2020/08/06 19:00

こんにちは。

昨年11月末に越前海岸エリアへ、Iターンで移住してきた伊藤と申します。

WEBエンジニアとして仕事をしつつ、このエリアで最近プログラミング教室も開催し始めました。また、越前海岸盛り上げ隊ではウェブマスターを務めています。

この度、プロジェクトをご支援くださいました方々に、心より感謝を申し上げます。誠にありがとうございます。引き続き最後まで、このプロジェクトを見守ってくださいますようお願い申し上げます。

写真は、僕の住む国見地区の小丹生(こにゅう)という集落ですが、まずは自己紹介を。

僕は越前海岸へ来る前は、東京都町田市を拠点に活動していましたが、もっと遡ると、子供時代は父の仕事の関係で、東南アジア諸国を転々として過ごしていたため、「地元」というものがありません。

高校から帰国し都内の私立高校に進学しましたが、自己主張の強かった僕は周囲と馴染めず、陸上部の孤独な長距離走者でした。その後は、越前海岸へ来るきっかけとなった 志野君と出会うことになる東京農業大学へ進みました。

大学時代の夢は、「冒険家」になること。植村直己や野口健のような当時の探検家や登山家に触発され、世界各地を旅して歩き、前人未踏の地へ赴くことを志していました。

今思えば、友達作りが苦手だったので、大きな事を言って、注目を集めたかったのですね。

大学1年生の夏は、山小屋でバイトをして、その帰りに南アルプスを単身縦走、更に貯めたお金で単身インド・ネパールへと飛びました。タール砂漠、ガンジス川、ヒマラヤ山脈を目の当たりにし、冒険家としての実績をそれなりに積み始めている最中でした。その冬、北海道の牧場で働いていたとき、激しい1年間の活動に身心の疲労が貯まっていたためか、精神を患い、冒険家としての人生に、早くも終止符を打たれました。

大学も退学して、それから10年間位は、長く暗いトンネルの中を、たった独りでくぐり抜けているような感覚でした。他人とは距離を置き、社会に関心を抱くことはありませんでした(昨年ようやく分かったことですが、僕はASD(いわゆるアスペルガー症候群)で、社会に上手く対応できず、その二次障害として精神を患っていたのです)。

そうして仕事をしてもなかなか継続することは無く、だいたいにおいて雇用主との喧嘩別れを繰り返していた中で、たまたま大学の共通の友人の結婚式で再会した 志野佑介君から、越前海岸へ来てみないかと、声がかかりました。 

その辺りの詳しい経緯を知りたい方は、版画家で地域おこし協力隊の妻 おさのなおこ の記事をご参照ください。

結局、移住を決断したのは、 志野君と彼を取り囲む越前海岸盛り上げ隊の皆さんの存在が大きかったです。こういう人達のために、自分のWEBエンジニアとしての技術を活かしたいと、強く思いました。

越前海岸は、誰もにとって自分の居場所を見つけやすい場所だと思います。いや、格好つけて言っているのではなく、実際に人が少なくて、切実なんですよ。

これは、かつての僕のように、都会で生き苦しさを感じて暮らしている人達へ、特に伝えたいことです。

僕は越前海岸の色々な集会へ顔を出すようになって、ここは僻地だけれども、極めて意識が先進的だと思いました。皆さん忙しいのに、地区や集落の会議に、できる限り顔を出します。まず、その意識の高さが凄いです。それから、会議で黙っている人ってほとんどいないんですね。言いたいことを言い合える、これほど先進的な自由さって他に無いと思います。

やっぱり人間って、個人が尊重されるべきだと思います。それが都会のようにマス(集団)を基準に考え始めてしまうから、僕のような社会に上手く対応できない人がどうしても生まれてしまいます。

僕は社会の脱落者ではありません。この場所なら、それを強く信じて堂々と生きていくことができそうです。そしてまた、冒険家としての人生が別にあったとしても、いずれどこかの地に安らぎを求め、いわゆる「沈没」をしていたことでしょうから、行き着くところは近いものがあったのかなと、今は思っています。

今回のクラウドファンディングでは、僕自身はリターンを用意していませんが、WEB担当として毎回の会議に参加させていただきました。

越前海岸と、越前海岸盛り上げ隊に少しでも興味をもってくださった方は、ぜひWEBサイトをのぞいてみてくださいね。

長文をお読みいただき、誠にありがとうございました。引き続き、よろしくお願い申し上げます。