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ホワイトボードで1億円!幻冬舎ブランドコミックとバタフライボード創業物語を漫画化

持ち歩けるホワイトボード「バタフライボード」の創業物語を幻冬舎ブランドコミックと漫画家の「伊野ナユタ先生」と協業してマンガ化するプロジェクトを実施します。 連続する苦悩や決断の経緯を漫画で追体験頂き、多くの人が夢に向かい、 革新的なアイデアを実現して欲しいという願いを込めプロジェクトを開始します。

現在の支援総額

794,500

52%

目標金額は1,500,000円

支援者数

36

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/06/06に募集を開始し、 36人の支援により 794,500円の資金を集め、 2019/08/04に募集を終了しました

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現在の支援総額

794,500

52%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数36

このプロジェクトは、2019/06/06に募集を開始し、 36人の支援により 794,500円の資金を集め、 2019/08/04に募集を終了しました

持ち歩けるホワイトボード「バタフライボード」の創業物語を幻冬舎ブランドコミックと漫画家の「伊野ナユタ先生」と協業してマンガ化するプロジェクトを実施します。 連続する苦悩や決断の経緯を漫画で追体験頂き、多くの人が夢に向かい、 革新的なアイデアを実現して欲しいという願いを込めプロジェクトを開始します。

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ご支援頂いた皆さまバタフライボード創業物語の漫画化プロジェクトが無事終了しました。ご支援いただき、誠にありがとうございました。目標額には未達でしたが、支援総額794,500円という非常に多くのご支援を頂く事ができました。この場を借りて御礼申し上げます。これから11月の完成を目指し、漫画制作を行っていきますので今しばらくお待ちください。引き続きこちらの活動レポートや個別に連絡をさせて頂きますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。ひとまずはクラウドファンディングの終了報告と、みなさんのご協力、ご支援に御礼を申し上げます。バタフライボード株式会社福島英彦


創業秘話⑥
2019/07/22 09:26
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みなさま、バタフライボードの福島です。最後の開発となったBose M3の好調な販売を横目に、部署閉鎖の通達により路頭に迷いながら、転職先を模索していました。しかし、そこで思ったのは他の会社で開発を続けてもこの先同じ目に合う不安と36歳という年齢ならまだ新たな事にチャレンジできるのではないかという葛藤を続けていたところに、更なるオプションとなるボーズに残ってマーケやらないかというオファーを受け、心が動きました。モノを開発するエンジニアは野球やサッカーなどのスポーツ選手よりは選手生命は長いものの、よほど突き抜けてないと、他の職種よりも寿命は短い。そして、ボーズのリサーチの優秀なエンジニアを見て、この業界では突き抜ける事ができないと思い始めていた時だったので、モノの価値を伝えるマーケ、そしてブランドを学べるいい機会と思い、転職はやめて部署移動という形で残る事になりました。ここで学んだのは、ざっくり言うと「売る」と「ブランド」は相反するものだが、バランスをとって両方実現しなければならいという事です。これは本当に難しく、いまでもこの解は探し続けています。。。そして3年後、開発、マーケの次はよりビジネスを学ぶべく、事業開発へのチャレンジのため転職を決意し、すべてのオーディオ機器を売り払い、39歳で新たな会社、そして新たな職種という超無謀なチャレンジに臨むことになりました。しかし、想像を超える試練が。。。。。この試練の中から、夢を再び追いかけるストーリーをマンガという形でお伝えしたいと思っていますので、ご期待ください!!


