ごあいさつと自己紹介

こんにちは。歌手の沢知恵(さわともえ)です。私は日本、韓国、アメリカで育ち、3歳からピアノを弾き始めました。とにかく、うたうことが大好きな子どもでした。1991年、東京藝術大学音楽学部楽理科在学中に歌手デビューし、最新作〈雨ニモマケズ〉を含め28枚のアルバムを発表しています。1998年には、戦後初めて韓国で公式に日本語でうたうことがゆるされ、日本レコード大賞アジア音楽賞を受賞しました。東京で季節公演をするほか、声をかけられればどこへでも、ピアノ弾き語りコンサートをしに出かけています。ハンセン病療養所、災害被災地、少年院、児童養護施設でのボランティア・コンサートもつづけています。現在は歌手活動をしながら、岡山大学大学院で学び、二人の中学生を育てるシングルマザーでもあります。


このプロジェクトで実現したいこと

2018年、私は「ハンセン病療養所の音楽文化」を研究するために、岡山大学大学院の教育学研究科、教育科学専攻に入学しました。ハンセン病療養所は、いま終わりのときを迎えています。入所者の平均年齢は85歳を越えました。何をどのように残すか、各方面でさまざまな議論があります。有形のものだけではなく、無形の文化遺産も大切です。療養所の110年超にわたる歴史の中で、一般社会と呼応しながら、特有の音楽文化が形成されました。吹奏楽や管弦楽の楽団があり、盲人会を中心にしたハーモニカ・バンドがあり、コーラスがあり、民謡があり、3日3晩おどりあかした夏祭りの盆唄があり、療養所内の学校では音楽教育があり、教会の賛美歌があり、カラオケ導入後はクラブが結成され全国交流がありました。故郷を思いながら海辺で口ずさんだうた、畑仕事で互いの無事をたしかめあったかけ声のうたもあります。音楽は「生命維持に不可欠な」存在でした。いまもそうです。これまで数多くのハンセン病研究がなされてきましたが、音楽そのものを扱った例はありません。私はフィールド調査と文献、音源などの分析により、ハンセン病療養所にどのような音楽がどのように存在したのかをあきらかにし、その意義を考えたいです。修士論文では、青森から沖縄まで全国に13ある国立療養所の「園歌」にテーマをしぼり、それぞれの成立の経緯、音楽と歌詞の特徴などを検証します。抑圧と解放のはざまで揺れ動いた「権力」「権威」と音楽の関係にも光をあてます。隔絶された共同体で生まれた音楽について考えることは、「人間にとって音楽とは何か」という普遍のテーマを問うことにもなります。


プロジェクトを立ち上げようとした理由

新型コロナウィルスにより、おもな収入源であるコンサート活動とゴスペル教室が休止になりました。厳しい経済状況に陥り、先も見えません。二人の子どもをかかえては、生活が優先です。このまま研究をつづけることは難しいと、一時は退学も覚悟しました。そんなとき、心配してくださる方々から、「クラウド・ファンディングはしないの?」「知恵さんのために立ち上げてもいい?」と言われました。ありがたいことです。するのであれば、私自身がみなさまにお願いすべきであると思い、今回プロジェクトを立ち上げました。学業をあきらめざるをえない大変な状況の学生がたくさんいるなかで、ためらいもありましたが、この研究はいま私にしかできないものであると、先生方、友人たちに励まされ、思いきってお願いをするものです。


これまでの活動

生後6か月のとき、私は初めて瀬戸内海のハンセン病療養所、大島青松園に行きました。キリスト教の牧師で、学生時代に大島青松園でひと夏を過ごした父に抱かれて。当時、療養所で赤ちゃんを見ることは、考えられないことでした。特効薬の発見によって、ハンセン病はとっくに治っていました。にもかかわらず、長くつづいた強制隔離の政策「らい予防法」と、誤った知識による社会の差別、偏見があったからです。療養所内で結婚しても、子どもをもつことはゆるされませんでした。入所者のみなさんは、赤ちゃんがやってきたあの夏の日のことを、ずっと忘れないでいてくれました。父の死後しばらくして約20年ぶりに訪ねたら、「知恵ちゃん、大きくなったね。よう来たね」と涙で迎えてくださいました。「あんたは床をハイハイしとったよ」と。人が人を覚えている愛の大きさに、私は圧倒されました。以来、大島青松園は私の「故郷」になり、2001年からは毎年コンサートをしています。2012年には、大島青松園に生きた高見順賞受賞の詩人、塔和子さんの詩を集めたアルバム〈かかわらなければ~塔和子をうたう〉を発表しました。そして2014年、長く暮らした千葉県から岡山県に移住しました。一番の理由は、大好きな大島のみなさんの最後に、かかわった者として寄り添いたいと思ったからです。月に2、3回、瀬戸大橋を渡り、高松から船に乗って遊びに行っています。2016年からは、毎月最後の日曜日に、101年の歴史を閉じたプロテスタント教会「大島キリスト教霊交会」をひき継いで、有志で礼拝をしています。1935年に建てられたヴォーリズ建築の教会は、いまも生きつづけています。2018年、子育てがひと段落したこともあり、47歳で岡山大学大学院に入学しました。大学院では、専門のちがう学生たち(干支が2回りちがう!)と「差別」をテーマにPBL活動も行い、ご専門のちがう先生方(同い歳くらいだったりする!)からも、おおいに刺激を受けています。長期履修により、2021年修了予定です。

