ご無沙汰しておりました。 工藝の館にも冬が訪れました。 といっても、この時期としては積雪が多いです。 急な雪でしたので、この地域のひとでも慌ててしまいますね。 お待たせしておりますが、ようやくリターンとしてお送りする汁椀の 荒挽きの木地が工藝の館に届きました。 荒挽きとは辻さんが木地挽きをする前の段階で、木地を厚く削って 乾燥させたもののことです。 荒挽きの木地は専門の業者から仕入れています。 辻さんの木地挽きが始まりました。 左「荒挽きの木地」 真ん中「外側だけ辻さんが木地挽きしたもの」 右「内側も辻さんが木地挽きしたもの」 パトロンさまへのリターンが形になってきてうれしいです!
木地師にとって欠かすことの出来ない道具といえば、 木地を挽く道具である鉋(かんな)です。 この鉋、どこにも売っていません。 では、どうやって手に入れるかというと、 木地師が自分で鉋をつくるしかないのです。 木地師は木地を挽くだけでなく、鍛冶屋のような 作業をしないといけないのです。 自分で鉋をつくるわけですから自分にあった鉋を 使うことができるというわけです。 職人はどこの世界でも道具が大事ですね。
[工藝の館の辻さんにSUCCESSの報告に行ってきました] こんにちは、コンコントの山崎です。 皆様のご支援により、目標金額の30万円に到達することができました! 今日が支援募集の最終日ということで、最後まで達成できるかどうか わからないドキドキな一日となりました。 数日前までは、 「無理じゃないかなー」 と辻さんも話していたぐらいで、 私も不安には感じつつも、 「最後の盛り上がりでなんとかなります」 と根拠もなく強気には答えていました。 そんな状況でしたので、辻さんに良い報告を出来てとても嬉しかったです! そして、早速汁椀の納期の打ち合わせになりました。 パトロン皆様、ありがとうございました! そして、これからもよろしくお願いいたします。 残り6時間を切りました。 最後まで走り抜きたいと思います!
〜①のつづき〜 コンコント 北野さんは将来、地元である滋賀県に帰る予定ということですが、 地元に帰ってからはどういった形で活動されていく予定ですか? 北野さん 今は地元にほとんど木地師がいないわけですから、 自分が先陣を切って、若いひとを集めていっしょに 地元を盛り上げ、木地師の仕事を根付かせていきたいと 思っています。 コンコント 頼もしいですね! 工藝の館にはどういった経緯で入ったのですか? 北野さん 僕の場合は辻先生に入らせてくださいと言って 工藝の館に入りました。 コンコント どうして辻先生のところを選んだのですか? 北野さん 辻先生のやられている仕事のやり方が自分の思い描く 理想のスタイルだったので、このやり方を学びたいと 思ったからです。 旋盤(せんばん)という機械を使えば同じ形のものを 効率よくつくることができますが、僕は鉋(かんな) ひとつでうつわを作り上げる職人技に憧れました。 原始的なやり方ではありますが、こういったやり方を 受け継いでいきたいと思っています。 コンコント なるほど、木地師といえどもいろいろなやり方が ありますしね。 辻先生といっしょに山に行ったりしますか? 北野さん よく連れて行ってもらってます。(笑) 辻先生は森の名人なので、いろいろなことを 教えてくれるので面白いです。 コンコント 北野さんが地元で暮らしていたときは山に行ったり していましたか? 北野さん 山にはあまり行かなかったですね。 環境としては菅谷(すがたに)町と似たようなところですが、 山で山菜を採ってきて食べたりすることもなかったので、 びっくりしました。(笑) でも、そういった面を受け継ぐことも必要だと感じていますし、 山のことも勉強のひとつだと思っています。 コンコント 辻先生の木地師としての生き様も受け継いでいくわけですね。 北野さんはどういったつくり手になりたいですか? 北野さん 基本的には職人としてやっていきたいです。 時間の余裕があれば作家活動もやっていきたいですね。 1000年以上前に、滋賀県蛭谷(ひるたに)で木地師文化が発祥しました。 その後、時代を経て、工藝の館がある菅谷町よりさらに山奥に入ったところに 木地師が移り住み、この地域でも木地挽きの仕事に携わるひとが多く現れ、 全国一の木地挽物産地となりました。 蛭谷で生まれ育った北野さんが菅谷町で木地師の修行をして、木地師発祥の 地である蛭谷で木地師文化を再び広めたいという想いに、大いなるロマンを 感じました。 蛭谷が注目の浴びる地域になるように、北野さんに期待したいです。 北野さん、お話いただきましてありがとうございました!
北野宏和さん(きたのひろかず)[滋賀県出身] コンコント 北野さんは滋賀県出身ということで、滋賀県には 木地師発祥の地という場所があるらしいのですが、 なにかつながりがあるのですか? 北野さん ありますね。 滋賀県の蛭谷(ひるたに)という山あいのところに 木地師発祥の地と呼ばれる場所があります。 平安時代に、この土地でろくろ挽きを考案したと いわれている惟喬(これたか)親王という方が いらっしゃいました。 年に一度、木地師文化を次世代に伝える目的で 開催されている惟喬親王祭が蛭谷にある神社で行われ、 全国から木地師さんたちが集まります。 僕はその神社のとなりにある家で育ちました。 コンコント そうなんですか! 木地師の発祥の地ですので、まわりに木地師さんがいて、 その影響で木地師を志したのですか? 北野さん 実を言うと、この地域には木地師はほとんど いないんですよ。 惟喬親王祭には、ここ菅谷町の木地師の方たちや もちろん辻先生もいらしていました。 そういったきっかけで辻先生にお会いすることができ、 ご縁が重なって木地師を志しました。 コンコント こちらに来る前から辻先生を知っていたのですね。 北野さん はい、高校生のときに工藝の館に見学に来たりもしました。 辻先生は覚えていないと思いますが・・・ ろくろ技術研修所の所長をされている川北良三先生にも 惟喬親王祭でお会いしました。 川北先生の勧めもあり、高校を卒業と同時にこちらにある ろくろ技術研修所で学び始めました。 コンコント 北野さんは昔からものをつくることが好きだったのですね? 北野さん そうですね、好きでしたね。 親も漆器とは違うのですが、木工関係の仕事をしていました。 遊びで木工をつくったり、ものづくりを身近に感じることが できる環境で育ちました。 地元で木地師として仕事をすることが小さい頃からの夢でした。 〜②へつづく〜