Check our Terms and Privacy Policy.

19歳に内野町の食と暮らしを伝える「つながる米屋」をつくりたい!

私たちは新潟市内野町の米屋「飯塚商店」と一緒に昨年4月から活動しています。1年の活動を通して、内野町の中にたくさんの「好き」が増えました。そこで、内野町の中にある私たちの「好き」を伝える『内野暮らし研究所』を開くための改装を行います!

現在の支援総額

1,295,000

129%

目標金額は1,000,000円

支援者数

132

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/06/08に募集を開始し、 132人の支援により 1,295,000円の資金を集め、 2016/07/31に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

19歳に内野町の食と暮らしを伝える「つながる米屋」をつくりたい!

現在の支援総額

1,295,000

129%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数132

このプロジェクトは、2016/06/08に募集を開始し、 132人の支援により 1,295,000円の資金を集め、 2016/07/31に募集を終了しました

私たちは新潟市内野町の米屋「飯塚商店」と一緒に昨年4月から活動しています。1年の活動を通して、内野町の中にたくさんの「好き」が増えました。そこで、内野町の中にある私たちの「好き」を伝える『内野暮らし研究所』を開くための改装を行います!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

クラウドファンディングでの挑戦も残り6日となりました。   少しずつ支援も増えてきて、「ありがたいなあ」『ありがたいねえ』と言い合う日々です。 支援を集めるだけではだめで、受け取るだけでもだめで、改装を進めるだけでも十分ではなく、モノ(空間)ができて初めてスタートに立てるのだと思います。   改装したら何がしたいのか。どんなものを観たいのか。誰と一緒にやりたいのか。   そこを忘れないように、そこへの想いを貯めていくのもこの期間にするべきことだと思っています。そして、こちらも少しずつ貯まってきました。わくわく。   そんな折、ゆきちゃんが東京から動画を送ってきてくれました!   どんな動画かというと、ずばり、「改装後にやりたいこと」内野暮らし研究所以外にやりたいことを語ってくれました。  動画はこちらからご覧になれます↓ゆきちゃんの、改装後にやりたいこと     うんうん。ゆきちゃんらしい。そして、不思議とコメタクらしいね。 いや、ゆきちゃんはコメタクの一員なので、不思議ではないのだけれど、 それぞれの視点が「コメタクらしい」と思えるものになっていることが面白いです。   そうかー。同じものを見て同じものに何かを感じて同じものに向かおうとしてきたんだなあと改めて思い、一人で感慨深くなっていました。   さて、次はそれをどんなふうに形づくっていくかだね!その一歩がクラウドファンディング。   残り6日、どうなることやらー!がんばりますー!


