おぢや元気プロジェクトのみなさんが設置してくれた「心の駅」です。部屋に閉じこもりがちな高齢者のみなさんの情報交換、癒しの場として、大いに活躍しました。
震災後、市内避難所は、12月27日をもって閉鎖することがてきました。このことは、避難しているみなさんが、全国各地そして市内に建築された仮設住宅、借り上げ住宅等に居を構えることができたからです。原発事故のため、南相馬市の仮設住宅は当初市内鹿島区(原発から30キロ圏外)にしか建設ができませんでした。このことから、鹿島区に31か所の仮設住宅が建築されました。容易でない仮設住宅での生活、そして、被災者のみなさんのコミニュテイーが大切だとして、新潟県小千谷市のNPO法人おぢや元気プロジェクトのみなさんが、5か所に「心の駅」を設置してくれました。おぢや元気プロジェクトのみなさんとは、私が避難所運営をしていた時から現在まで何かとご支援をいただいている団体です。仮設住宅が閉鎖された現在、この「心の駅」は、鹿島区1か所、小高区2か所、原町区2か所に移転され、地域のコミュニティーづくりの場として利用されています。ちなみに、内1か所は、「里山いちばん星」で活用されています。
「いちばん星牧場」には、現在、アルパカ2頭・屋久シカ2頭・うさぎ8羽が毎日元気に過ごしています。アルパカ2頭は、新潟県長岡市山古志にある「山古志アルパカ村」から寄贈されました。屋久シカ2頭も新潟県胎内市の「樽ケ橋遊園」さんより寄贈、うさぎ8羽は宮城県角田市の佐藤牧場さんから寄贈されています。アルパカと屋久シカたちは、震災以降、当プロジェクトを継続して支援してくれている埼玉県川越市の団体の口添えで、当牧場に寄贈されました。この動物たちを面倒見てくれているのが、当プロジェクトに最近入社した群馬県出身の五十嵐茜21歳です。彼女が動物専門学校で勉強している時、研修生として2週間程研修に来てくれました。この「縁」でこの小さな牧場の動物取扱責任者として今頑張っています。うさぎ3羽には、まだ名前を付けていません。年内に名前募集(カフェ利用券プレゼント?)をしようとスタッフ一同で検討中です。みなさんも是非ご応募ください。「里山いちばん星」で動物たちにふれあい、すべり台を楽しみ、ソフトクリームを頬張る子供たちの笑顔を楽しみにしています。
数多くのボランティアさんと繋がり現在に至っていますが、私が最初に出会ったボランティアチーム「門川復興支援チーム」(宮崎県臼杵郡門川町)を紹介します。チームは、私が震災勃発後、最初に担当した避難所「旧相馬女子高校避難所」(相馬市)に、車数台で駆けつけてくれました。チーム代表の出口さん(設備会社社長・写真右から2人目)を筆頭に、水産会社社長、消防署職員、大工さん等多彩な顔触れでした。約2週間避難所の運営や持参した食材等にる炊き出し支援をしていただきました。何より、私が次に担当した避難所「原町第二中学校避難所」に大きな仮設の風呂をつくってもらい、避難されている方々を喜ばせてもらったことが忘れられません。また、出口さんの計らいで、容易でない避難所生活のなかでカップルが誕生したことなども忘れられません。この「縁」がきっかけで、私と原町二中の避難所に避難していた「通称宮ちゃん」の2人が門川町から依頼を受け、門川町に赴き当時の震災の様子や避難所の生活や運営について話をする機会をいただきました。また、門川町の安田町長やお隣日向市の市議会議員のみなさんが、南相馬市においでになり、南相馬市や福島県の状況等を視察されました。メンバーは、年に1回程度今でも南相馬市に来てくれています。このように「縁」が繋がり、現在に至っているボランティアさんが沢山います。当プロジェクトが掲げる「縁を響かせる」の一端をご紹介しました。
「農家民宿いちばん星」は、東日本大震災の翌年7月にオープンしました。当社団としての初の事業取り組みとなりました。当社団として、地域の復興・再生の一助に一体何をなせばと暗中模索している時に、私が市職員として避難所運営等に奔走している時、全国から多くのボランティアさんたちが駆けつけてくれました。震災当時、約70,000人だった人口がわずか2,000人程度になった時期もあります。ボランティアのみなさんは、「道の駅」にテントを張ったり、車中泊をしながら、瓦礫の撤去や避難所、仮設住宅等の運営にお手伝いをいただきました。多くのボランティアさんのために、私が運営していた避難所(原町二中)の体育館をボランティアさんの宿泊所として開放しましたが、それでも宿泊場所が不足するような状況でした。そこで、私の自宅を一時ボランティアさんの宿泊所として利用したもらった時期もあります。私が市職員を退職し、当社団をスタートしたと知ったボランティアさんから、星さんの自宅を宿泊所として利用させてもらったが、今後も継続的に南相馬市へボランティアとして足を向けるので、「民宿」として営業してもらえれば助かるとの話が提案されました。これが「農家民宿いちばん星」オープンの経緯で、おかげさまで現在に至っています。震災当時は、自宅を開放しボランティアさんたちのためにボランティアをしていた感がありますが、現在は、この方々に助けられて民宿営業をさせてもらっています。繋がった「縁」は大事だと痛感しています。