本日、少年院の「中」での支援活動では、私たちが常識的に前提としているものが前提となっていないことに直面した。 今日はPC基礎講習ということで、「タッチタイプ」「エクセル(関数)」「ワード(文章タイプ)」を、時間を区切って行った。本当に基本的なことではあるが、10代の子どもたちはすでにスマホシフトしているため、タッチタイプはむしろできる子どもの方が少ないのではないかということ。そして、エクセルを使いこなす10代もまた少ないのでははないか。 つまり、「できない」「わからない」は少年院の子どもたちが特別ではなく、世代的に「触れる機会に乏しい」のではなかと思うのだ。 既に数回目の子どもと、今日から参加する子どもが混在するクラスで、私は今日から参加する子どもに付き添った。まだあどけない横顔と、日常の生活をともにする法務教官の方々ではない大人の存在は、彼にどう映ったであろうか。 タッチタイプは、それぞれのレベルに応じてソフトを使って練習するが、ホームポジションのない我流ではあるが、それなりに早く打ち込んでいく。そこそこPCを使ってきた子なのかなと感じたほどだ。しかし、彼の手が止まった。 エクセルの関数といっても、SUMを使ってみる程度のもので、いまお読みいただいている多くのひとにとっては造作もないことだろう。しかし、初めてエクセルを使うときに、「これかな?」と思いながら進めていったときのことを思い出していただきたいのだが、サクサクとはできない。一回できると、「あぁ、こんなものか」と思う。 しかし、彼の手は止まったのだ。どこで止まったのか。まずは「品物」とセルに打ち込む際に、「品物」を「しなもの」、そして「SHINAMONO」に頭のなかで変換ができず、固まった。そこで、紙の裏に「しなもの」と「SHINAMONO」と書いた。すると彼は素早く文字を入れ込んだ。 「品物」を「しなもの」と読めなかったのか、それとも「しなもの」を「SHINAMONO」に変換できなかったのかは聞かなかった。彼のことをまったく知らないからだ。これまでの成育歴、そのなかでの出来事や感情の起伏などがわからない状況で、しかも初対面では、どうしてできないかよりも、どうしたらできるかだけに集中する。 次に、「みかん」や「りんご」をタイプするところでも手が止まった。それとなく「MIKANN」「RINGO」と紙上に書き込むと、ささっとタイプしていく。そんなこんなでSUMを入れた彼は、初めてのエクセルで課題ができたことにふと笑顔を見せた。 なぜ、彼は漢字やアルファベットができないのかを考えた。年齢的には小中学校が終わっている。漢字も特別難しいものではなく、また、アルファベット(ローマ字)も、高度なものが要求されたわけではない。しかも、彼はアルファベットを見て、しっかりとタイプしている。 いくつかの可能性は浮かぶが、この基本的なことができない彼の生い立ちを勝手に想像してみる。学校段階であれば、どこかでわからなくなったとき、誰にも聞けなかったか、誰も気が付かずに教えてあげなかったのかもしれない。そして、できないままでも授業は進むが、進級し、卒業する。 小学生であれば、宿題でわからないことがあれば親に聞くこともあるだろう。しかし、親や保護者がいなかったのかもしれない。いたけれどもちょっとした質問ができない関係性だったのかもしれない。少なくとも塾などに通っていればここらへんはサポートされたのではないかと思うのだが、そういう機会もなかったのかもしれない。 全部想像ではあるが、事実として彼は漢字やアルファベットが理解できていない。かなり基礎レベルであり、小学生で習熟すべきものだ。そして彼は退院後に仕事に就くことを目指すだろう。学力が身についてなくても働ける場所はあるかもしれない。しかし、わからないことは聞くことで解決できることや、そもそもわからないことをわからないままにしないようにすることが経験として抜けているかもしれない。 仕事に就いてもうまくいくだろうか。仕事のみならず、今後の生活や人生はどうなるだろうか。彼に手を差し伸べるのは、彼を理解し、受け入れる”よい大人”だろうか。 ずっとそんなことを考えている。誰が彼を支えていくのだろうか。 彼は終始笑顔だった。ふんわりと笑う表情は、まだ幼さを残す。ただ、それは私が外から来た誰かだからで、余所行きの顔をしたのかもしれない。実際、少年院の中にいる少年は、愛情を持って接する法務教官に対して、感情的になったり、よくない態度をすることもあるそうだ。愛着形成に起因するのかもしれない。 しかし、誰だって他所行きの顔や態度をするだろう。完全に素のままで誰とでも接することができるひとのほうが稀だ。そして彼らは退院後、社会に出る。いろいろなひとがいる場所だ。それを聞いて、少年院の外側から内側に入る僕らは、少しばかりの「社会」という風を持つ大人として、少年院内外をつなぐ存在になり得るのではないだろうか。 それが直接的にどのように子どもたちの役に立ち、成長に寄与するのかまだ見えていない。しかし、これまで彼があったこともないような大人のひとりとして、彼や彼のような子どもたちにかかわることができる、それはとても価値のあるチャレンジだと思うのだ。 文責:工藤啓
