震災から2年10ヶ月経過しました。被災した神社石垣は生活道路に面しており通行車両や通行人に被害が及ばないか毎日確認していますが、相手が重たい石であり人力では簡単に補修できません。石と石とに隙間が生じたり飛び出したりしていて危険な状況ですが、その隙間からコスモスが咲いています。美しい光景ですが喜んで良いのか悲しんで良いのか複雑な気持ちです。結論としては早く改修工事を行って住民の皆さんの安全と安心を保つことであります。改修事業費も高額となります。皆さまにはご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます。 石垣とコスモス
須受八幡宮の神輿藏も能登半島地震で甚大な被害を受け珠洲市コミュニティー施設等再建支援補助金で工事費も神社負担が一割となり改修工事が完了しました。倉庫内には大小二基の神輿が収められていて屋根の雨漏りなどでブルーシートで保護していました。ご神殿が被災しているため震災以降は神輿への渡卸ができず2年間出番がありません。今年の秋祭りも神事のみでしたが[奴振り道中]が地震の影響で担い手不足のなか、今年初めて女子中学生が参加し約170年以上続く伝統行事が行われました。震災前は約250軒であった氏子さんも今では約100軒に減少しましたが、祭りだけは絶やしたくない、少しでも町に元気を取り戻したいとの思いから地震で家を失い仮設住宅で暮らす人たちにも披露されました。「祭りを愛する心」は次の世代へと確実に継承されています。神輿も出番を待っています。残るは被災社殿の早期完成です。 皆さまの応援をよしくお願い申し上げます。 神輿藏と屋根の鬼瓦
一般的には一集落に一つの神社を建立していますが、正院町では須受八幡宮と神明宮后土神社が建立されていました。正院町の地名由来は、古代の珠洲郡の中心的な場所として平安末期には正院郷として、さらに加賀藩直轄領の年貢米を貯蔵する「郷藏」が置かれるなど行政施設や倉庫などが配置されていました。その様な中で集落の飯川沿いに治水の神として鎮座したのが神明宮后土神社であり、明治期に「村社」として公的に位置付けられた氏神様です。明治40年に須受八幡宮に合祀され現在に至っていましたが能登半島地震で倒壊しました。歴史ある建造物や文化財を次々と失いましたが、皆様さまの温かいご支援が今日まで受け継がれてきた地域の宝を未来へ繋いでいく力となります。私たちと一緒に奥能登と須受八幡宮の未来を築いていただけないでしょうか。心よりお待ちしております。 神明宮后土神社
10月12日の午前中に工事請負会社さんと被災したご神殿の修復方法を確認しました。震災から約2年10ヶ月経過し、当初より劣化と沈下現象が進んでおり工事費の割り増しが必要とのことでした。すでに最初の見積額より約600万円高騰して総事業費約9,000万円になっています。行政からの補助金は約5,400万円で3,600万円が神社負担となりまして、この度目標額500万円のプロジェクトを立ち上げました。神社再建は単なる建物の改修のみではなく、室町時代から受け継いできた歴史や伝統文化を次の世代へ繋いでいきたいとの思いや住民の[心の拠り所]を取り戻し地域に活力を呼び戻したいとの思いからです。過疎と高齢化の小さな町ですが明るい未来を信じて頑張ります。皆さまお一人お一人のお力添えをよろしくお願い申し上げます。 ご神殿を支える基礎部分
須受八幡宮の神事能は鎌倉時代後期から始まり明治初年まで演能されてきました。当時から使用されてきた能面は室町期の作と認められる[翁]、「三番そう」、「若い女」、「鬼畜」、県内随一の遺品である「無楽面陵王」など、計28面と鼓大各1箇が珠洲市文化財に指定され神社境内横の[宝物殿]に保存されていました。その宝物殿が震災で全壊となり文化材レスキュウ隊の皆さんのおかげで一部取り出されましたが、破損状況で保存可能なものは珠洲市指定の文化財一時預かり所で保管をお願いしています。いずれ元の場所に移さなければなりませんので少しでも早く再建できることを願っています。 宝物殿室町時代後期作の能面