thumbnail

  こんにちは!コメタクの有紀です。   先週、東京の「6次元」というカフェで「コメタクの米ナイト」というイベントをしました。   わざわざさくらちゃんと愛梨ちゃん、そして飯塚商店の飯塚さんが新潟から来てくれたイベントです。炊飯器とともに。     私は4月に東京から帰ってからずっと、実感していたことがありました。   それは、「コメタクを届けたい人は、東京であろうが新潟であろうがたくさんいる」ということ。 そして、東京でもコメタクの言う「暮らしの中に好きと隙を増やす」ことはできるということ。   だからこそ、今の私の日常である「東京」でコメタクのイベントをいつかしてみたいな~という思いはありました。 そんなときチャンスをくれたのは、日々いろいろなイベントをして化学反応を起こしている魅力的なブックカフェ「6次元」オーナーのナカムラクニオさん。   「米ナイト、やろうよ」   都内のトークイベントでナカムラさんの話に感動して話しかけに行っただけのただの大学生に、そういうふうに声をかけてくれたことにとても感謝しています。   そして同じような時期にたまたま、私は「コメタクに支えられている」と言ってくれた女の子に東京で出会っていました。 その女の子は私と同じ大学生。都内の大学に通っていて、新潟の飯塚商店に一度来たことはありますが、基本的にはいつもSNSなどでコメタクの発信していることを見ています。   これからどうやって生きていくのか、そのための選択を迫られる大学時代。誰ということでなく「みんな」が言うことと心の奥底の「じぶん」が感じることの狭間で、ふとしんどいなあ、と思うことがあります。 そんなときに手の届く範囲にある「じぶん」の好きを大切にすることを表現しているコメタクは、迷っている「じぶん」を肯定してくれる気がするのかもしれない。   その子と出会って感じた、そんな話をコメタクの2人に電話でしました。 「じゃあ、6次元でのイベントは、その子に届けよう。」 そんなふうに「届けたい人」が決まりました。 その子は、6次元でのイベントに来てくれることになっていたのです。   さて、イベントまでの経緯が長くなってしまってすみません… やっとここから当日のお話です。   イベント当日は、なんと20人定員のところ28人も来るという大盛況!   カフェ6次元のイベントの常連さんや、コメタクのことを遠くから見てくれていたさくらちゃんや愛梨ちゃんの友達、お米が好きだという人たちがたくさん集まってくれました。     新潟からはるばるやってきた飯塚さんは、6次元に着くまでは東京に合わせて内野ではほぼ見たことのないジャケット姿でしたが、台所に立つとあっという間に手ぬぐいに米Tシャツという「お米屋さん」姿に。   まずはみんなに向けて、コメタクがどんな人たちで、どんなことをしているのか?というお話。 そして、それを聞いて思ったこと、聞いてみたいことを周りの人と話してもらいます。 初対面の人は多いけれども、なんとなく共通している部分があったのか、皆話に花が咲いているようでした。   皆、コメタクの暮らしや3人それぞれの役割、ごはんについて気になっているようでしたね。3人で答えられたのが楽しかったな、それぞれに思うところがちょっとずつ違うのが面白いです。     そしておまちかねのご飯の食べ比べ。 新潟県産コシヒカリ、でも県内での産地が違う3種類のお米を食べ比べてもらいます。 いつもどおり、「一番好きなお米」を選んでもらいます。     それぞれ6人、10人、12人というばらけ具合。好きなお米はやっぱり人それぞれなんですね。ひとりずつお米の感想を言ってもらうことになりました。       そこで私は、この場を届けたかった人をもう一人見つけてしまいました。   それは、飯塚さんです。     出身地もばらばらでバックグラウンドもばらばらな人たちが、 それぞれに「お米の美味しさ」を語っている、感動している、飯塚さんに知りたいことをどんどん聞いている。   その景色は、飯塚さんの目にも最高の瞬間に映ったのでしょう。   最後のあいさつで、 「こういうことがしたかったんです…!!ありがとうございました。」 と渾身の言葉をくれました。   思わず、涙。つられて参加者の方も何人か涙。   ああ、コメタクをやっていてよかったなあと思った瞬間でした。   たぶん、飯塚さんの思いがあったから私たちもここまでやってこれたのです。   この瞬間を飯塚さんに届けられてよかった。   イベントは、時間が過ぎてからも飯塚さんと話したい人が途切れることなくやってきて、夜遅くまで大盛り上がりで幕を閉じました。   そして、私たちがイベント前に「あの子に届けよう」と言っていたあの子は…   この日、コメタクと出会って感じていたこと、思ったことを、言葉にしてくれました。       (中央の素敵な笑顔の女の子が、「あの子」こと鬼山るいちゃんです)     少し前にアップされていた、“19歳の私への手紙“。 正解を探していたり、ひとりで頑張らなきゃと思ったり…。 そうそう、私もそんな風に感じていたんだよね。 何をしたらいいのか分からないまま、ひたすらもがいていたなぁ。   イベントやHPでのコメタクの紹介。 「好き」という気持ちを大事にしたい、暮らしの中に余白を作りたい…。 そうそう、私もそれを大切にしていきたいと思っていたの。   コメタクを見ていると、「そうそう、私も!」と思うことがたくさんある。     コメタクに出会うまでの私は、その感覚に自信を持てなかった。 丁寧な暮らしって憧れるけど、それって自分を甘やかしているだけなんじゃないのか。 もっと時間と心に余裕を持っていたいけど、私一人だけ置いて行かれてしまうんじゃないか。   そんな不安が頭をよぎる時、今はコメタクに会いに行くことにしている。 会えない時は、彼女たちが書く文章を読む。 そうすると、日々の豊かさや幸せに改めて気づくことができ、 私も自分の感覚と正直に向き合っていけばいいんだ、と思える。   コメタクのみんなの等身大の感性と、そこから紡がれる言葉は、 どこか温かく、心に「好き」と「隙」を作ってくれる。   私にとってコメタクは、 憧れの存在であり、共に考える仲間でもある。   彼女たちと、これからも一緒に悩み考えながら、 私ももっと自分なりの「好き」と「隙」のある暮らしを作っていきたいなと思います。


