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ミャンマーにある日本兵の墓地を修復したい!

ミャンマー第二の都市マンダレー。隣町のザガイン山に、約7000名の日本兵の戦没者を祀った墓地があります。建立から40年が経ち、劣化が激しい状態です。日本の管理者もいなくなり、現地の管理者も困っています。その墓を、私たちの手で修復することにより、日本とミャンマーの架け橋になるきっかけにしたい。

現在の支援総額

821,000

117%

目標金額は700,000円

支援者数

82

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/01/17に募集を開始し、 82人の支援により 821,000円の資金を集め、 2020/02/28に募集を終了しました

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ミャンマーにある日本兵の墓地を修復したい!

現在の支援総額

821,000

117%達成

終了

目標金額700,000

支援者数82

このプロジェクトは、2020/01/17に募集を開始し、 82人の支援により 821,000円の資金を集め、 2020/02/28に募集を終了しました

ミャンマー第二の都市マンダレー。隣町のザガイン山に、約7000名の日本兵の戦没者を祀った墓地があります。建立から40年が経ち、劣化が激しい状態です。日本の管理者もいなくなり、現地の管理者も困っています。その墓を、私たちの手で修復することにより、日本とミャンマーの架け橋になるきっかけにしたい。

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はじめに・ご挨拶

はじめまして! ミンガラーバー(ミャンマー語で「こんにちは」)

2018年4月から青年海外協力隊でミャンマーに赴任している清水啓(しみずけい)と申します。日本でサラリーマンをした後、休職してマンダレーにある日本の少年院にあたる施設でボランティア活動をしています!

1日の90%をミャンマー語と10%を独り言の日本語で話すような生活をしています!!


今回のプロジェクトは青年海外協力隊の本来の要請とは別にミャンマーにいて、やった方がいいと感じたことについてです。

❶このプロジェクトで実現したいこと

・ミャンマーのザガインにある日本人墓地の修繕したい。

日本人戦没者(日本兵、赤十字社などの看護師も含む)の戦没者の碑銘が経年劣化のため読むことができなくなっています。また、そのお墓となっているミャンマー式のパヤー(金色の仏塔)も塗装が剥げてきているため、修復して、もう一度輝きを取り戻したいです!

第二次世界大戦中、日本がイギリスと戦うために、ミャンマーに侵攻したインパール作戦という歴史がありました。そうした歴史を若い人にも知ってもらいたい(ミャンマーの社会科の教科書には載っています)。


・この場所をミャンマーと日本の架け橋にしたい!

また、ご存知の方々のためにも、改めてミャンマーと日本の歴史を深く知ってもらうことで、相互理解につなげたいと考えています。


❷私たちの地域のご紹介

・ミャンマー中部の都市マンダレー

ミャンマー中部の都市マンダレーは経済的にはヤンゴンに次ぐ第2の都市で、王宮を中心に歴史と文化が色づく町です。

そこから、車で30分ほどの所にあるザガインはミャンマーでも有名な仏教の大学があり、豊かなエヤワディ川の自然と仏教文化の混ざり合わさった土地です。その中心的存在のザガイン山は有名なお寺が2つあり、ミャンマー人たちの聖地として大切にされており、土日には約5000人の人が参拝に訪れます。その山の頂上に日本人墓地があります。

※ 町の様子

・当地の場所

以下が、Google mapのリンクになります。

https://goo.gl/maps/5huqX9mvhJQAdZwo7

ミャンマーの中西部に位置しております。マンダレーから40Kmほどの距離にあたります。)



❸なぜ、ザガイン山に日本人のお墓が??

第二次世界大戦中、ミャンマー北西部やインドのインパールといった地域まで進出していた日本兵を敗戦後、一時的に終結させた地がこのザガインになります。そしてザガインから鉄道で隣町のマンダレー、南部のヤンゴンへと移送した経緯から、ザガイン山に慰霊碑が作られました。

1976年    ザガイン山 山頂部に慰霊塔(仏塔)と日本人寺を建立

1986~88年 4基の慰霊碑と2基の日本軍の進行図を建立


❹現状の課題

・戦没者の氏名が読めない。お墓の塗装が剥げている。

東南アジア・ミャンマーにあるザガイン山日本人墓地。ここにある約7000名の戦没者の碑銘が劣化して読むことができなくなっております。また、日本人の建立者や管理者が来られなくなってしまい、ミャンマー人の管理者もどうしていいのか分からず困っている状況です。

