アメリカで多くのアーティストのステージを見てきたけど、「リアル」で「等身大」な演奏ほど、魅力的だといつも思ってた。技術的なことを超えて、その人の「リアル」に引き込まれていく感じ。世界中に大きな影響を与えている、Michael JacksonやPrince、D ’AngeloやErykah Baduをみても、「リアルな」自分自身をとことん全うしているように思う。彼らの存在自体が、 他の誰にも届くことのできない、唯一無二のアートになってる。人種や文化、言語を問わず、絶大な影響を与えている、「リアルな等身大」の最強の形だな。。なんて思うのです。自分は、日本に帰ってきて、周りに溶け込みたくて、人目を気にしちゃってたけど、自分をどこかつまらない存在にしちゃってたな。。って振り返って思う。なんか、冴えない感じ。。もう「ありのまま」の自分でいよう!って決めたら、何か自分を閉じ込めていた「枠」みたいなものがはずれて、心がすごく自由で、すごく楽で、自分自身の中に、自分も知らなかったようなことを発見したりなんかもして。。「自分」って個体が、思っていたよりも、深く、多様で、豊かなことも知った。またクリエイティブになっていくのも、すごく感じて、新しいものを「生み出す」力、みたいなものは、きっと、自分自身に「リアル」じゃないと枯渇してしまうんだな。。とも思った。魅力的でいたかったら「リアルな等身大」で、自分自身を全うするに限る!と思うのです。「リアルな等身大」に魅力を感じるもう1つの理由は、「等身大」で生きている人を見てると、ホントおもしろくて、飽きないこと。「こういう場合は、こうするよね」とか 「この流れだと、こう反応するよね」とか、そういうものを超えて、自然に出て来るものが、「知ってる」ものを超えていて、その人のことをもっと知りたいと思わせてくれる。普段周りに合わせているような人が、一瞬ゆるんで「等身大」を見せてくれるとき、なんか一瞬「きらっ」とするものが見えて、めちゃめちゃ嬉しかったりもする。「くったくのない生き様」をしている人は、「くったくのない輝き」を持っている。「自分」って存在に、カバーがかかってなくて、放つ光がすごく強い。そしてその「輝き」は、周りをかき消すものではなく、周りの心や存在も一緒に明るくして、一緒に引き上げてくれる気がする。FOUR LEAF SOUNDの活動を通して、みんなが誰しも持っているその「輝き」を、もっと見たいと思ってます。自分自身もその「輝き」をもっともっと磨いていきたい。どこかの「誰か」のように振舞うよりも、あこがれてる「誰か」を真似するよりも、ずっとずっとおもしろくて魅力的な人生を、一緒に「自分らしく」歩んでいけたら、この小さなつながりに輝く光が、きっと誰かの人生に触れて、引き上げてくれると信じています。“Beautiful Soul”「リアルな等身大」で生きている友人を見ていて、 彼女の、痛みや葛藤を装わない「リアル」がめちゃ美しいなと思った。その姿は、世の中が言う「魅力」とは少し違うかもしれないけど、そういう「リアルな等身大」の姿が、ホントに素敵だと思うのです。同じように生きている人たちに、頑張って生きているその姿が「美しい」ことを伝えたくて書いた曲です。関連記事:【連載1】「リアルな等身大」で、夢やビジョンをもって一緒に生きていきたい。【連載2】お互いの「リアルな等身大」を楽しみたい。【連載3】お互いの「リアルな等身大」で励まし合いたい。【連載4】「ありのまま」に戻れる場所になりたい。【連載5】「恐れ」から自由に生きるコミュニテイを作りたい。【連載6】「リアルな等身大」押しには、こんな理由もあるのです。【連載8】「リアルな等身大」でお互いを分かち合っていきたい。【連載9】「リアルな等身大」で生き方の「幅」を作っていきたい。【連載10】「リアルな等身大」の「あなたが必要です」と伝え続けたい。