YouTube 塔和子:詩/沢知恵:曲《胸の泉に》


おもな資金の使い道

大学院の学費と研究費、そしてリターンにかかる経費にあてます。研究費は、フィールド調査の交通費、滞在費、資料購入費、コピーや音源・映像複製費など、大学院修了までにかかる費用です。


リターンについて

支援してくださったみなさまには、大学院修了後に、私から論文の要旨を含む報告とお礼の手紙をお送りします。論文の謝辞には、感謝をこめて、みなさまのお名前を掲載します(ご希望でない方はしません)。金額によってリターンに差はつけたくないのですが、ルールに従って次のようにします。10,000円以上の方には修士論文のコピー1部を、20,000円以上の方には加えて、ハンセン病療養所に関連のあるCDを3枚(ひとつは2枚組)、100,000円以上の方にはそれに加えて、ご希望の方にご自宅などで「ハンセン病療養所の園歌についてのレクチャー&ミニコンサート」をします(限定数5名さままで、交通費と宿泊費など別途、日程は2022年3月末までで応相談)。なお、本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も計画を実行し、リターンをお届けします。


実施スケジュール

ただいま副業に精を出しながら、これまでの調査をもとに修士論文を書き進めています。今後かなえば、さらなるフィールド調査をし、入所者のお話をおうかがいしたいです。ご高齢で、お話を聞ける方がどんどん少なくなっていきます。焦っています。予定では2021年1月に提出し、審査を経て3月に修了となります。


最後に

ハンセン病は新型コロナウィルスとはちがって、感染力のとても弱い感染症です。感染してもめったに発病しません。その証拠に、これまで療養所で発病した職員はいません。遺伝病でもありません。いま日本であらたにハンセン病を発病する確率はゼロに近いです。全国の療養所には、いま約1,200人のハンセン病回復者が暮らしています。「音楽がなかったら、生きられんかった。音楽に生かされた。」大島青松園のコンサートでいっしょにうたう東條高さん89歳は、きっぱりそう言います。閉じこめられ、人と隔てられる日々、ハンセン病療養所の人たちが経てきた比べものにならない苦しみと、それをくぐりぬけた「強さ」を思いめぐらしています。論文を通して、少しでもそのことを伝えられればと願っています。なんとしても大学院を修了したいです。どうかお力を貸してください。応援よろしくお願いします。

YouTube 東條高&沢知恵 賛美歌《ここも神のみ国なれば》


  • 2022/11/11 21:11

    コロナ禍で大学院での学びをつづけられなくなった私のためにご支援くださったみなさん、ありがとうございます。おかげさまで2021年の春、岡山大学大学院教育学研究科を修了し、このたび2022年11月、修士論文をもとに本を出版することができました。岩波ブックレット『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史-...

  • 2021/03/31 12:06

    2021年3月25日、岡山大学大学院教育学研究科を無事修了しました。たくさんのお祈りとお支えをありがとうございます。新型コロナウイルス感染症対策をとり、学生のみ参加で、午前と午後に分かれて行われた学位授与式では、こみあげてくるものがありました。いっしょに入学し、去年修了したほとんどの仲間は、式...

  • 2021/01/21 12:19

    おかげさまで、岡山大学大学院教育学研究科に、修士論文「日本の公立ハンセン病療養所の園歌―抑圧と解放のはざまで生まれた音楽―」を提出することができました。感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんのお祈りと応援をありがとうございます。コロナ禍で、フィールド調査をはじめ、じゅうぶんにできなかった部分もあ...

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