川崎のことを綴った本。「あつよさんらしい口調ね」 と読んだ方がたで、自費出版だと思っていらっしゃる方も少なくありません。ライターの南寿律子さんが、そう勘違いさせるほど、本当に川崎らしさを十二分に汲み取り、品性のある文章にまとめてくださいました。身内の本だけに恥ずかしさもあり、「それって素敵に言いすぎじゃない?」と思いそうでしたが、そんなことがなく「ああ、川崎が話しているな」と、私たち家族もするすると読み進められたのです。そして、何度も繰り返し読めてしまうから不思議です。また、苦手な写真。かつて何度か別件で撮られたときも、実はなかなか本人的に満足がいくものがなく「まあ、美人じゃないからしょうがないね」と笑うことが多々。ですが、今回はカメラマンの佐山裕子さんがさらりと川崎を撮った1枚を見たら、「あ、嬉しい」と安心してその後のぞむことができたようです。編集の依田邦代さんは、「川崎のファッションスタイルだけが注目されるのではなく、あくまでも川崎らしさ、人となりが伝わることをメインにしてくださいね」という、こちら側のプレッシャーに「もちろん!」と応えてくださり、全頁にあつよイズムが感じられます。写真のセレクト、文字のバランス、余白の取り方……デザイナーの若井裕美さんのセンスは抜群でした。Zoomミーティングの時に座っているお部屋のインテリアからもかっこよさが漂っていました。そして、闘病生活の始まった川崎を励まそうとDANが毎日描き続けた似顔絵。その1枚が表紙に採用されました。依頼は昨年秋にいただいたものの、スタートは2月頃からで撮影を終えたのが3月末。病気が発覚したのが4月頭。校正のやり取りはほぼ病室でしたから、この1冊ができるまでを振り返ると、ずるずるゆるゆるでなく、ぎゅぎゅっと詰まった時間と判断力でものすごい達成感があります。それは素晴らしいメンバーの方々に支えられていたから。「ああ、だから編集ってハマっちゃう仕事なんだなあ」最後ページのスタッフ名の列記を見ると胸が熱くなります。本を読んだ画家の方からお手紙をいただきました。内容はもとより、構成についての感動を伝えてくださったので一部ご紹介します。「実は開封して中を見る前に本の装丁をじっくり拝見しました。中を見るまでもなく充分心配りが行き届いた装丁で、さぞかしカメラマン、デザイナーともいろいろ推敲されたことと推察します。プラチナのヘアーにレモンイエローとモスグリーンのバックの写真は見事に素敵です。背表紙と腰巻きが白に決めている事が、実はデザイン的にも必然的なコトと気づかされます。本を開いてみて、装丁で感じたイメージやコンセプトが揺るいでないことに再度感動しました。簡潔でいて平易な文章はある高みまで歩いた人だけが使える優しい得物なのだろうとおもっています。……本の各ページにも細心の注意でデザインされ、それも読者に余り気づかせず心地よくページをめくれるように、文字の大きさ,種類、英文の書体にも細心の心遣いが隠されている。 ……」
闘病が始まった時、多くの人がするように名医年鑑みたいなものを調べました。すると、ある名医が「本を見て、みなさんいらしてくださいますが、たいていの医療器具は同じですし、やることもそんなに違いはないのです。なのであなたの主治医を名医と思って信じてください。よっぽど意思の疎通が図れない、診察がいい加減ということがあれば、その時は変えるとよいでしょう」と仰っていました。川崎の主治医になった人は10年選手で名札を見たら「淳」と。川崎は「淳与」。川崎の夫は「淳一」。(余談ですが川崎の結婚式に参列した阿川弘之氏が「淳淳(あつあつ)の夫婦」とことばを残したそうです)名前の共通項だけで信頼感がわくという私たち、単純な一家です。余命宣告を受けた家族の思い、メメントモリを日ごろから語り合ってきた夫婦の考えなどをしたためて、淳仲間でよろしくと、川崎夫は先生に手紙を渡したほど。さて、ここだけの話し、先生は愛嬌がなく不器用そうなので、川崎は診察から帰るたびに「彼の良さを分かる人が現れるといいのにねえ」と陰で余計なお世話的コメント、苦笑。ところが入院中に探りを入れていたら、3月に赤ちゃんが生まれたばかりと。しかもその名前が「淳朗(あつろう)」と! さらには私の住む駅で線路挟んだ反対エリアに住んでいるというから、もう勝手にファミリー気分増幅。笑 出産した人にいつも川崎が贈るちいさな漆椀を、淳先生にもと名入れも川崎自身が書きました(わざわざ、名入れのために筆と漆を持ってきてくださった笹原みどりさんには感謝)外側には「淳朗」、ご飯を食べ終わったらパパの「淳」が見えるように。お椀を渡した数日後に、普段通らない近所の道を川崎と車で走っていたら、なんと赤ちゃんを抱いた淳先生家族に出会うというびっくりもあり、本当に不思議なご縁です。病発覚後すぐに川崎の友人が 「お医者さまに恋するのよ。そうしたらいい方向にいくよ」とアドバイスしてくれましたが、信頼感を持つということはチーム戦で病を乗り越えるための必須であり、嫌な病院生活をちょっとでも楽しくできるね、なんて川崎とよく話していました。原発癌種が明確になり、婦人科から乳腺内分泌外科に転科。淳先生から主治医は変わり、会うこともほとんどなくなりました。でも再入院したときに夜わざわざ「あのお椀でお食い初めしました」と覗いてくれたときの川崎の喜びよう。今日、改めて淳先生に川崎の他界とお礼を伝えにうかがったら、先生から川崎宛てのお手紙をいただきました。「たくさんの患者さんと関わっているので全員にできないことは差別になる気がして、こういうことはしてきませんでしたが今回は特別です」と。眠る川崎に読んで聞かせました。「……最後に不躾なお願いではございますが天国より淳朗を見守っていただけますと幸甚です」。医者として客観性を保つため距離を置くことを意識して無駄口をきかずクールに装いながらも、いつのまにか「川崎さん」から「あつよさん」と呼ぶようになっていて、人間らしさが時折こぼれ見えちゃういい先生でした。