お正月休みも終わって、2日目。慌ただしい毎日が始まっているでしょうか。。連載も今日で6回目。前回までは、結構、精神面のシェアリングが多かったのですが、今日は「健康もこんなに良くなったよ!」の体験談です。FOUR LEAF SOUNDの活動を本格始動させてから、体調がすごく良くて、「自分らしく生きる」ことが、こんなにも健康にも影響があるんだな。。ってビックリしてるのです。実は、日本に帰ってきてから、体の調子がかなり悪くなってしまって、めちゃ痩せてしまった時期があったり、寝れない食べれない時期が数年あったりした。今思い返すと、どうやって生きてたんだ?って思うけど、小林弘幸さんという、順天堂大学医学部の教授の本を読んで納得。(この方は、一流のアーティストやスポーツ選手へのアドバイス等もしているらしい、自律神経のエキスパートらしい。おもしろいよ!)帰国後の自分の状態は、「こうすると自律神経が乱れますよ」って項目のほとんどにあてはまるではないですか!そりゃ調子悪くなるよね。。よく「自律神経」って聞くけど、なんか実態がよくわからないし、あんま関心なかったけど、小林さんの本を読んで、自律神経の重要さを痛感した。めちゃ自己流の理解だから、真実かどうかはわからないけど、自律神経を乱すものが、きっと「ストレス」なんだね。自律神経を乱す「ストレス」っていろいろあると思うんだけど、自分にとっては、「自分らしく」生きられてないストレスが、すごく体調に影響を与えてたっぽい。日本帰国後のストーリーは、結構シェアさせてもらったので、ここでは割愛させてもらって。。「自分らしく」生きていないことが、体調が悪かった原因なんだな。。って振り返って思うのは、「自分らしく生きるぞ!」って決めた後の、体調の変化。「やりたくない」けど「やらざるおえない」ことからも、身を引くようになっていったら、ホント体の調子を崩すことが少なくなっていった。そして、FOUR LEAF SOUNDの活動を本格始動し始めてから、さらに調子が良い。以前よりやることは断然増えたし、休む暇なんてない。移動も格段に増えた。でも、以前よりも疲れないし、風邪をひいたりもしなくなった。今、忙しさに反して体の調子が良いのは、「自分の心に正直」に、毎日を過ごしていることが大きいように思う。「好きなことやってるからストレスがないんだよ」っていうと、そうでもなく、仕事量は膨大で、内容も、苦手なことや、新しいことばかりに向き合う毎日で、以前よりも、ストレスは高いと思う。でも、「ストレス」の質が違うのかな。。忙しさとストレスレベルに反して、以前のように、体調を崩すことがなくなったのは、「自分の心に嘘をついていない」自分の「心」に「リアルに」生きていることが、すごく大きいんだと思う。「等身大で自分らしく」いられないストレスって、きっとすごい体のバランスを崩すんだね。。体の調子が悪いと、いろんなことが滞っていくように思う。自分の本来持っている能力を最大限に使うことができないし、思考能力も下がっていく。決断して、行動に移すことに、すごく時間がかかっちゃったりして。。いろんなことが停滞する。体の調子が良いと、心も元気で、心が元気だから、体もまた元気になっていって、良い循環が生まれて、なんか、人生にエンジンがかかっていく気がする。。現代人は、ストレスがすごく多い。その多くは「自分らしく」生きられないことから来ているようにも思う。FOUR LEAF SOUNDを通して、「自分らしく」「等身大」で、少しでも、体も心も、一緒に健康になっていけたらいいな。。そしたら、社会全体に良い循環が生まれると思う。FOUR LEAF SOUNDが、「リアルな等身大」を押すのは、そういう理由もあるのです。小さな手のひらあんま今回の記事と関係ないかもだけど 。。手に握りしめていたものを、そっと解放してみたら。。という曲です。関連記事:【連載1】「リアルな等身大」で、夢やビジョンをもって一緒に生きていきたい。【連載2】お互いの「リアルな等身大」を楽しみたい。【連載3】お互いの「リアルな等身大」で励まし合いたい。【連載4】「ありのまま」に戻れる場所になりたい。【連載5】「恐れ」から自由に生きるコミュニテイを作りたい。【連載7】「リアルな等身大」の輝きをもっと見ていきたい。【連載8】「リアルな等身大」でお互いを分かち合っていきたい。【連載9】「リアルな等身大」で生き方の「幅」を作っていきたい。【連載10】「リアルな等身大」の「あなたが必要です」と伝え続けたい。
FOUR LEAF SOUNDの活動を本格始動するまでに、自分の中で1つ解決されないといけないことがありました。それは、「恐れから選択をしないこと」これって、本当に人生を左右することだよね。。自分は、バークリー音楽大学という素晴らしい音大に行かせてもらった訳だけど、「音楽で食べていきたい」とか、全く考えたこともなくて、ただ、憧れていたアーティスト達のように「表現できるようになりたい」と思って、学生時代を過ごしてました。なので、 39歳を目の前にして、今更「活動を本格始動」なんてことになっている訳なのですが、(めちゃ遅いよね。笑。)日本に帰国してきて、さぁ、どういう形で生きていくか。。