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東日本大震災から10年。世界中どこからでも誰でも参加できる。

ー復興庁から後援いただきましたー 東日本大震災から10年。【ともす想いたくす灯火】プロジェクトを立ち上げます。多くの集いが無くなっている中で、世界中の誰もが参加できるような形でこの節目を迎えたい。ご自宅で、好きな場所で、オンラインで想いをつなげ、灯火に託し、同じ時間を共有し追悼できたらと思います。

現在の支援総額

500,000

25%

目標金額は2,000,000円

支援者数

56

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/01/08に募集を開始し、 56人の支援により 500,000円の資金を集め、 2021/02/27に募集を終了しました

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東日本大震災から10年。世界中どこからでも誰でも参加できる。

現在の支援総額

500,000

25%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数56

このプロジェクトは、2021/01/08に募集を開始し、 56人の支援により 500,000円の資金を集め、 2021/02/27に募集を終了しました

ー復興庁から後援いただきましたー 東日本大震災から10年。【ともす想いたくす灯火】プロジェクトを立ち上げます。多くの集いが無くなっている中で、世界中の誰もが参加できるような形でこの節目を迎えたい。ご自宅で、好きな場所で、オンラインで想いをつなげ、灯火に託し、同じ時間を共有し追悼できたらと思います。

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こんにちは。【ともす想いたくす灯火】プロジェクトの鹿嶋静です。震災直後は、仮の場所だったり、仮設の建物だったりで、通っていた保育所や学校ははあったんですが今はもうなくて、移転して合併しました。当時、ある幼馴染の家は1mくらい津波に浸水してて、アルバムも全部なくなってしまいました。その時、思い出や校歌はみんなで共有できて、あ、思い出と歌ってなくならないんだなと思いました。それで、初めてのクラウドファンディングでは、今は無くなった私の通った保育所の子たちとレコーディングやMV撮影をしてこの保育所がなくなっても、その思い出や歌は残るんだという思いで作品として残すことができました。景色は変わる。でも、思い出や、命は変わらない。悲しい思い出は消えないけど、すこしでも、暖かい気持ちで、その場所に思いが残ればいいなと思ったのでした。そのために、できることってぶっちゃけ分からないんです。人それぞれだから。でも、知ろうとしないとなにもできない。それは、そこに住んでなきゃできないわけじゃない。あの時、その場所の方はもちろん、そこにいない人の心も傷ついていたんです。私はもしかしたら、自分の心を慰める為にやっているのかもしれない。当日、辛いことを思い出さない為に紛らわしたいのかもしれない。でも、それでもいいと思ったんですよね。なんて思われても。震災後、病気が悪化して、一昨年亡くなった地元の幼馴染がくれた最後のメッセージにこうあったんです。「ここにいたんじゃできないことを静はやった。応援してるから、思いっきりやりきってほしい。いつも楽しみにしてるんだ。」その子も被災して、病気も大変だったのに私の企画やクラウドファンディングをいつも支援してくれてて。いい思い出は、生きる力になるって教えてくれたから。とりとめなくなっちゃったけど、私も自分の心がどう動いていくかわかっていないです。鹿嶋静


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こんにちは。ともす想いたくす灯火プロジェクトの鹿嶋静です。私の地元は宮城県東松島市です。今から42年前の宮城県沖地震というM(マグニチュード)7.4の大きな地震があった日に生まれた同級生がいたんです。その子は東日本大震災で、逃げている途中に津波が来て亡くなりました。最初は、火葬が追いつかず、ご遺体を安置所に置いていたかと思います。その子の親が「それでも土葬しなくても火葬の順番が来たからまだよかった。」と話していたのを今でも覚えています。私の親戚は、土葬をして、その後、火葬場の順番がまわってきたら掘り起こして火葬するのだったのですが、当時、震災の写真集を買ったら、親戚が土葬されている瞬間をはとこの同級生が見守っている写真が載っていて、固まってしまって。そのまま約10年。その写真集は開けないままです。鹿嶋静


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こんにちはともす想いたくす灯火 プロジェクトの鹿嶋静です私は18歳まで宮城県東松島市(旧鳴瀬町)に住んでいました。今も実家はそこにあります。友達も親戚も住んでいます。山、川、海があり、自然豊かで食べ物も美味しいです。小さい頃から、地震の話はされました。ちょうど私が生まれる前年に宮城県沖地震というのがあったのもあり揺れたら窓や扉を開けて逃げ道を確保する、というのは体に染み付いていました。でも津波にはあったことなく育ちました。震災のあと、地元の同級生に会うと「津波が来るってなったけど10センチとか20センチとかで大したことないと思ってたらそのぐらいでも歩けなかった。津波の中歩いてきた人の足を見たら傷だらけだった。そういうの知らなかったよね。」と話してました。そう、確かに、海岸近くとかに「ここまで津波がきます」みたいな看板はあったんだけどだからどうしたらいいかは知らなかったんですよね。東京の知り合いに「地震が多い地域なら津波のことって授業とかで習ったりなんか言われたりしてたの?」と聞かれましたが、地震のことは結構聞いてきたけど、津波の話はされたことなかったです。私自身、これまでちゃんと震災のことを振り返ることができずにいました。10年目の今年、子供達にも正しく伝えられるように、見つめ直したいです。また鹿嶋静


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こんにちは鹿嶋静です。本日、プロジェクトを開始いたしました。すでにご支援をいただいており、本当にありがとうございます。東日本大震災から10年。多くの集いが無くなっている中で、世界中の誰もが参加できるような形でこの節目を迎えたい。ご自宅で、好きな場所で、オンラインで想いをつなげ、灯火に託し、同じ時間を共有し追悼できたらと思います。一緒に立ち上げてくれたメンバーや当日までのあれこれをこれからこちらで共有できたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。鹿嶋静