2020年7月30日1時25分皆様からのエールをひとつひとつすべて心に留めあつよさんが安らかに昇天しました。ここ数日、自分で呼吸をすることができない状態でしたが、昨日の昼間には病室で私と父が添い、神父様による病者の塗油の秘跡を受けました。すべてに感謝の思いで聴いていたと思います。クリスチャンの私たちにとって、とても穏やかで、ホッとし、これから訪れることを素直に受け入れられる心構えの時間になりました。ですので、その夜に旅立ったのはあつよさんらしいなあと家族は拍手しています。あつよさんとの約3か月半の闘病生活は濃厚で、学びと愛に満ちていました。本も出て、私たちに、絶えることのない愛の種まきをしてくれた気がしています。特に式はせず、家族だけで静かに送ります。未定ですが、落ち着いたらワッツで川崎との場づくりも考えておりますので、また改めてお知らせいたします。このクラファン完了日までまだ日がありますので、あつよさんらしいエピソードを活動報告でお伝えいたしますね。皆様には心から感謝を申し上げます。そしてあつよさんの夢を皆様と一緒に叶えられますこと、とても嬉しく本当に楽しみです!(絵は、息子の暖があつよさんの2回目の入院時に描いたものです。「最高の出来!」とあつよさんも大喜び)
中学生のときに入院し、環境が変わり食欲のない私に、母(川崎)はミントンの花柄の陶器を持ってきて、病院の食事を移し替えて食べさせてくれました。思春期の私は、「自分だけ恥ずかしいから嫌だなあ」と思っていましたが、肌色の無地のメラミン食器よりは格段においしく見えて食欲もわいたことを思い出します。ワッツでのランチも、買ってきたお弁当は器に移し替えるのが暗黙の了解(笑)今は病院の器も柄入り、小鉢スタイルで昔より良くなったけれど、もっと病人の気持ちが明るくなる食卓づくりを考えたら、病気の回復も早くなるんじゃないかしらと話しています。海外ではアパートを借りて滞在型の旅をすることが多いのですが、そのときも、買った小物や花を飾りキャンドルを灯し、また、住人の私物が目障りだと(笑)、きれいなリネンで隠し、短い滞在でも我が家のように心地よく暮らすことをしてきました。とにかく、「心地よく、自分らしく暮らす」ことは、川崎の大切なモットーなのです。もちろん、病院でも。壁にはいただいた手紙や絵を貼り、今回は回復のモチベーションをあげるため、書籍の構成案も貼りまくり(笑)Nutel えりちゃんのミシンドローイングが施されたクロスは、味気ない病室の棚をエレガントにしてくれました。眼鏡など小物をまとめて入れておくのに、愛用のアンティークのトレイも。たったそれだけで、ホッとする日々が送れるのですから、特に弱っているときはおススメです。こちらが説明するわけではないけれど、感度の高い看護師さんは反応してくれて「勉強になります」って。「嬉しいな。今度ワッツに遊びに来てね」と川崎。入院が長くなり、みんなかわいい娘みたいに思えるそう(笑)
年に数回お食事をご一緒する感じで、かねてからお付き合いのありました主婦の友社の依田邦代さんが、「川崎淳与」という生き方に密かに興味を持ってくださっていたことから、この本が生まれました。編集を進めているときにも、「あの時の川崎さんの身に着けていたものが…」とか「あの時の川崎さんが話していた…」とか、時間が経っていても鮮明な記憶を持っていらして、それは驚くほどでした。さすが編集者!と思いましたが、それにとどまらず、静かにきらりと光る瞬間を見逃さない、依田さん自身の キャッチ力のすごさ、天性だと思います。ご本人の許可を得て、書籍完成とともに届いたお手紙を紹介させていただきます。・・・・・・・・・・・「思い返せば、昨年10月16日にワッツへ伺って「本をつくらせていただけませんか?」と突然お願いしたのでした。淳与さんの穏やかに驚く顔が忘れられません。それまでも『OVER60』や『グレイへア』の本でお世話になっていましたが、「淳与さんひとりで本を一冊作らせていただきたい」と突き動かされるように熱い想いでお願いに伺ったのでした。「私でいいの?」とためらいながらも、OKしてくださって本当に嬉しかったです。それまでも淳与さんの魅力は存じ上げているつもりでしたが、取材を通して知れば知るほど、その奥深さに魅了されていきました。私もその一人ですが、淳与さんに励まされて勇気を出して一歩踏み出せた人がたくさんいることも知りました。大人の女性として心から尊敬でき、見習いたいと思いました。どのような運命の巡り合わせか、淳与さんの人生の節目に本を出すことになり、最高に身の引き締まる思いで関わらせていただきました。あの日から8か月、美しくて、ワクワクして、読むと深い、小さいけれど内容のずっしり詰まった本が出来上がりました。詩野さんの献身的なご尽力にも頭が下がりました。本当にありがとうございました。 2020.6.24 依田邦代」