(個人的)民泊史① 2008-2014→(個人的)民泊史② 2014-2016 (個人的)民泊史③ 2016 (個人的)民泊史④ 2017 (個人的)民泊史⑤ 2018こんばんは!今日は昨日の(個人的)民泊史①�の続きです。airbnb創業まもない2011年頃からゲストとして利用し始め、2014年にホストを開始した、ってところです。3.airbnb Japanの進出■2014ちょうど僕がホストとして活動を始めた頃、airbnbが本格的に日本進出を始めました。日本のユーザーにどのようにホスティングの魅力を伝えられるか、などのテーマで本社のスタッフからインタビューを受けたり、数少ない日本人ホストとして、まだ日本で知られていない民泊の普及に微力ながら貢献しました。優れたホストを表彰するスーパーホストという制度ができたのもこのころで、10月にはSuper Host of the Monthという賞をいただきました。そのおかげかは分かりませんが、airbnb創業の地、サンフランシスコで開催されたAirbnb Openという世界中のすぐれたホストが集まるイベントにお招き頂き、これから快進撃を始める直前のairbnb創業者達の話を間近で聞くことができました。Airbnb Openは2014年から2016年まで3回開かれたのですが、この1回目のOpenは、まだ参加者が1,500人程度で、人と人との交流の架け橋になるホストが中心となった非常に親密な雰囲気の中で開催されました。なんせみなおもてなし上手&コミュニケーション上手なスーパーホスト達です。誰と話しても面白くていい人で、感動しました。まだ一般的には民泊がほとんど知られておらず、周囲からは変人扱いだったので(まぁ、今もですが。。)妙な連帯感もありました。airbnbホストが理想と希望に燃えていた時期ですね。世界中どこへ行ってもお互いを受け入れあうことのできるコミュニティ。自分たちはそういう存在だと信じていましたし、そうあろうとしていました。少なくとも、その場にいた1,500人のホスト達は。そういうホスト達を目の前にして、airbnbのCEO、ブライアン・チェスキーが言ったことを覚えています。「airbnbはコミュニティだ。ただし、ビジネスの側面も大きい。今はairbnbをビジネスとして成功させる必要がある局面だが、必ず最終的にはコミュニティに戻ってくる」正確な引用ではありませんが、だいたいこんな内容だったはずです。僕はまだその言葉を信じて、自分の地元のコミュニティ作りに挑戦しているところです。■2015このころ、airbnb公式の「ホストコミュニティ」が発足しました。だいたい地域ごとに分かれていて、僕は神戸ホストコミュニティのコミュニティオーガナイザーに任命していただきました。このころairbnbは、東京・大阪などの大都市を中心に、新人ホスト獲得のためのセミナーやイベントを多数開催していて、そこで新しくホストを始めた人を、地域のホストコミュニティと繋げて行く流れになっていました。まだ一般には民泊などほとんど知られていない頃。ホストになりたての時って、一体何をどうしていいのか分からないことだらけだったり、不安が大きかったりするので、近くに先輩ホストがいると何かと助かるのです。オーガナイザーはミートアップという交流会を開催することができ、そこで定期的にホスト同士の情報交換や交流会を開催してきました。神戸はあまり観光に力をいれておらず、民泊で儲かる地域ではなかったので、神戸ホストコミュニティはゲストと一緒にBBQやパーティをしたり、ホスト同士がのんびり集まったりすることがメインの、リラックスしたコミュニティでした。僕自身が、儲けよりも交流を重視したタイプのホストだったから、というのもありますが、他地域のミートアップに参加して、話題が「稼働率」「売上」ばかりで辟易した思い出も多々あります。大阪なんて、土地柄もあるんでしょうけど、ギラギラしてました。まだ民泊はブルーオーシャンで、出せば出すほど儲かる状況だったのでしょうね。このころ転貸型民泊をいくつも転がしていて、法律が出来る前にうまく逃げ切った人たちが、民泊ビジネス界の勝ち組と言ったところでしょうか。airbnbのビジネス面が強くなったのは、世界的な傾向でもありました。この年にパリで開かれたAirbnb Openは、参加者が3倍ほどに拡大し、ワークショップの内容もビジネスよりのものが増えました。とは言え、まだまだホストの交流のためのイベントといった雰囲気は残っていて、昨年度に仲良くなったホストと再会を喜んだりすることもできました。日本からの参加者も、前年と比べて何倍にも増えていました。確か今をときめく片付けコンサルタントのこんまりさんが登壇した年だったかな。通訳の人との息がピッタリで、ちゃんとキャラクターとしての自分を演じているんだな、と感心しました。airbnbの急成長に伴い、民泊のネガティブな側面が報道されることが多くなっていました。住宅不足になやむパリでは、airbnbに対する反対運動もあったと聞きます。そんな中、パリ市長からの前向きなメッセージが届けられたり、市のバックアップを感じさせる内容で、airbnbやるなー。かなりお金使ったんだろうなー。と思いました。この年のairbnbオープンは、パリでおきたテロにより、残念なことに途中で中止となってしまいました。もう一回区切ります。