って考える中で、まず自分がしたことは、「収入源を確保する」でした。音楽活動をもっと精力的に行なっていきたいと思う一方で、「音楽で食べていきたい」とか、「フルタイムで」で、っていうことに、全くこだわりがなかったので、他のいろんなお仕事にチャレンジしてみてた訳だけど。。これが、かなり自分を殺してしまった。良い経験だったし、この経験がなかったら、今の自分はない。(ここまで日本語も丁寧に話せなかったと思う。。)でも、2羽を追う者は。。ってやつで、「音楽」っていう絶対に揺るがないパッションがあるのに、中途半端に、他の分野に足を突っ込んで、うまく行くはずがないんだよね。特に自分は不器用だし。。音楽活動の基盤を整えることを、全くせず、音楽以外のことに多くを注ぐ内に、自分の中で、何かが死んでいってしまうのを感じた。「私はここで何をしているんだ?」って思いながら過ごす日々は、本当に不健康だった。FOUR LEAF SOUNDへの強い情熱があるのに、収入源の確保ばかりに労力も時間も費やした理由は、「恐れ」だったと思う。全く何の保証もない生き方を選べなかった。「もう若くないんだし、今のうちに、確実な収入源を確保しておいた方がいいんじゃない?」あと、 周りのプレシャーに負けた感じもあったと思う。周りにどう思われるかを気にしていたり、「こうあって欲しい」という周りの期待が、自分の思いとすり替わっていたようにも思う。これも、今思うと「恐れ」。。「がっかりさせたらどうしよう」っていう。。結果、「本当は〜したいけど、そんなの現実的に無理だよね」ってなってた。かといって、FOUR LEAF SOUNDへの情熱がなくなる訳ではないから、中途半端に、もんもんと思考のサークルにはまってしまって、どっちつかずに随分時間を無駄してしまった。。日本に帰国してからのストーリーは【連載2】でシェアしたけど、帰国後の始まりが、自分の「リアル」に忠実でなかったから、その後、ずいぶん長い間、「何がしたいんだろう」「どう生きたらいいんだろう」って、自分がわからなくなってしまってた。その水面下にあったのは、「恐れ」から選択してしまった、いろんなことの蓄積だったように思う。9年前の自分に伝えたいのは、「ごちゃごちゃ考えずに、情熱に素直になったらいいんだよ!」あれこれ、余計なことを考えさせる「恐れ」から、人生を選んじゃもったいないよね。「リアルな等身大」で生きようと思うと、「恐れ」から脱却しないといけない。「恐れ」も「リアルな自分」の一部だけど、自分の「心」の声に忠実に生きようと思うと、「恐れ」はそれを邪魔する。自分が「恐れ」の選択サークルから抜け出せたのは、「リアルな等身大」で生きている人たちの存在が大きかった。彼らを見る時に、「このままじゃダメだ」と思えたし、自分の「心」に素直になる道を選ぶことができた。FOUR LEAF SOUNDの活動を通して、「自分らしく」生きることを、一緒に選んでいけるようなコミュニティが作れたらいいなって思います。FOUR LEAF SOUNDの相棒、Yuki Kanesakaの言葉。「1人でたどり着けるところは限られてる。でも誰かとだったら、1人よりも遠くにたどり着けるんだ。」1人じゃできないことも、誰かとだったらできる。「恐れ」から自由になって、自分の情熱に素直に生きる人たちが、たくさん現れたらいいなと思う。そしたらこの社会に、いろんな 「リアルな等身大」がもっともっとキラキラしていくんじゃないか。。と思うのです。Like a Foolどこに向かってるか、いつどこにたどり着くか、人生どうせ何が起きるか全くわからないんだから、もっと情熱や夢に “fool” 「バカ」になって生きたらいいよねって思って書いた曲です。関連記事:【連載1】「リアルな等身大」で、夢やビジョンをもって一緒に生きていきたい。【連載2】お互いの「リアルな等身大」を楽しみたい。【連載3】お互いの「リアルな等身大」で励まし合いたい。【連載4】「ありのまま」に戻れる場所になりたい。【連載6】「リアルな等身大」押しには、こんな理由もあるのです。【連載7】「リアルな等身大」の輝きをもっと見ていきたい。【連載8】「リアルな等身大」でお互いを分かち合っていきたい。【連載9】「リアルな等身大」で生き方の「幅」を作っていきたい。【連載10】「リアルな等身大」の「あなたが必要です」と伝え続けたい。