私が多摩少年院の運動会を観させていただくにあたり、最も考えさせられる演目が「保護者参加競技」と「昼食会・集団面会」である。少年たちが少年院に来るまで、そして少年院から出るまでの期間は概ね一年を越える。 つまり、通常の面会の機会を除き、保護者や家族が子どもと会える機会は著しく制限されている。しかも、面会室は互いに座って話をすることから、子どもの心身の成長を目の当たりにすることは難しい。10代は数か月みないだけでも身体つきが変わる。そんな成長著しい時期、保護者がわが子の「動く状態」を見ることができ、制限の少ない形でコミュニケーションを取りながら食事をともにすることができるるのは運動会という機会くらいしかない。 そもそも、少年院にいる少年たちの家庭は複雑である。実父母が揃っている割合は男女とも3割前後で、母子家庭の割合の方が多い。 今年の「保護者参加競技」は、少年が風船を膨らませ、家族ゾーンまで走って来て、家族の誰かと背中合わせで両手の肘をそれぞれ掛け合わせ、身体の間に風船を挟む。そしてグランドの中央までそのまま移動して、風船を割る。その後、家族ゾーンまで一緒に戻り、少年は家族と離れてもとの場所に戻っていく。 最初、法務教官が見本を見せる。少年役の教官はわざと大げさに「おとうさーん」と叫ぶ。その声を聞いた父親が登場し、久しぶりの再会に強く抱きしめ合う。その後、風船を背中で挟みあい、コミカルな動きで移動し、風船を割る。戻るときには手をつなぎ、スキップをしながら、笑顔で戻っていく。「大げさに」と言ったが、誰にもわかりやすく、笑いを誘うべく大げさに振る舞う。 そして、実際に競技が始まると少年たちは次々と家族ゾーンに向かい、家族を探す。 ある少年は満面の笑みで家族のもとに駆け寄る。そして父親と抱擁し、笑顔で所定の位置へ移動。風船を割ったあと、肩を抱き合い何かを話しながら家族ゾーンへ戻って来た。10代らしい笑顔だ。父親の表情も久々の息子との再会に笑顔がはじけている。 別の少年は、法務教官のように大きな声で「おかあさーん」と叫んだ。恥ずかしさで感情を抑えてしまいがちな少年たちのため、法務教官がとったオーバーな見本の意味に気が付いた。そして近づいてきた母親に、大きな身振り手振りで駆け寄り、楽しそうに会話をしている。その安心した表情は少し長く家に帰ってこなかったお母さんと再会した園児や小学生のようでもあった。母親と小学校低学年くらいの弟が出迎えた少年は、何やら話し合って背の丈が合わない小さな弟と風船を運び、抱っこして家族ゾーンへ。 家族といっても実父母、または、そのどちらかがいる少年ばかりではないのだろう、祖父と思しき年齢の離れた男性が迎え出たこともあれば、親子というには年齢は近く、おそらく、姉とみられる女性ひとりで出迎えているケースもある。外国にルーツがあると思われる母子の姿も見られた。 すぐに身体を密着させられる親子、互いに遠慮してうまく移動できない親子、満面の笑みで会話する親子、どちらも涙を流しているように見える親子、積極的に会話する祖父母や、誰が競技に参加するかを譲り合っている家族の姿があった。さまざまな競技や出し物があり、対抗戦としての競技得点があり、音楽や号砲など、中学や高校の運動会と変わらない風景のなかでも、少年たちがおかれた家族の複雑性が、少年院運動会にはあった。 少なくない数の少年は、出迎える家族や親族が不在だった。理由は知りようもないが、周囲の少年が久しぶりに家族との再会を果たすなか、彼らは何を思うのだろうか。出迎えのない少年は、膨らませた風船を持って法務教官のもとへ行く。法務教官も大きな笑顔で子どもたちを迎え、そして実の家族であるかのように背中で風船を挟み、あえて大げさな動きで移動、風船を割って家族ゾーンに帰ってくる。笑顔の少年もいれば、感謝の意を表した動きをしながらも表情はあまり変わらない少年もいる。 ※この記事は、2016年10月15日に、Y!ニュース掲載原稿より抜粋しています。全文は下記より読むことができます。 躍動する少年と家庭の複雑性、少年院運動会を見て(工藤啓) - Y!ニュース 文責:工藤