※ よーく見ていただくと、うっすらと人名が読むことができる。


※ 日本語だけの説明書きのため、現地の人や外国人は読むことができない。


※ 「鎮魂」の文字もうっすらと読むことができる。


※ 白い漆喰の部分も剥げてきている。


・厚生労働省とザガイン山保存委員会の許可を取得できた。

こうした事業を管轄している日本の厚生労働省とザガイン山のミャンマー人管理者からお願いしたら、幸運にも許可を得ることができたので、修復してみようと思い立ちました。


・お墓の存在の認知度が低い。

このお墓は元日本兵が日本とミャンマーの歴史・文化の相互理解を深める目的で建立されました。しかし、日本人観光客はおろか、現地のミャンマー人にもお墓の存在が忘れられてしまっています。

戦争の歴史を今に伝えているこの慰霊塔は、現代の日本人たちや後世に伝えていくことのできる存在であると確信しております。今回のプロジェクトを通して、このお墓の存在知ってもらうきっかけをつくり、また、多くの方に近くまで来られたら少し足を延ばしていただき参拝していただきたいと思います。



❺お墓を修復することで、どんな意味を持つのか??

・先人と現地の方たちの想いを次世代につなげる。

「日本人が参拝に来なくなって久しい」とミャンマーの方によく言われます。日本人がミャンマー式の慰霊塔を建立して40年が経った今、修復する必要が出てきたのに私たちが何もしなければ、その負担は現地の方々の負担になってしまいます。或いは負担しきれなくなった場合に取り壊されてしまう可能性も含むため、今直しておくべきではないのでしょうか。

そして先代の方々が亡き戦友を偲んで建立されたこの慰霊塔を、今の私たちが修繕して輝きを取り戻すことで、次世代に戦争の歴史だけでなくこれまでこの地を訪れたみんなの思いを語り継ぐことができるようになると考えています。

※ザガイン山は山の形がカエルに似ているため、カエルを祀っています。お寺の管理者の方が説明してくださっている様子。


・ミャンマーと日本の相互理解を深めたい。

ミャンマーにおける経済成長は目覚ましく、日本はミャンマーから様々な点で頼りにされていることは実際に現地の人と話す中でよく分かります。そのためには相互理解は欠かせなく、その根底にあるのは今までの歴史であり、互いの国の歴史を尊重し合っているのかどうかも大切なことだと思います。

第二次世界大戦中、ミャンマーにおけるイギリス軍との戦いのため、約10万名の日本人がインパール作戦という作戦に動員されました。しかし、その8割強が犠牲となり、ミャンマーの地で戦死または病死をしており、このザガインより北西にかけての道を白骨街道と呼んでおりました。そうした歴史を最低限知っておくことで、ミャンマーのことを本当の意味で分かりあえるのではないのでしょうか。


※ 2回目にザガイン山保存委員会の方々とお会いしたときの様子


❻これまでの活動

2019年11月

・ 厚生労働省より修復の許可を得る(資金援助はできないことも知る)。 

12月7日   

・ ザガイン山寺院保存員会の会長からの修復許可を得る。

12月22日  

・ 修復の見積もりなどを行う。

・ 修復に約60万円ほどの費用が必要なことも判明

12月28日

・ まず、墓碑銘(戦没者の方々の名前)の修復(約2万円)を支払う。

※ セックーパン ピンク色の部分が花のようですが、実際は葉の一部となっているミャンマーでは代表的な花の木


❼資金の使い道・実施スケジュール

水性ペンキ(金)      120万MMK 87,600円
水性ペンキ(白)      130万MMK 94,900円
油性ペンキ(金)       20万MMK 14,600円
ペンキ削り          10万MMK 7,300円
足場のやぐら(竹製)     70万MMK 51,100円
労務費(運送費等)     350万MMK 269,230円
石碑(ミャンマー語説明書き) 90万MMK 69, 230円 
銅板(記念碑)       128万MMK 98,500円   
合計            918万MMK  706,153円

・「All in」方式

目標金額に達することができなかったとしても、お墓の修復はできる範囲で行いたいと考えております。


2月22日更新

当初の目標金額であった70万円を越えるご支援をいただきまして、ありがとうございます。

せっかくなので、塗装以上にできることを行いたいと考えており、お寺の方々ともお話をさせていただきました。

その際のネクストゴールといたしまして、ご焼香台及び献花台の設営や日本語しかない看板などの説明書きにミャンマー語もしくは英語で翻訳しようと考えております。そのため、70万円にプラス7万円ほど追加させていただき、77万円を目標とさせていただきまして、2月25日(火)日本時間午前0時を以って締め切ることにさせていただこうと考えております。

