2019/08/23 00:48
デジタル言語学は、地球環境問題と直面した結果、生まれました。
地球の自然を破壊して、野生の動物や植物を殺してきた結果、今、言語的人類は滅亡しつつあります。
長崎原爆投下は、キリスト教の植民地支配への贖罪(罪ほろぼし)であると同時に、ヒト以外の動物と植物への贖罪です。
人類は滅亡の危機にあると、いえます。いや、競馬の馬は、鼻がゴールを通過したときが、ゲーム終了です。
それにならえば、言語的人類は、すでに滅亡していて、今は滅亡しきるまでの1馬身、およそ50年の時代を生きている。そのように考えるのが、どうも、正しい時代認識のようです。
すでに滅亡しているときに、どのように生きればよいか。
それを求めて始まったのが、デジタル言語学です。
孔子の教えに、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というのがあります。
滅亡しきるまでのわずかな期間だけでも、本当の人間として生きよう。
そのために、デジタル言語学はあるのです。