thumbnail

こんにちは。コメタクのさくらです!   ただ今、電車で東京に向かっています 米を炊く為に東京に行きます。   明日の夜は荻窪のブックカフェ「6次元」さんでコメタクの米ナイト ありがたいことに満員御礼。きゃー、緊張する。   行ってみたいなーと思っていた場所(6次元さん)とのつながりをゆきちゃんがつくってくれて実現する会です。   コメタクの今までやこれから、よくわからないところまでをお話し、お米の食べ比べをして頂く会です。 コメタクらしく、ゆるりともやもやも受け止められる時間になると良いなーと思っています。   私は一足先に東京へ移動。「粒が立つおくん」をあしらった炊飯器と共に2人旅です。   (空いていたので、少し距離を置いてみたの図)   3種類のお米を食べ比べする為にどうひても同じ炊飯器を3つ用意する必要がありました。東京では炊飯器の手配が上手くできなさそうでどうしたものかーと。うーむ。   あ、新潟から持って行けばいいじゃん。 面白いし。   ということで、今に至ります(笑)   田んぼと炊飯器。 良い景色笑   新幹線や高速バスではなくて、鈍行電車で移動。 それを選んだのも、せっかくコメタクやコメタクがつくりたいものを届けに行くのだからちゃんと考え事をしたくて。   明日来てくれる、あの子に届けるにはどうしたら良いかなーと想像しながら電車に揺られています。   明確な誰かに届けようとすること。 その繰り返しだったような気がします。コメタクはずっとそうでありたいです。   みんな、じゃなくていい。 「あの子」に届ける。   そう思うと、多様な人の集まるイベントでも、つくりたい場や話したいことが浮かんできます。   明日も楽しみだー。 一緒に旅する相方は少々重たいけれど、届けたい人に会いに行けるんだと思うとへっちゃらですー!   これから私たちがつくろうとしているものについて話して考えて感じて来よう!   いってきますー!      


thumbnail

今回の改装プロジェクトから私たちコメタクに加わってくれた、デザイナーの茂木芽衣さん。いわば、4人目のコメタクのような存在です。   昨年末から何度か対話を重ね、今年の4月に内野町に移り住んでいらしたのと同時に、本格的に私たちの活動に加わってくださいました。    コメタクを芽衣さんなりの感性と想像力で受け止めて、よりコメタクらしく、より好きになれそうな空間をデザインしてくださっています。   そんな芽衣さんに、改装にあたっての想いを綴ってもらいました。 じんわり沁み込む言葉をいただきましたよ。     ======================   ハンバーガー屋のカウンターで、 メニューにアレコレ迷って、レジの人をイライラさせてしまうことがよくある。 早く注文が通れば、すぐ調理に取りかかれるし、 回転率も上がるし、効率がいいからだろう。 迷惑をかけてしまった。と思う。 けど、こうも思う。今私は「顧客のかたまり」なんだなー、と。 流れてくるモノとして扱われたような。 レジのバイトの子が覚えたマニュアルは、 「多くの顧客向けのサービス」であって、 目の前の私向けではないような。     内野町での暮らしについて語るとき、 そんなハンバーガー屋での体験が頭をよぎった。 この町で買い物をすると、 「ちょっと丸くなったね」と太ったことを指摘されたり 「今日は歩き?」と何気ない質問をされたり 「若いんだっけ食べれ!」っておすそ分けしてもらったり なんだか、 一瞬でも目の前の私を見てくれてる感じがする。すごくする。 それだけで、どうしてこんなに嬉しくて、 「なんかいい日だった」て思えるのだろう。 豊かな気持ちになるのだろう。 いろんなものの効率化や合理化が進んだ今、 自分を「一人の人間」として認識される機会って、かなり減っていると思う。 それを求めることが、ちょっと贅沢のような気さえする。 だからだろうか。この町での暮らしが心地いいのは。     内野で米屋をするコメタクと、 飯塚商店の改装デザインを考える話が来た。 彼女たちが何者なのか初めはふわふわしていたけど、 活動を見ていてひしひしと伝わるものがあった。 コメタクの活動の中では、「自分の感覚に向き合う」時間が とても大事にされているなーと思った。 「米の食べ比べ」をする時は、見た目はほぼ同じ米を三種類も見分ける訳だから、 結構真剣に味わう。今甘みや粘りを感じている。これは好きか、嫌いか。 同時に、ふだん自分は自身の感覚にかなり鈍感だったことを発見する。 活動を通して、「私ってこんなこと感じてたんだ」ということに気づかされる。 彼女たちが届けたいものが少しわかってきた。     空間デザインを考えるにあたって、ゆるく掲げたテーマは「感じる、コメ屋」。 きた人が、それぞれの感覚や感性に向き合って「自分で感じる」「自分を感じる」場であってほしいと思った。 だから、すごいスタイリッシュさやオシャレさはないけど、 誰もが見たことのある、コメにまつわる日用品や飯塚商店にもともとあるものを活かすようにしている。 みんなの感覚に寄り添えるような、 感性をちょっと刺激するような。   内野という町もコメタクも、ふだん「大勢」中に埋もれているたった一人の「自分」の存在に気づかせてくれる。 これからできるこの場所が、 「多くの顧客」じゃなく、「目の前のあなた」を見れる場所になるといい。 「なんかいい日だった」と思える空間になるといい。     ======================     はあ、そんな想いでデザインしてくださったのかと、初めて知りました。   そんな芽衣さんが描いてくれた絵をもとに、私たちも想像と期待を広げて、日々あれやこれやと動いています。     芽衣さんのデザインに、言葉では言い表せない何かを感じるのは、芽衣さん自体がその場の空気やそこにいる人、モノの関係を感じながらデザインしているからなのでしょう。   あったかいなあ。   芽衣さんと一緒になにかをつくれるということ。一緒に何かを届けられるということ。そのことにも、今はとってもわくわくしています。   がんばらねば。がんばりたい。 純粋にそう思える今を大切にしようと思いました。   よし。よし。 