また、余った資金につきましては、お寺の方に寄付をさせていただくご予定です。


❽リターンのご紹介

・1,000JPY ザガイン山と修復後の日本人地のポストカードにお礼の気持ちを日本語で書いて、送らせていただきます。 お届け予定日:2020年5月末
・3,000JPY ザガイン山と修復後の日本人墓地のポストカードにお礼の気持ちを日本語で書かせていただきます。さらにお寺からお礼状をミャンマー語と日本語で書いて、送らせていただきます。 お届け予定日:2020年5月末
・5,000JPY ザガイン山と修復後、お寺からお礼状をミャンマー語と日本語で書いて、送らせていただきます。また、日本人墓地横に建てる修復記念碑にお名前を刻ませていただき、その写真を送らせていただきます。 お届け予定日:2020年5月末
・10,000JPY ザガイン山と修復後の日本人墓地のポストカードにお礼の気持ちを日本語で書かせていただきます。さらにお寺からお礼状をミャンマー語と日本語で書いて、送らせていただきます。 また、日本人墓地横に建てる修復記念碑にお名前(大き目)を刻ませていただき、その写真を送らせていただきます。 お届け予定日:2020年5月末

(★※5,000JPYと10,000JPYの寄付をしてくださった方におかれまして、修復記念碑にお名前をご記入させていただくにあたり、備考欄にご希望のお名前をご記入くださいますようお願いいたします。お名前はアルファベットになりますことをご承知おきください。)


最後に

当初は私たちだけでなんとかしてみようかと考えていました。

しかし、クラウドファンディングを通して、多くの方々に知っていただけたり、関わっていただくことで、

「ただのお墓の修復」が「ミャンマーと日本の相互理解」につながっていくのではないのかと思い始めました。

ミャンマー人からすれば、日本統治時代は良くないものであり、

「昔の日本人は『バカヤロー』ってミャンマー人を往復ビンタしていた。」

「昔の日本人は『はい、マスター』ってミャンマー人に言わせていた。」

という声をよく耳にします。

しかし、そうした歴史から、ミャンマーと日本の相互理解の一つの形として、1976年(昭和51年)に元日本兵の方が慰霊塔としてミャンマー式のお墓を建立しました。

そのお墓を修復することは先人たちのリレーのタスキを次世代につなげることであり、相互理解のタスキリレーでもあると思います。

クラウドファンディングとしてご支援していただくかどうかに関わらず、

近くまで来られた際には一度来訪していただき、お手を合わせてもらえたらと願って止みません。

< プロフィール >

 清 水  啓 (しみず けい)

1988年1月 埼玉県にて出生

2011年3月 國學院大學文学部卒業

2011年4月 法務省矯正局小田原少年院にて法務教官として採用

2018年1月 JICA海外協力隊として二本松訓練所にてミャンマー語の訓練

2018年4月 JICA海外協力隊としてマンダレー少年訓練学校に配属。

2020年4月 日本に帰国予定


最新の活動報告

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  • 3月27日に慰霊碑の修復と寄付金の支払いが完了しました。今回、約600万チャットを寄付しまして、合計850万チャットをお寺に寄付することができました。これを以てお寺の修復活動は終了しました。今回の修復箇所としては以下の通りです。①慰霊碑白のペンキと金のペンキを塗り直しました。② 記名部分の塗り直し名前の塗装が剥げてしまい、読めなかったものを全て塗り直しました。③ 献花台献花台を新たに設置しました。お寺の方が考えられた、ミャンマーカラーです!④ 日本語しかなかった慰霊碑の説明に対してのミャンマー語訳こちらの日本語を裏にミャンマー語訳したものを貼り付けました。⑤寄付して下さった方々のお名前の記銘今回のリターンである、寄付して下さった方の名前を記銘致しました。以上を以て、修復を無事に終了できました。修復を決めてから、延べ17回程当地を訪れることになりました。現地の方も使わないような鉄道やラインカーを駆使して、拙いミャンマー語でやり取りをするのは大変でした。しかし、修復した瞬間、やり遂げて良かったという思いと、協力下さったすべての方々に対しての感謝の気持ちが芽生えました。この地で亡くなられた方々の鎮魂。お寺の管理者であるミャンマー人の方々との関係性の再構築。最後に、ミャンマーと日本の架け橋の1つの形になりました。先代が建立してくれたものを現代の私達が修復し、そして、次の世代へのバトンタッチしていくことで、戦争の遺産を未来に繋げることになったのではないかと思っております。ありがとうございました。 もっと見る