→(個人的)民泊史① 2008-2014 (個人的)民泊史② 2014-2016 (個人的)民泊史③ 2016 (個人的)民泊史④ 2017 (個人的)民泊史⑤ 2018今日は、だいぶ主観が入っていますが、僕が見て来た民泊の歴史を、簡単に紹介していきたいと思います。資料では読むことが出来ても、それを実際に体験してきた日本人ユーザの話を聞くことはなかなかないと思うので、逆に主観を楽みながらさらっと読んでやってください。記憶が曖昧な部分もあるので、気になる人は「airbnb 歴史」などで検索してみてください。様々なwebサイトや本で創業話がまとめられています。1.airbnb創生期■2008年airbnbの前身airbedandbreakfast.comが、空き室にゲストを有料で泊めるためのサイトとしてスタート。airbnbのairbって、エアベッドのことなんですね。何人の投資家に会っても、「他人の家に金を払って泊まるなんて、バカげたアイディアだ」とまともに取り合ってもらえなかったそうです。ちなみに、その当時のプレゼン資料が、こちら。airbnbの解決すべき課題3つのうちの1つとして「ホテルは、その地域と文化から人を分断する」とあります。この当時から、見知らぬ他人と生活を共にする体験の喜びを、彼らのプロダクトの中核に据えていたのが分かります。■2010年一般的には、この年初めてairbnbが大型投資ラウンドで約7億2000万円を調達した年として知られていますが、僕にとって大きいのは、初めてシェアリングエコノミーを世に紹介した「What's mine is yours(シェア)」という本が出版され、そこでairbnbのことが紹介されていたことです。僕は、この本でairbnbのことを初めて知りました。シェアリングエコノミーという持続可能な考え方に感動したのと、もともと旅好きだったのもあり、世界中のユニークな物件が載っているサイトを、ひたすら眺めていました。■2011年この年の夏、初めて自分でもairbnbを使ってハワイを旅してきました。4箇所くらいかな?のホストに泊めて貰いながら、全旅程を民泊で旅しました。ただし、航空券だけで買うより、ホテル付きの格安個人ツアーで行った方が安かったので、初日にホテルにチェックインするなり、そのまま部屋に若干の荷物を残してすぐに出て行くという、謎の贅沢をしました。フロントに鍵をあずけて、airbnbというサイトで知り合った普通の人の家を泊まり歩くから1週間ほど戻らない、と告げた時の受付の「????」という反応を覚えています。当時はまだ、ホテル業界の人もairbnbを知りませんでした。会うホスト、会うホスト、みんな素敵な人たちだらけで、中でも、僕の1発目のホスト、Andyとは家族ぐるみで仲良くなり、その後Andyのプロジェクトの手伝いをさせてもらったりもしました(Andyと僕は同業者)。その時に書いたブログがこちら。よかったら読んでみてください。たぶん、日本で最初にairbnbの宿泊体験について書かれたブログだと思います。(当時検索しても1件も出てこなかったので。)2.ゲストからホストへ■2012年〜2013年自分でもホストをしたいなと思いながらも、何事にもうるさい日本では絶対にできないだろうな、と半ば諦めつつ、ゲストとして旅を続けていました。そうしているうちに、日本でも、最初は在東京外国人と日本人パートナーを中心にちらほらとホストをしている人たちが現れ始め、あれ?意外と行けちゃうんだ?と驚いていました。ちょうど神戸の北野に引っ越すことになったので、エアビーをさせてくれる物件を探すことにしました。北野には外国人オーナーのマンションが数多くあり、テキトーな外国人ならOKしてくれるかもしれないと思ったのです。結果は大成功。「いいことなら何をしてもいい」という超アバウトなインド人オーナーの所有する外国人向けマンションに引っ越し、そこでエアビーを始めることにしました。■2014年初めてエアビーにホストとして登録しました。引っ越してから大分時間がかかってしまったのは、実はこのマンション、日本人オーナーのマンションと違って、入居前にクリーニングとかいう概念がなく、内覧の日に床にゴキブリの死体がころがったまま、みたいなところだったのです。ビックリですよね。入居日そのまま転がっていた時には、二度ビックリしました。別の階の住人に挨拶に行ったら「よくあの廃墟に引っ越してくる勇気があったね」と言われましたからね。まぁ、そんな状態の物件をセルフリノベして、すげーオシャレな感じにしたんですよ。頑張って。それに、1年半かかりました。その間に、ホストやっている人がかなり増えていました。日本で「初期からエアビーをやっている」なんて言っている人たちは、だいたいこのあたりで始めた人たちですね。まだ、日本支社がなかったころです。ちょっと長くなってきたので、分割しますね。
