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[コンコント×木地師 辻新太郎]伝統工芸でつくり手の想いを伝える汁椀プロジェクト

現在の支援総額

370,000

123%

目標金額は300,000円

支援者数

49

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2014/10/07に募集を開始し、 49人の支援により 370,000円の資金を集め、 2014/11/13に募集を終了しました

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[コンコント×木地師 辻新太郎]伝統工芸でつくり手の想いを伝える汁椀プロジェクト

現在の支援総額

370,000

123%達成

終了

目標金額300,000

支援者数49

このプロジェクトは、2014/10/07に募集を開始し、 49人の支援により 370,000円の資金を集め、 2014/11/13に募集を終了しました

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〜①のつづき〜 竹本さん  そうですね、あと・・・       辻先生が栗やきのことかを近所の山でとってきて、       「これ、食べろ」って言われるんですけど・・・。(笑)       私が育った環境には畑とかが近くになくて、       野菜をつくる機会もあまりありませんでした。       自分の感覚としては、スーパーで売っているものが       きれいで安心なもの、そのあたりの山にある自然のものは       信用できないみたいな気持ちがあったのですが、       「こんなに山のものを食べていいんだ」って気づきました。       今までは食べる過程と野菜などがつくられる過程が       切り離されていたのが、こっちに来てそのふたつが繋がった       という気がします。       ちょっと前まで売っているものが安心という感覚だったので、       自分がつくった刃物で木地が挽けることや、       自分が作ったお椀が使えるということがうれしい半面、       びっくりするという感覚がありました。(笑) コンコント なるほど、社会の仕組みが複雑になってしまった       現代ならではの感覚かもしれないですね。 竹本さん  辻先生は昔の話をしてくれるのですが・・・。       辻先生の世代は戦前、前後からバブルを経てって感じで、       ものづくりのことだけでなく、農業や村の話にしても現代とは       かけ離れたことを話してくれて、この世代のひとが抜けると       かなり日本が変わってしまうなって思っていまして・・・。       私が研修所にいたときも辻先生が面白い話をしてくれました。       辻先生の話を聞くだけ聞いて、研修所を卒業したらさようならって       感じで地元に帰ってしまうのは、もったいないことだなって       思ったんです。       それで、毎日ちょっとでも自分が木地を挽いていたら、       辻先生っていうひとがいたんだよって言えるかなって思って、       木地挽きを続けてみることにして、今に至っています。 コンコント 辻先生に教わってみてどうですか? 竹本さん  辻先生は木地のことでもなんでも教えてもらえるので、       聞けるときにいろんなことを聞いたほうがいいかなって思って、       日々過ごしています。       辻先生と山に行くのも楽しいですしね。(笑)       山での予想外の展開もいろいろありますし、おもしろいです。(笑)       辻先生は無邪気なところがあるというか・・・。 コンコント 研修所で辻先生のことを聞くとみんな       少年みたいって言いますね。(笑) 竹本さん  そう、少年ですね!(笑) コンコント 来年、ここを出て独立されるのですね? 竹本さん  そうですね、来年の3月にここを出て、       この近くにある工房を借りて独立する予定になっています。       ご飯を食べていくためには職人としてやっていきたいですね。       時間があるときに自分のつくりたいものもやりたいですけど、       基本は職人としてやりたいです。 これから独立されるということで、 新たな一歩を踏みだそうとしている竹本さん。 若いひとが腕利きの職人になるためにも どんどん仕事を若手の職人に与えていくことが 産地として重要なことでもあります。 竹本さん、ありがとうございました!


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竹本尚子さん[奈良県出身] コンコント 山中にあるろくろ技術研修所にはどういった経緯で入りましたか? 竹本さん  刳物(くりもの)をやってみたいと思い、       ろくろ技術研修所に入りました。       やりたいことがあったら、いつか飛び込んでみよう       と心に決めていました。       いつしか、刳物をやりたいという気持ちが湧いてきたのですが、       なかなか決心がつきませんでした。       ここに来る前は介護の仕事をしていたのですが、       そこの職場のひとが       「行かないで後悔するより行って後悔した       ほうがいいんじゃない」       と言って、背中を押してくれました。       でも、こっちに来る前は2年で帰って、       また普通に働くつもりでいました。(笑) コンコント そうなんですか。(笑)       こちらに来られて今、何年目ですか? 竹本さん  4年目です。(笑) コンコント 研修所に入って最初の印象はどんなかんじでしたか? 竹本さん  木地師は刃物さえも自分で作らないといけないのですが、       それを研修所に入って初めて知ったときは、       「大変なところにきてしまったな・・・」       って思いました。(笑)       そもそも自分がつくった刃物でものが削れるということが、       今までの感覚としてなかったです。 コンコント そんな状況の中でも現在までやって来られたのですね。 竹本さん  そうですね。       でも、未だにわからないことがありますし、       なにがダメなのかもわからないこともあります。       わからないからこそ、続いてきたのかもしれないです。(笑) コンコント この土地の暮らしはどうですか? 竹本さん  私が生まれたところはニュータウンと呼ばれるような       新しくできた団地でした。       土地に根付いた暮らしがないような場所なので、       ひととひととのつながりがうすかった気がします。       そんな環境で育ってきたので、こっちに来て       ご近所付き合いの濃さに驚きました。       町の祭りになぜ、そこまでがんばるのかと       思ったりもしましたね。(笑)       こんな世界があったのかと、びっくりしました。(笑) コンコント 日本といえどもそんなに住む環境で文化が違うんですね。 〜②へつづく〜  



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阿曽哲央(あそ てつひろ)さん[宮城県仙台市出身] 工藝の館で仕事をされている辻さんのお弟子さんに お話を聞かせていただきました。 コンコント 木地師を志した経緯は? 阿曽さん  仙台で漆器とはまったく関係のない仕事をしていて、       週に一回程度宮城県の鳴子に行き、漆に触れる機会を       持っていました。       漆に触れる中で、自分でもうつわを挽いてみたいと思うようになり、       ろくろを挽く技術を身につけるため、山中に来ました。 コンコント どうして木地師を選んだのですか? 阿曽さん  ここ山中では木地屋さんがいて、下地塗り屋さん、       上塗り屋さん、さらに豪華にするときは蒔絵屋さんが加飾します。       仙台でやっていたときは、他の産地で木地を挽いてもらった       ものに漆を塗るという感じだったのですが、       今の時代それではダメだと感じたんです。       ゼロから完成まで手がけられるようになりたいと思い、       木地を挽く勉強をするためこちらに来ました。 コンコント どうして工藝の館で修行することにしたのですか? 阿曽さん  工藝の館には辻先生から「うちに来ないか」と言われ、       去年から工藝の館でやらせてもらっています。       とにかく与えられたことはしっかりとやるように       してきました。       最近は木地挽きしたものを辻先生に直される箇所は       だんだんと少なくなってきています。 コンコント 辻先生はきびしいですか? 阿曽さん  きびしいです。       でも、とりやえずやらせてくれて、辻先生は黙って       見ていてくれるのが有難いですね。       その都度いろいろ言われるといやになってしまうと思います。 コンコント そうですね、それは嫌ですね。(笑)       これからの木地師としての目標はどのように設定してますか? 阿曽さん  いちからじゅうまでうつわを自分で作ってみたいですね。       お客さんからの要望を聞いたうえで、       木地を挽いてみたりもしたいです。 まだまだ仕事をやる上で見えていない部分が たくさんあると語る阿曽さん。 お客さんに喜んでもらえるうつわをつくるには 日々精進するしかないのですね。 阿曽さん、お話いただきましてありがとうございました!