飛生の森と校舎の40年。変わり続けた場所の、これまでとこれからを一冊に

1986年、廃校となった旧飛生小学校をアーティストたちが共同アトリエとして使い始めて40年。森づくり、芸術祭や祝祭、人との出会い、地域との交流を重ねながら姿を変えてきた飛生。その歩みをたどり、現在のメンバーや新たに加わった若い世代の声とともに、これからを考える一冊をつくります。

現在の支援総額

423,800

84%

目標金額は500,000円

支援者数

44

24時間以内に8人からの支援がありました

募集終了まで残り

9

飛生の森と校舎の40年。変わり続けた場所の、これまでとこれからを一冊に

現在の支援総額

423,800

84%達成

あと 9

目標金額500,000

支援者数44

1986年、廃校となった旧飛生小学校をアーティストたちが共同アトリエとして使い始めて40年。森づくり、芸術祭や祝祭、人との出会い、地域との交流を重ねながら姿を変えてきた飛生。その歩みをたどり、現在のメンバーや新たに加わった若い世代の声とともに、これからを考える一冊をつくります。

ただいま、飛生アートコミュニティー40周年記念誌の制作に向けて、クラウドファンディングを実施しています。

残り14日。
現在の達成率は43%です。

たくさんのご支援、本当にありがとうございます!
第4回は、転機となった2002年にさかのぼります。

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1986年、廃校となった旧飛生小学校に、十数人の作家たちが集まり、共同アトリエが始まりました。

展覧会や音楽会なども行われ、多くの作家が制作のためにこの場所へ通っていました。

しかし年月が経つにつれ、第一世代の作家たちはそれぞれ別の場所へ制作拠点を移していきます。

2000年代に入る頃には、かつての賑わいはなくなり、家具作家が一人でアトリエを使うような時期になっていました。



そんな飛生に、2002年、一人の若い作家が加わります。

創立メンバー・国松明日香の息子であり、幼少期の2年間をこの場所で過ごした彫刻家・国松希根太です。

とはいえ、
「飛生に戻りたい」
という強い思いがあったわけではありませんでした。

大学卒業後、北海道で制作場所を探していた国松にとって、飛生は「広いスペースを安く使える」という、とても現実的な理由から選んだ場所でした。

古い教員住宅を直して暮らし始め、まずは自分の作品をつくるためのアトリエとして使う。

最初は、ただそれだけでした。



けれど、この場所で制作し、暮らしていくうちに、少しずつ意識が変わっていきます。

「飛生って、いったいどういう場所なんだろう。」

地域の人たちと話し、周囲の風景を見るようになる。

そして、ここを訪れた友人たちが「いい場所だ」と言って帰っていく姿を見ながら、あることを考えるようになります。

「作品を別の場所へ持っていくのではなく、この場所そのものを見てもらえばいいのではないか。」



そんな出来事も含めて、40年の飛生には、たくさんの記憶があります。

今回の40周年記念誌では、こうした出来事や写真、関わってきた人たちの声を一冊にまとめます。
クラウドファンディングは残り14日。

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