女優を目指す夢を応援する話、妊娠した子への支援、前2回は特殊な事例からセカンドオピニオンティーチャ―の意義を書きましたが、今回は目立たないけど大切な役割を紹介します。
学校の生徒のうち、そのほとんどが「フツー」な子なんです。飛びぬけて成績が良いわけでもなく、かといって問題を起こすこともない。クラスメイトのカリスマでもなければ、いじめの標的になることもない。そう「フツー」なのです。
しかし、その「フツー」こそ実は支援を必要としているのかもしれません。「フツ―」な子は先生から声をかけられる機会が明らかに少ない傾向にあります。成績が良かったり、リーダーシップを持ち合わせる生徒は、先生から生徒会役員のような様々な役割を任せられることが多いです。また、そういった生徒は先生との良好なコミュニケーションの取り方を心得ていますね。こういった生徒との関わりは先生にとって「理想の教師と生徒像」であり、先生稼業の中でとても気持ち良いものです。
一方、問題を抱えた生徒への支援は慎重かつ迅速な対応が迫られ、先生としての力量が問われるだけに待ったなしの真剣勝負となります。
さて、1クラスの中でリーダー層も問題を抱える層もほんの一部です。残りは「フツー」な子。
卒業して何年も経ってからかつて関わった生徒に会ったとき、「私の名前覚えてる?」と聞かれることがあります。まるで先生を試すかのような口ぶりで。
多くの生徒と関わっているとやはり「フツ―」な子の名前はすぐに出てきません。ちょっと寂しそうな目で「私、在学中は地味だったもんねー。先生と話したことほとんどなかったもん。」
こう言われると先生として恥ずかしく、そして申し訳ない思いでいっぱいになります。生徒を個として見ていたのではなく集団の中の「その他フツーの子」という固まりで見ていたのです。
しかし1人の人間としての生徒に「フツー」なんでものはありません。大なり小なり悩みを抱え、嬉しいことがあればみんなで分かち合いたい気持ちを持っているはずです。
先生は1日の大半を問題を抱える生徒との対応に追われ、リーダー層生徒のスキルをより伸ばすための努力に時間を費やします。多忙な中で、一見、何も問題のない「フツ―」な子を見落としてしまうかもしれません。
先生から見て「フツー」な子とカテゴライズされてしまう生徒こそ、セカンドオピニオンティーチャーとして寄り添うことも必要なのではないでしょうか。
画像は、私が高校教師時代、クラスの生徒とのコミュニケーションツールとして使っていた学級日誌です。その1ページ1ページには生徒たちの個性が全力でぶつけられていて「フツ―」なんて言葉は決して見当たりません。
忙しい学校の先生に代わって「フツー」とカテゴライズされる生徒の心を受け止めていきたいものです。