目が醒めると 目に映るものは何の変哲もない真っ白な壁と天井で 時計を見ると17時だった。 喪失感と嫌悪感に苛まれても、 それを伝える相手はどこにもおらず しょうがなく携帯を覗いてみる。   SNSを見る。 友人は旅行に行ったみたいだ。 楽しそうな写真が目について、思わず閉じてしまう。 メールを見ると、大学の授業の課題がいくつか来ている。 自分だけ進んだ世界から取り残された気分になる。   空腹を感じても この部屋の中一人で食べるごはんなど美味しくないことはもうわかっていて だからといって友人に連絡を取るのも、コンビニに行くのさえもめんどくさくて 家にあった食材をとりあえず胃に流し込んで泣いてしまうことが何度もあった。   隣部屋の住人が、友達を連れてきたらしい 知らない人の声が壁伝いに伝わってくる。   こんなとき私はよくお母さんに電話をした。 寂しさと自分に対する嫌悪感を、 「全然自分は駄目なんだ」と溜まっていたものを吐き出すように。   母はそれでも そんなことない、と庇ってくれたけれど。   19のときのわたしにとって つかんだ自由はとてつもなく不自由だった。   「広がるのは自由と、無限の可能性だ!」 なんて思って進んだ大学も いままで自由なんて知らない生活をしてきた私にとって 過ごし方なんてわからなかったのだ。   何を食べるのも 何時に寝るのかも 何時に起きるのかも 自由で   バイトで稼いだお金で 可愛いと思った服を買ったって 「そんなもの買って」と 責める人は誰もいない。   大学でどんな研究をするのかも どんなサークルに入るのかも どんな人たちと過ごすのかも 自由だ。   周りはずんずんと ぐんぐんと前に行く。 自分で決めて進んでいく。   背伸びして入った大学だった。 合格したときは本当に嬉しくて クリスマスも正月も勉強した甲斐があったなあって 自分が我武者羅だった分 それはすぐちっぽけな自信になった。   入学すると母国語のように外国語を喋る子や大きな夢を語る子たちに囲まれて 刺激的な毎日だった。   同期の子と自分とを比べては 自分は何が得意なんだろう? 何が勉強したいんだろう? 何がやりたくて大学に来たんだろう?   受験生のときは 合格することばかり考えていて見えなかった色々な疑問は もやもやと心を圧迫してぼろぼろなった。   わからないまま 気になることにちょっとだけ首を突っ込み しっくりこないなあとすぐ辞めた。   自由は不自由だと思った。ちょっとぐらい制限があった方が過ごしやすいんだと思った。 こんなことなら進むべき道が決まっている方がよっぽど楽なのに、なんて思ったりもした。   結局4年間、そのモヤモヤは拭えなかった。 たぶん私のモヤモヤを綺麗さっぱり吹き飛ばす解決方法なんて、大学の中に転がってなかったんだよ。   大学とアパートとバイトの人間関係の中だけの ヒントじゃ 解決しきれなかったんだよ。   今日、早朝から知り合いのおじさんの働く農家で じゃがいもを掘る手伝いをしてきた。 慣れない作業で疲れたからか 午後は飯塚商店の改装のことを進めようと思ったのに 寝てしまったらしい。   文意おばあちゃんが小さな足音をたてて 床を歩く音で目がさめる。 台所で洗い物をしているらしい。 覗くと「起きたかい。今日は疲れたみたいだね〜」と言う。 夕飯の準備をしているようだ。   実家でも無い他人の家で昼寝をしたのだ。 別にこの家に住んでいるわけでもないのに、最近疲れると好んでこの家の居間で横になってしまう。   誰かの生活が自分の中に流れ込んでくるのが心地いい。 顔も知らないアパートの隣の部屋の人の足跡や、掃除機の音、食器がカチャカチャという音はどうしても好きになれなかったのに 知っている誰かの生活の音がここまで気持ちがいいのは何でだろう。   いま、19の私に会えるなら この不思議なまでにも心地のいいこの店に連れて行きたい。 一人でアパートの部屋で泣いた私と ただ同じときを過ごすのだ。   アドバイスなんてしない。   でも 感じてもらいたい何かを この店が この町が この町に暮らす人たちが たくさん持っている気がして。