っているのかは分からない。子どもの相談に乗れるわけもなかった。
弁当を手渡しても、関係まではつくれない。
来てもらうのを待っていてはだめだと思った。
「待ってちゃダメだ。こちらから行こう」
2020年12月。コロナ禍の真っただ中で、のべおか子ども宅食を始めた。
最初は十世帯だった。スタッフは二人一組になり、四台の車に分かれた。
フードドライブで寄せられた米、レトルト食品、お菓子、日用品。集まった品を家庭ごとに仕分けし、袋に詰め、車に積み込んだ。
届けるための食料がそろったとき、活動が始まったのではない。
その食料を持って、家庭の玄関まで行くと決めたときに、子ども宅食は始まった。
第十七章 こっちが、すみません
最初に訪問した十世帯のうち、九世帯が似たような環境だった。
真冬なのに暖房がついていない。昼間でも部屋が暗い。それでも電気をつけない。
一軒だけの特別な出来事ではなかった。
玄関が開くたびに、昔の自分の家が現れるようだった。
一緒に訪問した民生委員が、母親の前で言った。
「ここは寒いわね。暗いわね。階段が多くて大変ね」
母親は暗い表情で言った。
「すみません」
自分の暮らしを見られ、評価されたと思ったのかもしれない。
僕は慌てて取り繕った。
「そんなことないですよ。今日は割と暖かいし、お天気もいいし」
母親はもう一度、「すみません」と言った。
こっちが、すみませんと思った。
言った本人に悪気はなかったのだと思う。ただ、見たままを口にしただけだった。
けれど、僕には、中学時代の自分の家を馬鹿にされたように聞こえた。
「そんなことを言ってはダメです。寒くても暖房がつけられない。暗くても昼間は電気をつけられない。だから貧困なんですよ」
その人は、「なぜだめなのか」という顔をしていた。
善意で玄関まで行っても、言葉一つで人の尊厳を傷つける。
あの家が寒いことも、暗いことも、母親が謝ることではない。僕はそれを知っていた。布団をかぶって寒さをしのぎ、夜の七時まで電気をつけてはいけなかった子どもだったからだ。
訪問を終えて車に戻ると、スタッフ同士で話した。
「どこの家庭も厳しい感じだったね」
「意外なものを喜んでくれたね」
「今度は、こんなものを持っていこう」
最初から、次にまた行く話をしていた。
一度食料を渡して終わる活動ではなかった。
次回
第18章「別に」の向こう側
第19章 延岡にも本当のサンタはいるぞ
終章 僕は今日も玄関をノックする
へ続く。