こんばんは!ちょっと中だるみヤバイ感じっすね。しばらく支援者が現れていないので、結構メンタルやられてます。でもそんな時も友人に会って話をしたり、ライブにいったり、家族とのんびりしたり、気分を前向きにする助けに恵まれているので、ホント助かりますね。それに、裏では頑張っていろいろ仕込んでいます。こないだの手ぬぐいは、facebookにアップしたら海外の友人からも欲しいって声上がっているんで、もうこうなったら(もともとそのつもりでしたが)追加すること決定します。できたら、両方の色が欲しいですよね。予算もあるので、慎重に検討してみます。他にもいくつか追加リターン計画中なので、どこかの時点でまとめてアップします。その時は、是非SNSでのシェアなど拡散にご協力いただけますと幸いです。あとは、地元バー&ライブハウス巡りをしながら、フライヤー置いて貰うよう頼もうと思って、フライヤーデザインをしています。それからfacebookページも準備していますよ。facebookページ内で、意見やアドバイス、時には拡散のお願いをするかもしれません。そう言った点でお手伝いいただける方は、是非いいね!をお願いします。まだ準備中で実際に動くまでは時間がありそうですが、どうぞよろしくお願いいたします。https://fb.me/akima.shimokitazawa今、自分でも一番しんどい時なんだろうなと思って、凹まないようになるべく平静を保ちながら頑張ってます。でも、総合的には全然ポジティブですよ。今日も渋谷の街に出て思ったんですけど、ホント外国人観光客増えましたね!いろんな国籍の、いろんな肌の色の人が、楽しそうに街を見物したり、写真とったり、ウキウキしているのが伝わってきて、嬉しかったです。僕にとってゲストを案内する時に一番楽しいのって、普段見慣れた街の当たり前の光景に、ゲストが大はしゃぎする時なんですよね。ちょっと、かわいいなぁとか、ちょっと、誇らしい気持ちになったりしますよね。地元下北沢でも、もっともっと多くの人たちの笑顔を見たいなぁ。絶対出来ると確信してるので、まだまだ頑張って行きまーす。
プロジェクトとは全然関係ないんですけど、実は僕、昔友達とインディーズレーベルをやっていたんですよ。ほとんど遊びみたいな感じで、僕なんかはただただ楽しんでただけなんですけど、そのレーベルからデビューしてくれた、ダンクってバンドマンが、新しいバンドで再デビューしてるんです。で、明日はそのレコ発ライブで、僕も行ってこようと思ってます。このダンクって男、義理堅い本物のナイスガイで、ただ一緒に遊んでただけの僕のことをちゃんと気にしてくれて、律儀に下北沢のライブハウスとか、バーとか、いろいろ紹介してくれるってんで、ちょっと僕も彼のサポートできたらなって思って記事にしてみました。サウンドはバリバリ90年代のデジロックリバイバルみたいな感じで、90'sキッズにはたまんないバイブを放っています。明日のライブには、THE MAD CUPSULE MARKETのKYONOさんも駆けつけてくれるとか。当時の熱気を覚えてる人にはたまらんと思いますんで、是非!僕の民泊にも、ミュージシャンやらアーティスト沢山泊まりに来るんで、いつかうちのゲストとのコラボとか対バンとか実現したら楽しーなー!!
こんばんは!昨日はちょっと報告がぐだぐだになってしまいました。民泊について、僕がこれまで経験してきたことを書こうと思ったのですが、民泊という言葉が指すものがあまりにも人によって違いすぎるので、誤解の無いようにと前提条件の説明から前提条件の説明が重なり、深夜の疲れ切った頭には処理しきれなくなっちゃいました。自分でもそんなんだから、これは読む方も大変だと思って、思い切って全部消してしまいました。まぁ、一応これでも報告ということで、お許しください。民泊については、どのようなタイプがあって、自分がどのような立ち位置なのか、皆さんにも分かり安いよう整理して記事にしようと思います。さて、先日皆さんに意見を聞かせていただいた屋号についてですが、facebookやメッセージなどで「秋間」がいいという声を寄せて頂きましたので、僕自身気に入っていたのもあり、「秋間」で行くことに決定しました。「秋間」は母の旧姓で、今回リノベーションする家は、もともと秋間家の別邸でした。下北沢は、何代か前には何もない田舎だったようです。一応本家筋の親戚にも意見を聞いたところ賛成してもらえたので、ロゴ用に家紋の入った布地を貸してもらいました。今日その布地が届いたので、早速家紋をトレースして、追加リターンの「手ぬぐい」デザイン案を作成してみました。金額は、1500円くらいかなぁ?これで支援していただける方が増えたらいいなぁ。。しっくり塗りワークショップの参加者にも、プレゼントしようと思っています。ご意見などお聞かせ頂けますと幸いです!リターンは、一気に追加しようと思っています。