
これまでの活動報告では、「医療的ケア児や特性のある子どもと初めて関わってどうだったか」「発達特性のある子どもと友達になるとは?」というテーマで、大学生たちのリアルな声を紹介してきました。
最初は、「どうしたらいいかわからない」「どう声をかければ伝わるのかわからない」という戸惑いがありました。そして、一緒に過ごす中で、「この子は、こうするとできるんだ」「全部を手伝えばいいわけではない」ということにも気づいていきました。
今回は、そこからさらに一歩進んだ話です。大学生たちから、こんな問いが出てきました。「障害やハンディキャップに合わせて支援することって、本当にその人のためになっているの?」
「できないこと」に合わせて、工夫する
大学生たちが参加したワークショップでは、障害のある人のハンディキャップを体験するためのプログラムも行いました。
例えば、目隠しをして、磁石の魚釣り視覚から得られる情報を制限した状態で、魚釣りを体験します。また、手が汚れにくいようビニールの上から絵具を使った色塗りをする。感覚の過敏性があったり、絵を描くことが苦手だったりする場合でも取り組みやすいように、手が汚れにくい絵具を使って色塗りをしました。
こうした工夫は、一見するととても合理的です。「できないこと」があるなら、できるように環境を工夫する。それによって、みんなが参加しやすくなる。それは、とても大切な考え方です。
でも、大学生たちの中に「違和感」が生まれた
ところが、活動を重ねる中で、学生たちからこんな疑問が出てきました。
「障害に合わせて、何でも支援することが本当にいいことなの?」
例えば、
「この人は手が動かしにくいから、こちらでやってあげよう。」
「絵を描くのが苦手だから、やりやすい方法にしてあげよう。」
「目が見えないから、こうしてあげよう。」
一つひとつを見ると、親切な行為です。でも、それが積み重なると、本人が「やってみたい」と思っていることまで、周りが先回りしてしまうことはないだろうか?そんな疑問です。
「平等」と「その人らしさ」は、同じなのか?
ここで、大学生たちは「平等」についても考えるようになりました。
例えば、全員が同じ条件で魚釣りをすることが「平等」なのか。あるいは、目が見えない人には別の方法を用意することが「平等」なのか。あるいは、「その人がやりたい方法で参加できるようにする」ことが大切なのか。
簡単には答えが出ません。
そして、さらに難しい問いが出てきます。
「支援することで、その人のプライドを奪っていない?」
「本当は自分でやりたいのに、“できない人”と決めつけてしまっていない?」
「『できる』を引き出すつもりが、逆に『できる機会』を奪っていない?」
「やってあげる」ことが、必ずしも優しさではない
ここは、大学生たちにとって大きな気づきでした。私たちは、「困っている人がいたら助ける」ということを自然に考えます。もちろん、必要な支援はあります。一人では難しいことを、誰かが支える。それによって、その人が安心して生活できることもあります。だから、「支援することが悪い」という話ではありません。むしろ問題は、「その支援は、誰のためのものなのか?」ということです。
支援する側が、「これが必要だろう」「こうしたほうがいいだろう」と決めてしまう。でも、本人は本当は、「自分でやってみたい」「時間がかかっても自分でやりたい」「ちょっと失敗しても挑戦したい」と思っているかもしれない。
「できない」ではなく、「どうしたらできる?」
ここで、以前の活動で大学生が話していたことともつながってきます。発達特性のある子どもと一緒に過ごしたとき、「すべてにおいて支援や補助が必要ではなくて、その子のやる気や能力が最大限引き出せるように立ち回ることが分かった。」という声がありました。
これは、今回の問いともつながっています。「できないから、やってあげる。」ではなく、「どうしたら、この人が自分でできるんだろう?」と考える。そのために、環境を変える。少しだけ手を貸す。待つ。本人に選んでもらう。必要なときだけ支える。そして、本人がやりたいことは、できるだけ本人に任せる。
そこで出てきた言葉が「エンパワーメント」
大学生たちが議論する中で、何度も出てきたのが、「エンパワーメント」という考え方でした。エンパワーメントを、今回の学生たちは、「その人が持っている力や可能性を引き出し、自分で選び、行動できるようにすること」として考えていきました。「支援する側が何かをしてあげる」だけではなく、「本人が自分の力を発揮できるようにするには、どうすればいい?」と考える。この違いは、意外と大きいのかもしれません。
「支援する人」と「支援される人」だけではない
ここまで大学生たちと活動してきて、私たち自身も考えさせられています。障害のある人と関わると、どうしても「障害」に目が向きます。「何ができないんだろう?」「何を手伝えばいいんだろう?」「どう支援すればいいんだろう?」でも、本当はその前に、「この人は何がしたいんだろう?」があるはずです。「何ができないか」ではなく、「何をしたいのか」「何ができるのか」「どうしたら、その人らしくできるのか」を見る。
Meet Up Home Sendaiで考えたいこと
これは、これから大学生と障害のある方が一緒に暮らすMeet Up Home Sendaiにとっても、とても大切なテーマです。
一緒に暮らせば、「手伝ったほうがいいのかな?」と思う場面もきっとあります。でも、すぐに手を出すのではなく、「どうする?」と聞いてみる。少し待ってみる。本人ができることは任せてみる。そして、「手伝ってほしい」と言われたら、手を貸す。もちろん、安全や生活に必要な支援については、適切に行う。そんな関係をつくっていきたいと思っています。
支援することから、「その人の力を信じる」ことへ
今回、大学生たちは、「支援すること=良いこと」というところからスタートしました。
でも、実際に体験して、考えて、話し合ってみる。すると、「それって、本当に本人のためなの?」という問いが生まれました。そして、「本人がやりたいこと、できることを最大限引き出すにはどうしたらいい?」という問いに変わっていきました。
まだ、大学生たちの中でも答えが出たわけではありません。むしろ、ここからがスタートです。「支援する」とは何なのか。「一緒にいる」とは何なのか。「その人のためになる」とは、どういうことなのか。そんなことを、これからも大学生たちと一緒に考えていきたいと思います。
そして、この問いはきっと、Meet Up Home Sendaiでの「暮らし」の中でも続いていくのだと思います。支援する・される、だけではない。一緒に暮らすからこそ見えてくる、新しい関係をつくっていきたい。それが、私たちがMeet Up Home Sendaiで挑戦したいことの一つです。



