こんばんは。『UNSCENE magazine』編集部の半田孝輔です。
12月25日。世はクリスマスですね。これを読んでいる皆さんは昨夜を含め、どんな夜をお過ごしですか?
僕はとくにパートナーもいないので、仕事が終わったらロンリーでアローンです。
もうね、オンリーでロンリーでグローリーって感じのヒトリノ夜を過ごしています。
雨は夜更け過ぎに雪へと変わる気配のない、土砂降りの宮崎からレポートをお届けします。
閑話休題。
さて、今回は「街をふらつく」ということをテーマに書いていこうと思います。
前回、僕のレポートで街をふらつくということについて少し触れました。
僕は人が歩きまわること(流れていくこと)とカルチャーの成熟度は相関すると考えています。
東京で学生生活を謳歌していたとき、僕は街をぶらぶらとふらつくことを覚えました。
東京って宮崎と違って電車やバスといった公共交通機関がとても便利です。そして宮崎に比べ運賃が安い。なので車ではなく基本は電車やバス移動、そして徒歩。習慣的に歩くことが多くなります。
また、街と街との距離が電車に乗るほど離れていなかったりするため運賃をケチって歩くことも多い。僕はよく電車賃をケチってどこまでも歩いていました。
そうやって歩くことが多くなるといろいろな発見があることに気付くんです。
街と街とをつなぐ道。大きな建物もなく土地の名前だって聞いたことのない一見地味な場所。
だけれど、次の街へと着くまでにユニークなお店がいっぱいある。毎日そこを通れば人の顔も覚えてきて「あそこのおばちゃん今日も元気だな〜」とか「あ、今日も民族衣装着てストリートライブやってる〜」とかストリートの出来事にいちいち反応したり、どこかノスタルジックなものを覚えたり。
街の中を歩けば、大きく人がいっぱい歩いているメインストリートではなく「裏路地」の存在を知って、探検するようになりました。そのうち裏路地の魅力にどっぷり浸かるんです。だって裏路地ってめちゃくちゃおもしろいし、それこそカッコいいお店があったりするんですよ。目に入るものは何もいいものばかりではありませんが、不穏な空気も含めてそこには人々の生活があって、何か得体のしれないゾワゾワとワクワクが混ざった、今にも何かが生まれそうな(起きそうな)パワーが宿っている。
そういうところには間違いなく、おもしろい人がいて、おもしろい場所があって、僕はそれらに不意打ちのように出会って驚かされて、ワクワクを覚えてその場を去っていくのでした。
僕はこのような体験を街をふらつくことなしにはできませんでした。
だって、車でもなんでもいいんですが乗り物に乗っているときの速度や視線の高さでは発見できないことがたくさんあったんです。ふらつく・歩くというスピード感、自分の目の高さで景色が映り込む感じ、自分の足を使っているからこそくる体感と疲労感。予期せぬ出会いの連続から街の魅力を体に吸収していくのでした。
ふらつくことの味をしめてからは、宮崎に帰ってきてからも徒歩で街を右往左往するように。
その結果として、僕は素敵な人や場所とたくさん出会うことができて、「何もない!」と言われるこの宮崎にいることを肯定的に捉えらるようになりました。古本屋、ミニシアター、服屋、コーヒー屋、バー、ご飯屋、お菓子屋…etc。枚挙にいとまがない。その一つ一つの濃ゆい〜こと。なんだ、おもしろい人や場所は存在するじゃんって。
別の視点や目線が入ってきたというか。あ、田舎でもいいじゃんって。変に都市化する必要もない。変に発展していく必要もない。ちゃんとこの場所にもカルチャーの息吹がある。街に限らず人々が毎日を過ごす「まち」に大切なことは変に外見が発展していくことじゃないんだって。
実は大都会東京を経験していたためか、戻ってきて2年くらいは宮崎や宮崎にいる人を低く見ていた時期がありました。今考えるとだいぶ奢りがそこにはあった。出会いを通して、マウントを取るような態度が少しずつ溶けてきました。
2020年には宮崎駅前に大型商業施設ができますが、それが街に人の流れをもたらすものであることを切に願います。街に人がくるのであればその場所で完結せずに歩きまわることを。そこでいっぱい出会って不意打ち食らってカルチャーショックがどこそこで起きてほしい。
車を乗り捨てよ、街をふらつこう。
あ、ちょっと雨が上がってきたみたいだ。
P.S.
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