  • 3月1日ザガイン山に菩提樹(ミャンマー語では「マハーボーディーピン」と呼ばれています)を植えに行きました。こうした寄付を行ったときは菩提樹の木を植えることが習わしのようです。そのことを教えていただき、植えさせていただきました。このような形で植えさせていただきました。その意味としては、元々菩提樹の木(沙羅双樹)はお釈迦様が悟りを開いた場所にあった木であり、仏教とはものすごく縁が深いようです。さらに死者の魂を菩提樹の木は吸い上げるという考え方があるようです。亡くなった方々をミャンマーの習慣の中で弔うことができることが、架け橋になるための一歩であるように思います。この木が育つ頃にはどんな社会になっているのでしょうか。3月7日今回はお礼状書きやリターンの準備のため、お寺の方に伺いにミャンマー人の方々と伺いました。今日はラビニという満月の日でいつもより参拝者が多くいらっしゃいました。普段よりお供え物が圧倒的に多い!そんな中、僕がボランティアで僧院にて日本語教室を開いてた生徒さんが一緒に行ってくださいました。僕が1名ずつ家に帰って記入すると言っていたのですが、手伝ってくださり、全87名分を2時間ほどで終えることができました。個人的にはミャンマーの方に手伝っていただくのは申し訳ないのですが、彼らの誠意にお断りするのを辞めました。こうした善意に甘えさせていただくことで、少し僕も余裕をもって取り組むことができております。色々な考え方はございますが、この修復事業はミャンマーと日本の架け橋の一つの形になれればと願っております。 もっと見る

  • みなさまからご支援いただき、70万円を上回る金額を現在支援いただいております。そこで、次なるネクストゴールを設定したいと思い、お寺の方や仲間たちとお話をいたしました。①お焼香台と献花台を設置したい。1m程度の高さの台座を設定させていただきまして、そこにお線香やお花を添えることができたらと思っております。②日本語しかない説明書きをミャンマー語もしくは英語に翻訳したい。日本語しかないため、ミャンマーの人には読むことができない看板になっております。そのため、最低ミャンマー語、できれば英語にも翻訳をいたしまして、この慰霊碑の意味を多くの方々に読めるように改良したいと考えております。どちらも合計して6~7万円ほどあればできるとおもうので、77万円をネクストゴールの目標と勝手ながらさせていただきたいと思います。もし、様々な都合で難しい場合はお寺に寄付をさせていただこうと考えております。勝手ながら、3月1日にお寺の方に再度伺う必要があるため、2月25日(火)午前0時を以って締め切らさせていただこうと考えております。 もっと見る

