
スマートフォンの画面を眺めていると、
時折、「どなたかが亡くなりました」という言葉を目にすることがありますよね。
それが本当のお別れであるなら、ただ静かに手を合わせたい気持ちになるのですが、
人の目を引くための嘘であったり、数字を集めるためだけに使われていたりすると、
どうしても心が痛んでしまいます。たとえ本当のことであっても、
誰かの逝去を消費するような見せ方には、少しばかり寂しさを感じてしまうのです。
私が書かせていただいている『なぎのえき』という作品も、事故で亡くなってしまった恋人の幻と再会するという物語です。
もしかすると、これも一種の「悲しいお話」として消費されてしまうのではないかと思われるかもしれません。
でも、私が本当にお伝えしたいのは、「亡くなってしまうこと」そのものではなく、
その先に続く「残された者たちの物語」なのです。
実を申しますと、私自身、深すぎる悲しみの中で、何年もの間、
とても荒れた生活を送ってしまった時期がございました。現実を直視するのが怖くて、仕事や他の何かにすがりつくように依存してしまったのです。前に進む気力も失い、ただ自分を傷つけるように過ごした日々のツケは、今、糖尿病や肝臓の疾患といった形で、自分の身体で払うことになってしまいました。
そうした自分自身の不器用な経験があるからこそ、どうか皆様には、深い悲しみを抱えた人たちがどのように生きていき、そしてその遥か先に、どんなふうに「癒やし」が待っているのかを描きたいと願って、このお話を構想いたしました。ただの暇つぶしとして消費されて、すぐに忘れ去られてしまうような作品には、絶対にしたくありませんでした。
それは、かつて私のかけがえのない人であった彼女に対する、心からの愛情ゆえなのです。それが、この『なぎのえき』という物語のすべてだと思っています。
物語はこの先、とても壮絶な場面へと入ってまいります。
私自身、言葉をひとつ紡ぐたびに全身が引き裂かれるような痛みを感じており、執筆の手を止めたくなるほど辛い時もございます。
それでも、この痛みをきちんと形にして皆様へお届けする日まで、どうか少しだけ、彼らの歩む道を静かに見守っていただけましたら幸いです。



