
前回の報告で、さいはてのピアノが「戦後8178番目のピアノ」だとお伝えしました。
あの日から、どうにも気になって、夜な夜な調べていました。分かったことを3つ、お話しします。
1. いちばん最初の一台でした
フレームに刻まれた「No.25」は「25号」という型番です。
ヤマハの公式記録によると、25号が作られていたのは1949年8月から1953年まで、たった4年あまり。1954年には「G3」に代替わりし、それが今の「C3」、ヤマハで一番売れているグランドピアノにつながっていきます。
つまり、さいはてのピアノは、その血筋のいちばん最初にいる一台です。
※「C3」についてはこちら↓をご覧ください
https://jp.yamaha.com/musical-instruments/pianos/products/grand-pianos/espressivo/
2. 当時は家が建つ値段でした
発売当時の値段は47万円。
その年の国家公務員の大卒初任給が、月4,223円。初任給の9年分です。いまの初任給に当てはめると、およそ2,800万円。家が建ちます。
ちなみに、同じ血筋のいまのグランドピアノは300万円弱。当時は、その10倍も遠い存在でした。廃校になった学校から来たと聞いていますが、この一台を珠洲に入れた人は、相当な覚悟だったはずです。
3. ゆっくり作られた最後の世代でした
当時のピアノは、木を落ち着かせるために、出荷まで1年半ほど寝かせていたそうです。
ところが1956年、ヤマハは木材の乾燥を自動化します。それまで3か月から1年かかっていた工程が、半日から4日に。ここからピアノの大量生産が始まります。
さいはてのピアノは、その直前の生まれ。時間をかけて作られた、最後の世代です。
4.そして、仲間がいました
沖縄の工房が、同じ4万番台の25号を、まる一年かけて修復していました。弦を全部張り替え、塗装をはがして塗り直し、部品を一つひとつ替えて、今年4月に完成。
70年以上前のピアノが、ちゃんと息を吹き返している。竹田さんの「手を入れれば必ず復活する」という言葉を、もう一度かみしめました。
珠洲と沖縄。日本の端と端で、同じ頃に生まれた兄弟が、それぞれ次の出番を待っています。
残り9日です
現在54名の方から57万8,100円、目標の28%です。正直に言います。まだ足りません。
戦後8178番目のピアノに、もう一度歌わせてやってください。ご支援と、シェアをお願いします。



