房総半島をバックに浦賀水道を行き来するたくさんの舟,右端には,釣り船も。 (浦賀水道 13時54分) (走水神社)

現在の支援総額
641,000円
目標金額は600,000円
支援者数
92人
募集終了まで残り
終了
このプロジェクトは、2015/10/10に募集を開始し、 92人の支援により 641,000円の資金を集め、 2015/12/10に募集を終了しました

現在の支援総額
641,000円
106%達成
目標金額600,000円
支援者数92人
このプロジェクトは、2015/10/10に募集を開始し、 92人の支援により 641,000円の資金を集め、 2015/12/10に募集を終了しました
房総半島をバックに浦賀水道を行き来するたくさんの舟,右端には,釣り船も。 (浦賀水道 13時54分) (走水神社)
井本さんが、観音崎西方の露頭から、赤褐色の部分があったと「露頭のスケッチ」とサンプルを持ってこられた。横須賀美術館から、観音崎には、池子層が分布しており、赤褐色の岩石が存在するのは、限られた地域であった。 浦賀水道房では,房総半島をバックに大小の船が行き交っている。 房総の山から昇る朝日の映像も頂きました。 ありがとうございます。
日本画家の近藤 紫雲は,鎌倉材木座に隣接する逗子小坪で,関東大震災の津浪に襲われ、自らの体験を版画にして後世に残す為,地元の小坪に置いてきました。(プレゼントの絵はがき5枚セットのうちの1枚です)。 この「震後津浪襲来 逗子小坪所見」は,[絵巻物出版1926)]『大正震災畫集 第3集 』(国立国会図書館所蔵)として有名ですが,当初は「列車転覆大磯附近」『大正震災畫集 第4集』との2枚をセットにして,[日本版畫社(1924)](国立国会図書館所蔵)から販売されました。紫雲は,体験画と想像画をセットで販売したのです。列車転覆の写真をスケッチして,避難する人々の様子を想像して描いたことを,コメント付きの大正震災畫集に残しました。手前にある松の樹は、東海道の松並木とおもわれます。(東京都慰霊堂協会 復興記念館の『状況絵画』として2014年に展示されました。 (蟹江 由紀・蟹江 康光・布施 憲太郎,2015,紫雲の版画「震後津波襲来 逗子小坪所見」と逗子町小坪における1923年大正関東地震津波.歴史地震, 30, )
こんばんは! 今週末は,藤沢の善行公民館で,「東海道線沿線」の関東大震災の解説を行います。 ジオ神奈川の得意分野の鉄道です。海軍の空撮写真と地上の写真もあります。 1923(大正12)年,当時の東海道線は, 東京発〜国府津〜御殿場〜沼津〜終点神戸でした。
ジオ神奈川の蟹江康光・蟹江由紀です。 「関東大震災の空撮写真集を作って,図書館に寄贈する」ことを目的として, クラウドファンディングはじめました。 皆さん,ご支援よろしく,お願いします。 1923年9月1日以前の城ヶ島の馬の背洞門。 関東大震災で,1.6m隆起した城ヶ島の馬の背洞門。