「森の家」で打ち合わせをしている時にごそごそと天井から音がしました。イタチが歩く音だと聞かされ、なるほどイタチは見たことがないけれど、フェレットぐらいだとすれば、そのぐらいの大きさの動物の足音だ、と妙に納得しました。しかし、わざわざ朽ちかけている家を再建し、人々の集う場としてこれから活動するぞ!と立ち上げたばかりの森の家です、大工さんにお願いしてその都度、イタチの侵入経路となる穴を塞いでいくことにしています。イタチには、森の中にいてもらうことにして。。。 そんなちらっとした断片から、人間から見ると厄介なイタチをあえてメインキャラクターにして、このイタチの平吉(ヘイキチ)から見た、海辺の小さな町の物語を描こうと思いました。森の家の周りは、正直に言うと住みやすい環境ではありません。竹がグイグイ生えてくるし、まず車が入れない。ここに住む大変さはこの二点が最大の難点だと思います。それら「難」の象徴がイタチ、のように私には感じられたのです。 平吉は誰もの心の中にある、寂しい気持ちを表している部分もあります。よくよく考えると、私たちの心は寂しさという感情が原因で他の人と諍いを起こすのではないかと私は常々思っています。寂しさは自分を含め誰もが尊く愛すべき存在だと気がつき、自分で自分を認めることができた時に解決できるのではないかと私は思っています。寂しい気持ちは、心の「難」なのではないかと。しかし難があるから他人の気持ちに共感ができるのかもしれません。 それらの「難」を含めて愛していこうと思っている私たちです。 平吉を迎えるのは、地元民という設定のカモメの空太(クウタ)です。何人かの人に、なんで頭が四角いの?と聞かれました。普通に丸く描くと、単に可愛い感じの鳥になったので引っ掛かりが無く、ラフの段階で丸い頭はやめました。空太が無口でとても賢いということを表したくて四角く描きました。皆さん私の思惑通り、四角い頭に引っかかってくださいます。 空太はキャラクターとしてはストレートに可愛い!見た目ではないのですが、私はこの絵を二匹の絵本に発展させようと思っているので、空太のさりげない優しさを物語の中では描きたいと思っています。単なるキャラクターデザインではないので、分かりやすい可愛さは避けて描きました。___________ このような背景で今回の絵を描きました。物語の源流になる絵です。ずっと絵本を描きたいと思っている私の、本当にまだ小さい湧き出したばかりの感情を描いた絵です。これを読んで気持ちが動いた方の元にこの絵が行けるように心から願っています。
静かな静かな毎日だった家族と静かに暮らしていた突然ヒトがやってきて山を崩し始めるまでは イタチの平吉 本当は新しくやってきたヒトたちとも仲良く暮らそうと思っていた でもヒトはみんなこう言うんだ平吉とっても臭いなあ食べ物こっそり盗っていく勝手に屋根裏 住もうとする お家を壊され 家族もいなくなり平吉とっても寂しかった山も森もなくなった嫌われても、それでもヒトのそば温もり恋しかった ある日平吉、旅をしようと思い立ち西へ西へと歩き出す歩き続けて海辺の小さな町にたどり着いた橋の欄干からカモメがさっと降りてきてやあこんにちは、君はどこから来たんだい 事情を聞いたカモメのクウタそれなら僕の背中にお乗り海を見たことあるかいきっと心が晴れるよ平吉初めて見る「うみ」にびっくりそして一目で海が好きになった フライト終えてクウタが連れて行ってくれたのは細い坂道登りきった、小さなお家ヒトに壊されたあの懐かしいお家に何だか似てる 二人で庭に出てみると今日の太陽が沈んでいくいつかお兄ちゃんと一緒に飲んだあのオレンジジュースみたいな空 クウタはそっと平吉の背中に羽を伸ばすたまには泣いてもいいんだ、傍にいるから
宿の少ない町に、ゲストハウスを。よそ者の男が町の希望になるまでを描いた、”ふるさと納税”を巡るストーリー。 世の中ではいろんな面白いことが起こっているのですね。 高知県越知町の仁淀川は行ってみたい場所ランキングのそうとうな上位です。 仁淀川ラフティングに加えて、この古民家に宿泊となるとランキングトップにあがるかも!
毎月第3日曜に行われている御崎マルシェは地元有志によるボランティア運営です。 出店料を500円だけいただいて交通整理をしてもらうシルバーさんの費用に充てています。 facebook内で広報していますが、参加自由なので誰が出店するのか行ってみないとわからないっていうゆる~い開催です。 明日の主なメニュー 詳しくはこちら
昨日の投稿ついでに、もう一つ真面目な話を書きます。 こちらは森の家近辺の赤穂市が公開している災害危険区域の地図です。 森の庭はぎりぎり含まれていませんが、御崎地区はずいぶん広範囲が指定されています。 40年ぐらい前、赤穂市中心部が水没するという大水害が発生しました。 その時に灯台が丘のあたりも土砂崩れが起きて災害危険区域に指定され、 市の補助を受けて立ち退いた家が多かったそうです。 で、40年後に廃屋だらけになるという結果になり、地域は消滅の危機に瀕しています。 私は神戸で被災しているのですが、その時に全壊家屋の解体にやはり助成金が出て、みんな先を争って解体し、後になって我が家を救う方法もあったことがわかって、深く後悔したと聞いたことがあります。行政はその時々で最善の道を選んだと思いますが、結果を見ると何とかならなかったのかと考えてしまいます。