創業秘話⑤
2019/07/07 17:30
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みなさま、バタフライボードの福島です。ボーズ編のラストはスピーカー開発の最後の仕事となった「Bose M3 Micro Music Moniter」のストーリーです。<ボーズ編その4>本製品は私の16年のスピーカー開発史上最も開発に時間を掛けたことに加え、アメリカ流の合理的設計に加え、日本流のこだわり抜いた繊細さを併せ持ち、プロダクトとしての完成度と「音」が今思えば頂点だった商品に思います。そして、この商品が後に部署閉鎖へ追い込むきっかけとなるとは。。。。▼当時の開発記録▼レビュー記事①https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/stapa/28187.html▼レビュー記事②https://av.watch.impress.co.jp/docs/20071026/np027.htm-記事抜粋-<M3の意外な誕生秘話>「M2」の兄貴分の「M3」は、ボーズの米国エンジニアと日本のエンジニアがコラボレーションして開発したモデルで、その際に日本のエンジニアがイニシアチブを取って開発したのだという。そう言われると、「M3」は狭い日本の住宅事情に即した製品だと頷ける。そのため、まずは日本市場向けに投入され、米国では発売されなかった。結果、「M3」は直販サイト/直営店のみでの販売でありながら、品薄状態が続く人気となり、非常に好調なセールスを記録したという。 それを耳にした米国本社のアマー G.ボーズ博士は「なぜ米国でも投入しないのか?」と疑問を持ち、米国でも販売するよう指示。しかし、マーケティング側などが「米国では500ドルの小型スピーカーは受け入れられないのでは? せめて400ドルならば……」と逡巡。そこにボーズ博士の「それなら100ドルコストダウンしたモデルを開発すればいいじゃないか」という鶴の一声が響き、「M2」の早急な開発/製品化が実現したそうだ。---------------------------------というような記事の裏側は、USのR&D部門では車載用に開発が進められていた小型で低音をブイブイ出すテクノロジーはすでに開発されていたのですが、コスト、音圧、熱の問題で日の目を見ずに眠っていたところ、一目で可能性を感じ日本で開発に着手。当時のPC用スピーカーは数千円が相場の中で、熱の問題を解決するために筐体全体で熱放射させるアルミ製のエンクロージャー、音圧UPをさせるための超特殊ドライバーユニットやコンプレサーなど、ふんだんにコストを掛け、原価を積み上げると、なんと販売価格が5万円となり、当然US本社に承認はされませんでした。そこで、日本法人社長が考案した2度目のゲリラ作戦として、日本で実績を作りUSを動かす、それでも動かなければ、Euroでも販売し絶対US本社を動かすという、無謀な作戦に出ました。結果は上記事の様に日本での異例の実績とボーズ博士の一言でUSが動き、グローバルモデルとなる唯一の商品となりました。こういった形で商品化にはなったものの、Appleをはじめグローバルで統一性のある商品を計画的に販売していく世の流れの中で、やはり本社側は非常にやりにくかったのだと思います。そのような状況で2008年のリーマンショックにより、スリム化を行うべく、日本での開発部門は解散となりました。今思えば納得の判断だったと思いますが、本当に悔しい思いと、今後の不安でいっぱいで、1年程立ち直れなかった事を記憶しています。という事で、私のエンジニア歴は16年、36歳で幕を下ろし、次なるチャレンジに向かう事になりました。


創業秘話④
2019/06/26 09:45
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みなさま、バタフライボードの福島です。ちょっと間が空いてしましましたが、本日はボーズ時代のプライベートな話です。<ボーズ編その3>ボーズ時代、仕事以外に熱中したことが「家をつくる」ことです。もちろん一から家を作る事は不可能だったので、古い家を買い、完全中身を作り変えることにチャレンジしました。毎晩会社が終わってからの3,4時間と週末を使って、スタートから完成まで2年の時間がかかりましたが、何とか完成。なんかこの感じはバタフライボードを作り始めた時と全く同じだという事に今気づきました。。。若さもありましたが、やりたい事があれば寝る時間を削っても何とかなると、この時すでに副業という感覚を体で身に着けていたかもしれません。壁も天井もすべて無くす。。。石膏ボードの隙間をパテ埋めし、下地を作るこだわりの床材を取り付ける無塗装ドアを設置する最も苦労した、天井のペンキ塗り。。腕が上がらなくなりました2年間の泥臭い作業を終えなんとか完成!ただ壁をすべて取ってしまったので、強度的に怖くなり、大工である父親を呼び、追加で柱を追加してもらいました。。。今考えると無茶なことをやってたんだなと書いてて思いました。11年後、2人の娘が成長し、トイレの壁までも無くしてしまっていたなどの理由で、愛着あるこの家を引っ越すことに。。。。次回に続く