コメント

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  1. 2020/02/05 02:23

    もう少しですね\(^-^)/

    1. 2020/02/11 17:07

      ありがとうございます。 おかげさまで、達成することができました。


  2. 2020/02/04 17:23

    2014年から17年にかけて何度かマンダレーに滞在し、ザガインの慰霊塔を見て、おびただしい数の日本人名に驚きました。帰国後ミャンマーでの日本軍に関する本をたくさん読みました。清水さんがミャンマーでたいへん意義深い奉仕活動をされており、その上、今回のプロジェクトの立ち上げは純粋なお気持ちからのことで、熱意をもって取り組んでおられることがよく分かり敬服しています。しかし私にはあの慰霊塔が「日本とミャンマーの懸け橋」になるものとは思えないのです。ご承知のように戦時中の日本は、英国のミャンマー占領を終わらせるために、独立と称してミャンマー人を友軍として戦わせ、インパール作戦では補給を無視し、ミャンマー人から徴発や略奪をしながらの無茶な作戦でした。東部の中国国境での悲惨な戦争も同じようなことだったようです。そして最後にはミャンマーは日本を敵国として反撃し、3月27日の国軍記念日はその反抗の日です。つまり慰霊塔は日本人にとっては慰霊であっても、ミャンマー人にとっては本来そのような気持ちにはなれないのではでしょうか。しかしこのような旧日本軍隊の人たちが建てた慰霊塔は、日本軍最後の戦闘地となったメッティーラでも、インパールから退散したミッチーナでも見られるのは、ミャンマー人の過去に拘らない広い心によるもので、私たち日本人はそれに甘えているのではないかと思います。もし仮に逆の立場であれば、日本は他の占領国に対してそのようなことを許すでしょうか。実際、中国はもとよりマレーシアでもシンガポールでも多くの日本人が亡くなったでしょうが、それらの国では抗日の記念碑はたくさんありますが、日本人の慰霊碑なんて作らせてもらえません。また敗戦国日本政府が、東南アジアの国々への戦後補償交渉が難航する中、ミャンマーがいち早く承諾してくれ、それによって各国への補償額の基準が定まり、以後の交渉が進捗したとのことで、ここでも日本はミャンマーの寛大さに大変な恩を受けたようです。 ミャンマー人の80歳代の人とお話したとき、私が日本人なので気を遣われたのか、「戦時中、日本人は良かったが、日本軍の中にいた朝鮮人や台湾人は乱暴だった」と言われました。当時日本人として徴用された朝鮮半島の人や台湾の人たちも軍属として大勢最前線で戦わされたはずです。しかしそれらの人の名前はあの慰霊塔に刻まれているでしょうか。私は全部を見たわけではありませんので分かりません。さらに軍隊に物資を提供する民間人もたくさんいたはずで、敗戦時には多くが川に流されたりジャングルで息絶えたでしょうが、慰霊塔に刻まれた名前とは無関係でしょう。 慰霊塔は日本人には多くのことを語ってくれますが、ミャンマー人にとってはどうなのでしょう。ご承知かと思いますがマンダレーの62st、31&32stの日本人が建てた日緬山竪琴寺はミャンマー人の僧侶が管理し、近在の人たちがお参りしてお寺を守っています。マンダレーの北にあるYenatha村には日本のハンセン病患者の方が寄贈された小学校があります。こうしたものはミヤンマーの人たちに喜ばれ生かされ、真に日本との懸け橋となるもので、それなりに適切な維持管理もされます。 慰霊塔は間違いなく日本人有志の熱意と努力で建てられたものですが、ミャンマーの人たちに喜んでもらえるというものではなく、また当初から維持管理のことが十分に考えられていなかったので、今のようなことになったのでしょう。今回のプロジェクトは初期の目的は達せられるでしょうが、今後数10年後にも同じことにならなけれな良いですが。勝手なことを言いまして申し訳ありません。

    1. 2020/02/11 17:06

      guest3e5c1b0341c4様 メッセージをいただき、ありがとうございました。まず、私たちのプロジェクトに関心を持っていただき、すごくうれしく思っております。貴重な意見に対して、決して勝手なことを申されているとは思っておりません。少し、仲間たちと話し合いました。  ご指摘いただきましたように、観点によっては「日本とミャンマーの架け橋」になるというにはいささか問題がある点もあると、私自身も思っております。私も主に「アーロン収容所」などの書籍や、日本軍の少年兵であったお爺さんの話を聞くなどの機会を通して、またミャンマーの学校の教科書でミャンマー語を通して学ぶなかで、guest3e5c1b0341c4のご指摘いただいた内容は、まさにその通りであると感じております。インパール作戦をはじめとする日本の戦中・戦後について、問題があったのではないかと個人的には思っております。  そのうえで、改めて考えてみますと、国の命令に従い、戦病死された方のことを思うと不憫でならないように思います。その方たちを祀った慰霊塔・慰霊碑が朽ち果てていく姿を見過ごすことはできないと思い、私はこのプロジェクトを始めた次第です。また、ザガイン山のお寺の方々にとっても、このまま朽ち果てていくのを見過ごすのは望ましいことではありません。  ザガイン山はご存知のように聖地であり、そこに私たち言わば加害者側が慰霊塔を作るなど、現在のミャンマー側の価値観でも有り得ないことです。しかし、1976年の建立当時、日本人側の熱意とそこを受け入れたミャンマー側により、あの慰霊塔があるようです。(建立者から会うことができず、伝え聞いた話なので、不確かです。)  そうした事情を踏まえて、私たちは修復をこの2020年に一度行いたく思います。おっしゃる通り、今後についても同じことにならないようにしたいと思ってます。今現在一度行い、多くの日本人に再認識してもらいたいです。さらに、お寺の方をはじめとするミャンマー人の方々に受け入れていただき、再び勝手な言い方になりますが、「日本とミャンマーの架け橋」にしたいと思っております。 清水啓


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