さいはてのピアノ〜震災を乗り越えた「奇跡のグランドピアノ」の音色を復活させたい!

1952年製!歴史あるグランドピアノを修理して音色を復活させるプロジェクト!修理前と後の音色の違いを音楽祭で楽しめます!能登の再興の象徴となるピアノが誕生します

現在の支援総額

663,350円

33%

目標金額は2,000,000円

支援者数

64人

24時間以内に7人からの支援がありました

募集終了まで残り

8日

さいはてのピアノ〜震災を乗り越えた「奇跡のグランドピアノ」の音色を復活させたい!

現在の支援総額

663,350円

33%達成

あと 8日

目標金額2,000,000円

支援者数64人

1952年製!歴史あるグランドピアノを修理して音色を復活させるプロジェクト!修理前と後の音色の違いを音楽祭で楽しめます!能登の再興の象徴となるピアノが誕生します

前回の報告で、さいはてのピアノが「戦後8178番目のピアノ」だとお伝えしました。

あの日から、どうにも気になって、夜な夜な調べていました。分かったことを3つ、お話しします。

1. いちばん最初の一台でした

フレームに刻まれた「No.25」は「25号」という型番です。
ヤマハの公式記録によると、25号が作られていたのは1949年8月から1953年まで、たった4年あまり。1954年には「G3」に代替わりし、それが今の「C3」、ヤマハで一番売れているグランドピアノにつながっていきます。

つまり、さいはてのピアノは、その血筋のいちばん最初にいる一台です。

※「C3」についてはこちら↓をご覧ください
https://jp.yamaha.com/musical-instruments/pianos/products/grand-pianos/espressivo/


2. 当時は家が建つ値段でした

発売当時の値段は47万円。

その年の国家公務員の大卒初任給が、月4,223円。初任給の9年分です。いまの初任給に当てはめると、およそ2,800万円。家が建ちます。

ちなみに、同じ血筋のいまのグランドピアノは300万円弱。当時は、その10倍も遠い存在でした。廃校になった学校から来たと聞いていますが、この一台を珠洲に入れた人は、相当な覚悟だったはずです。

3. ゆっくり作られた最後の世代でした

当時のピアノは、木を落ち着かせるために、出荷まで1年半ほど寝かせていたそうです。

ところが1956年、ヤマハは木材の乾燥を自動化します。それまで3か月から1年かかっていた工程が、半日から4日に。ここからピアノの大量生産が始まります。

さいはてのピアノは、その直前の生まれ。時間をかけて作られた、最後の世代です。

4.そして、仲間がいました

沖縄の工房が、同じ4万番台の25号を、まる一年かけて修復していました。弦を全部張り替え、塗装をはがして塗り直し、部品を一つひとつ替えて、今年4月に完成。

70年以上前のピアノが、ちゃんと息を吹き返している。竹田さんの「手を入れれば必ず復活する」という言葉を、もう一度かみしめました。

珠洲と沖縄。日本の端と端で、同じ頃に生まれた兄弟が、それぞれ次の出番を待っています。

残り9日です

現在54名の方から57万8,100円、目標の28%です。正直に言います。まだ足りません。

戦後8178番目のピアノに、もう一度歌わせてやってください。ご支援と、シェアをお願いします。

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