今日で連載4回目。明日はお休みして、また月曜から再開したいな。。と思ってます。おつき合いして下さったら嬉しいな。FOUR LEAF SOUNDの音楽性は、スムースな感じで、心地が良いって、よく言ってもらえます。これは本当に嬉しい。聞いてくれる人たちの心が、少し和むような、リラックス出来るような空間を、音と言葉で演出できたらいいな。。って思うから。誰でも、日々この世の中で生きてると、いろいろある。「あぁ。。ちょっと傷ついたな。。」とか「あれ嫌だったな。。」とか。もう少し深いと、幼い頃にあった出来事とかも、 今の自分に影響を与えてたり。。いろんなことが、私たちを疲れさせる。そういうことから、癒されたり、回復したりすることって、「等身大」で生きようと思うと、めちゃ大事だと思うのです。「ほっ」と自分自身に戻って、リチャージする時間。。FOUR LEAF SOUNDの制作意識の中に「癒し」っていうのが、結構強くあって、音と言葉で、聞いてくれる人の心を、日々の慌ただしさから、少し隔たった場所に連れていくことができたらいいな、と思う。日々頑張って生きていると、自分の「心」と向き合ってる余裕なんて、持てない。それどころじゃないもんね。。自分は昔、わちゃわちゃしちゃって、「心」を置き去りした感じになっちゃって、はっと気がつくと、「心」が疲労していて、「自分らしい良さ」が、どこかに埋もれてしまって、空回りしてた。。ってことがよくあったのです。見ないようにしてたものが蓄積していって、どんどん自分に覆いかぶさって、「進もう進もう」としてたけど、あんま進んでなかった。。みたいな。。自分の中にある、ちょっと面倒くさいようなものと、本当は、ちゃんと向き合ってあげることが、すごく大切なんだと思う。「向き合う」っていうと、これまた面倒くさい感じだけど、「認識」してあげる。。って感じかな。。「あぁ。。自分はあれが嫌だったんだな。。」とか「あの言葉に傷ついたのか。。」とか、「あの出来事が、まだ尾を引いてるんだね。。」とか。原因になった人を責めるのではなくて、「まぁまぁ、小さなことだし、それくらい」って、押し込めちゃう訳でもなく、その感情に入り込むでもなく。。「自分の中にあるもの」と認識して、いろんな感情も含めた「自分で在る」ことを、許してあげること。「自分のリアル」を知る時間というか。。そんな「余白」を日々持っていくことが、また前に進んでいく力になる気もする。FOUR LEAF SOUNDが、よく思っていることは、頑張って毎日を過ごしている人たちが、少し立ち止まって、ほっと「自分に戻る」時間のお供をしたいな。。と。自分は、大好きなアーティストたちの表現に、「はっ」と心つかまれ、「ぐいっ」と引き上げられる瞬間が、多々ある。心の中に埋もれていた感情が浮き上がって、「自分の思いを知る」瞬間というか。。ほんの1分とかだったりするけど、その一瞬が、また「自分らしく」生きる道に戻してくれる。FOUR LEAF SOUNDの音楽と言葉を聞いてもらうことで、いろんなものを含んだ「ありのまま」に戻れる、そんなきっかけになったらいいなって思っています。それが、癒しにつながって、いろんなものを乗り越える力につながっていったら、これまた大げさな話だけど、その人の人生だけでなく、その人の先にある人生にも変革が起きると思う。「今帰ろう」って曲があって、これはまさに、そういう楽曲です。頑張って歩んでた日々に、ふと立ち止まったら、涙が流れた。その涙から広がるものがあるな。。と思って書いた曲です。この曲は、言葉的にも音楽的にも、FOUR LEAF SOUND の要(かなめ)曲だな。。って思ってます。「ありのままの自分に戻れる場所」。FOUR LEAF SOUNDの作品やライブ会場が、聞いてくれる人たちの「ありのままに戻る場所」になったらいいなって思います。関連記事【連載1】「リアルな等身大」で、夢やビジョンをもって一緒に生きていきたい。【連載2】お互いの「リアルな等身大」を楽しみたい。【連載3】お互いの「リアルな等身大」で励まし合いたい。【連載5】「恐れ」から自由に生きるコミュニテイを作りたい。【連載6】「リアルな等身大」押しには、こんな理由もあるのです。【連載7】「リアルな等身大」の輝きをもっと見ていきたい。【連載8】「リアルな等身大」でお互いを分かち合っていきたい。【連載9】「リアルな等身大」で生き方の「幅」を作っていきたい。【連載10】「リアルな等身大」の「あなたが必要です」と伝え続けたい。
