ライフスタイルの変化にともなって茶葉が売れなくなっている。ペットボトルでお茶を飲む機会が多いので茶葉も消費されているだろうと思うかもしれないが、ペットボトルのお茶は少ししか茶葉を使わないし、4番茶ぐらいの茶葉を使うので卸値が安い。茶農家としては1番茶で高値が付いてくれないと4番茶でいくら売れても儲からない・・・・。種子島茶の知名度を上げて価格を改善するために何が出来るのか考えた。種子島茶の認知度が上がるイベントをぶち上げられないか?例えば、一番茶を使ったクラフトビールを造ってボジョレーヌーヴォーみたいに5月の第3土曜日は解禁日です!みたいな。毎年、5月の第3土曜日に種子島茶ビールヌーヴォーみたいな・・・・・。そんなのあったら楽しくない?全国あちこちで解禁パーティーやってもらって!メディアにも取り上げてもらって。やりたいな~。第1回 種子島茶ビールヌーヴォー(仮称)の当事者になりませんか!!目標額まで、まだまだなのでご支援よろしくお願いします。
種子島で茶葉を生産しているのは知っていたが、種子島大学の講座「意外と知らない種子島茶の世界」の中で、全国でも有数の茶葉の産地であることをはじめて知った。鹿児島の茶葉生産発祥の地、西之表市の番屋峯地区。ここで作られた一番茶がその年の全国の茶葉の価格や生産量の目安になっている。また、栽培している茶葉の品種が多いことも特徴で、種子島の気候風土にあった新しい品種が数多く生まれている。なぜ種子島のこの地が、茶業業界にとって重要な地になったのか。そのヒントは100年を越える開拓の歴史にあった。番屋峯の歴史を語ってくれた松下栄市さんの力強いお話しから、先祖の開拓魂を今に受け継ぎ、品質にとことんこだわった茶業にかける熱い想いが、ひしひしと伝わってくる。そのはじまりは明治42年に静岡から種⼦島に移住した茶農家の奮闘努⼒によるものだ。それ以前に種⼦島に赴任していた静岡出⾝の役⼈が、この島はお茶の栽培に向いていると⾒抜き、故郷の茶農家に種⼦島の開拓をすすめた。「よそ者の⽬」が島の可能性に気づいたのだ。最初に移住した松下助七は島を歩き、適地を探し回った。「ここ番屋峰の⼟地を⾒つけるまでは⼤変な苦労があったと思います。茶の栽培に向いているのではないかということだけで、具体的で詳細な情報ではなかったわけですから」(松下栄市さん)そこには島の⼈々の容認と協⼒があったことが容易に想像できる。「深い⼭の中で道に迷った夜、狭い住居の⼀部を快く貸してくれた上、寝具がないからと遠くの家まで借りに⾏ってくれたこともあったそうですよ。島の⼈たちが受け⼊れてくれたからこそですね」そうして番屋峰の地にたどり着き⽂字通り根を下ろしたのだ。借地の交渉にあたってもよそ者だからという理由で不利は無かったともいう。そうして種⼦島のお茶の歴史ははじまった。
松寿園と松下さんは様々なお茶商品を開発してきた。ティーバッグのお茶はもちろん、種⼦島産の⽣姜を使った紅茶、お菓⼦やケーキ、パンに練り込むこともできる粉末茶等々、そのラインアップは爆発的に増えている。「レモンティーならぬタンカンティーなんかも考えています。タンカンは種⼦島の特産品だからね」(松下さん)その躍進に⼀役買っているのがパッケージやラベルのデザインだ。I ターンで種⼦島に移住したデザイナーに依頼した。「よそ者の⽬」に託したのだ。「⾃分たちでは気づかないことを、外の⼈は気づかせてくれる。そういう⼈たちの⼒をどんどん取り⼊れたいです。お茶はお茶農家や産地だけのものじゃない。種⼦島全体のもの。じゃあいろんな分野の⼈の⼒でどうやったら売れるかを考えたらいいでしょう」⼩売部⾨は松寿園全体の売上の4割を超えた。荒茶での出荷がほとんどだった頃からすると、⽬をみはる進化だと⾔っていいだろう。松下さんは⾔う。「闘う体制はできていると思う。あとはアイデアやデザイン⼒、企画⼒、実⾏⼒。そうなると外の⼈たち、若い⼈たちとのタイアップが⽋かせないと思う。しかも島の枠内で物事を考えるんじゃなくて、島の殻をぶち破ってくれるようなよそ者のみずみずしい感性を持った若い⼈とのつながりを⼤切にしたいと考えています」と。そうなんだ。いま種⼦島は時代を担う若い世代を求めている。つまり我々が新しい種⼦島の種⼦を撒く時がきたのだ。
2月20日に代々木体育館で開催されたroomsに出展!roomsとは500ブランドが参加し、25,000人を動員するトレードショーです 。試飲会を行い70名からアンケートをいただきました。実際に使用する松寿の一番茶とは違う種子島茶を使用した試飲ビールでしたが、とても参考になるご意見を沢山いただけました!実際の一番茶を使用したお茶ビールに反映させ皆さんに喜んでいただけるお茶ビールを目指します。アンケート結果ラベルデザインはAが一番人気でした!さて結果はど~なるのかな?クラウドファンディング終了まで40日を切っています。引き続き皆様からのご支援をお待ちしています。我々と一緒に種子島の未来に新しい種子(たね)を撒きましょう!ご協力よろしくお願いいたします。