創業秘話③
2019/06/20 15:57
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みなさま、バタフライボードの福島です。本日はボーズでの製品開発ストーリーを共有させて頂きます。< ボーズ編 その2>なんとか最終の社長面接を通過し、1997年5月に無事ボーズへの入社が実現致しました。しかし、直面した課題は、ビクター時代の音づくりとボーズの音づくりは全く違ったという事です。簡単に言うと、設計者個人に依存する職人的なビクターの音の作り方と、だれが設計してもブランドの音になる理論的なボーズの音づくり。そして目指す音は「原音再生」のビクターと「コンサートホールの感動を家庭に」というボーズの正反対なアプローチでした。どちらが正しいかという解はありませんが、日本と米国の音づくりの両方を学んだいい経験でした。そして、開発ストーリーとして最も記憶に残っているボーズ入社後4年目の29歳(2001年12月)の作品ペンシル型スピーカー55WER。開発のきっかけは、私が当時住んでいたアパートの家具の隙間にピッタリ収まるサイズで超個人的理由で開発をスタート。箱型スピーカーが常識の中で、パイプ型で如何に低音を出すかが大きなテーマ。そしてボーズ創業者のアマー G. ボーズ博士 の特許技術Acoustic Wave guide technologyの理論を改良し、プロトタイプが完成。自身初の国際特許を出願し、なんと10年後の2011年に特許化されました。そして世の中にペンシル型というカテゴリーが出来上がるまでに至りました。こう書いてしまえばへーで終わるのですが、プロトタイプから販売に至る経験は今でも脳裏に焼き付く大胆な作戦と行動でした。その指揮をとった当時の日本法人社長には今でも様々なアドバイスを頂いています。まずは音響理論が確立し、プロトタイプを制作を行い、シミュレーションと実測を1年くらい繰り返し最適化を実施。(この時はハンズで買った水道管を繋いで実験してました)そして、8割くらいの完成度で社長に「びっくりデモ」を行い製品化したいプレゼンを実施。*びっくりデモとは当時のボーズではグローバルで行われていたデモンストレーション方法で、人は見た目で音を判断するという理論を利用して、大きなダミースピーカーから音が出ている雰囲気を出し、曲の最後にダミースピーカーを取り、実際音が出ていた小さいスピーカーが出現するというデモンストレーションこのデモンストレーションが見事社長にはまり、社長)よし製品化だ。しかも直ぐにだと。。。。福島)直ぐにと言ってもUS本社の承認プロセスは長く、早くても設計着手までに1年はかかりますが、、、、社長)そんなのはわかっとる。俺には2週間で承認させるアイデアがある。福島)さらにまだ完成度が8割ですが、、、社長)いいからそれを持っていけ!福島)え?<ゲリラ作戦開始>社長)2日後ハワイに飛べ、そしてこのシステム全部をハンドキャリーしろボーズ博士が来週いっぱいハワイの別荘にいるで、一緒に直にデモンストレーションしに行くぞ!福島)え?社長)ハワイの後そのままボストンへ行け、本社役員を集めておくので、同じデモンストレーションをしてこい。俺は行かないけどね福島)え?ということで、ドタバタでしたが何とか2日後に、ボーズ博士の別荘へ到着。そして、機材セッティングやデータを準備しデモンストレーションを実施。そして、課題は頂いたものの、何とかボーズ博士から製品化のGOサインをもらいました。この課題を言わせるという事が重要だという事を後から言われ、ようやく、なぜ社長が8割で聴かせろといった意味がここで分かりました。。。時間をかけて100%完璧な商品よりも、早く80%のもので反応をみる事の重要性は、まさしく今のバタフライボードの開発思想そのものとなりました。ボーズ博士の別荘にて、左から当時の日本法人社長、私(29歳)、ボーズ博士、博士の秘書その後、中国での量産で金型不具合により、発売延期とさせてしまった反省はありますが、過去に類を見ない速さで商品化に至りました。私は社長の指示に従っただけでしたが、かなり綿密に計算された根回しが行われたゲリラ作戦でした。「行動を起こす事」、「根回しは綿密に」、「完成度は8割で早く」、といったビジネスの基本を体で学んだ経験でした。もっとディープな話が聞きたい方は、私を呼べる権利もありますので、ぜひご検討ください!次回に続く