今日からお仕事の方もいるのでしょうか。2019年が始まっていきますね!fourleafは、早速トラブルがあり、その対応に追われておりますが。。こうして、音楽活動に向き合えていることが、何よりもありがたい。。連載の第3回目。おつき合い下さい!自分は、ブラックミュージックが大好きで、好き過ぎてアフリカにまで行っちゃってるんですが、そこまで大好きな1番の理由は、「リアル」なところ。表現者の人生の「リアルさ」が、魂にガツン!とくる。渡米した理由も、その「リアル」が何なのか知りたかったから。。黒人の彼らが通ってきた道は、日本で日本人として生れ育った自分には、想像もつかない。バークリーの黒人の先生達は、こぞって「自分たちがいかに大変な思いをしてきたか」を語ってくれました。「自分たちの音楽をするのなら、知っていて欲しい」ということだったと思う。そして彼らが、その苦難を、ポジティブで影響力のある芸術に変えていったパワーは、ホントにすごいと、知れば知る程に思うのです。「私って歌うまいでしょ」とか「すげえ演奏できるだろ」とか、そんなんじゃなくて、「人生大変だよな」「また今日も嫌なことあったぜ」「世の中なんかおかしくねえか?」「でもそんなの音楽でふっとばして、一緒に励ましあって生きていこうぜ!」みたいなとこが、大好き。ご機嫌なサウンドも、ただご機嫌なんじゃない。いろんな苦難がある上の「ご機嫌サウンド」だから、深みがあって、心にしみる。自分は、黒人の人たちから発信される「リアル」な音楽に、何度も心を拾い上げられたり、救われたりした。ネガティブなところも隠さないポジティブさが、「リアル」で、ズシンとくる。人生の良いところだけじゃない、全てを含んだ「リアルさ」は、「自分もがんばって生きていこう」って思わせてくれるんだな。。って、黒人の人たちの生き様から、知ることができたのです。バークリー音楽大学のボーカル科で、めちゃお世話になった、Donna McElroyっていう黒人の先生がいて、彼女の言ってたことが、ずっと心に残ってて、「観客は、きれいに着飾った「素敵なあなた」を見に来るんじゃない。いろんな葛藤や苦難がありつつも、このステージに這い上がるあなたの姿を見に来るんだ」って。だから、装うのはやめなさい、ってことだったんだけど、それが、ブラックミュージックのスピリットなんだと思う。観客は、表現者の人生を見にくる。。だから、そこに発信者の「リアル」があるかどうか。。が、すごく大切なんだと思うのです。SNSが広まって、「リア充」って言葉が出たけど、人の心の中にある、「よく思われたい」心を奮い立たせてしまったよね。「充実した人生を送ってる」って思われたいから、投稿内容が、全く嘘ではないにしても、真実かっていうと、そうでもない写真や言葉が並んでたりする。それって、どんどん「リアル」から自分を離しちゃうと思うのです。その一方で、同じSNSのプラットフォームでも、「リアル」な生き様を発信している人たちもいる。「リアルな生き様」なんて言うと大げさだけど、投稿内容から、なんか、その人のリアルな人格とか人生が透けて見えるような投稿って、やっぱ励まされたり、インスピレーションもらったり、何かしら自分を良い方向に動かすから、私は見ていて、いいな。。って、いつも思うのです。自分がブラックミュージックの「リアル」に救われてきたように、FOUR LEAF SOUNDの活動を通して、「リアルな等身大」を表現。誰かの「リアル」に寄り添いたい。泥臭かったり、キレイ事だけじゃない人生を応援していきたい。「リアル」は人の励ましになる。ついつい、「良い自分」を見せたいって思っちゃうけど、自分の足りなさや、欠けも含めて発信していきたい。その結果、「リアルな等身大」で生きる人がどんどん現れて、お互いの人生の、良いところだけじゃなくて、全てを含んだ「リアル」で励まし合っていけるコミュニティができていったら、最高だなと思ってます。1月26日から始まるツアーも、「リアルな等身大」の表現を目指します!"No More"ボストンにあるバークリー音大に行ってた時に書いた曲。リアルな葛藤を楽曲にして、自分の歩みが誰かの励ましになったらいいなって思って書いた曲です。関連記事【連載1】「リアルな等身大」で、夢やビジョンをもって一緒に生きていきたい。【連載2】お互いの「リアルな等身大」を楽しみたい。【連載4】「ありのまま」に戻れる場所になりたい。【連載5】「恐れ」から自由に生きるコミュニテイを作りたい。【連載6】「リアルな等身大」押しには、こんな理由もあるのです。【連載7】「リアルな等身大」の輝きをもっと見ていきたい。【連載8】「リアルな等身大」でお互いを分かち合っていきたい。【連載9】「リアルな等身大」で生き方の「幅」を作っていきたい。【連載10】「リアルな等身大」の「あなたが必要です」と伝え続けたい。