The future has already begun.堀越敬介(モカコーヒー)「これで最後か…」モカから北へ1km足利市民会館へ向かう高校生の列を見送りながらため息をつきました。モカが開店する48年前に私の父俊匡がお世話になったのが足利市民会館です。ロイアルはデザイン広告の仕事しかして来なかった父がカフェ経営を学んだ場所でした。ロイアルのロゴは父のデザインです。一昨年亡くなった父から当時の市民会館の様子をよく聞かされました。フロント業務をしていた頃は、結婚式や宴会、演劇やコンサートで大忙し。毎月色紙を売りに来ていた相田みつをさんとも交流があったそうです。私としても子どもの頃から家族でロイアルに行ったり、市民会館には数え切れないほど沢山通ってきました。3年前、大盛況だったロイアルナイトも今となっては良い思い出です。55年間街の中心で歴史を紡いできた足利市民会館が無くなってしまうのは本当に寂しく思います。でも未来へつづく本として後世に残せるのは本当に素晴らしいレガシーだと思いました。足利高校として生まれ変わっても、この本は未来の子供たちへ伝えていける歴史であり文化だと思います。
はじめて訪れたのは2年前ですが、その姿が目に映った瞬間に、あ、かっこいいと思わず声が出てしまいました。デザイン、建材が良いからなのでしょうか。重厚なたたずまいに迫力があり、また経年変化が雰囲気により厚みを持たせていました。内装も素敵でしたね。ロイアルレストランをはじめ、壁や天井、ソファなど、どれも心奪われる魅力的なものでした。見れるところはくまなく見てまわりました。長い間海外を転々と住み歩き、好きで色々な建物を見てきましたが、帰国してから良い建物見かけることが少なかったので、歩き回っていて嬉しくなったのを覚えています。私は自分で服を製作し、セレクトショップに卸しています。そのPRでモデルに着せて撮影をするのですが、ここで撮影したいと強く思いました。訪れた当日に、既に取り壊しが決まっていると聞き、かなりショックを受けました。使用する方々の意見や老朽化、維持費、地域を取り巻く何かしら等、当事者目線の意向によるものなのでしょうか。ただ、外野である私としては、それを差し引いても、次世代、その次、その次へと残していくべき存在であると思うのです。建物から良いものと良くないものを見分ける、感じ取る事を学べるはずです。私個人としてはどうすることも出来ないもどかしさがあったのですが、せめて僕なりに記録に残したいという思いが湧き、市職員の柏瀬さんにお願いし、撮影は実現しました。感謝しております。フォトグラファー、モデル共に友人ですが、二人とも初めて訪れたロケーション(会館)にワクワクしていました。僕と同じように。良い写真が撮れたのは言うまでもありません。ワクワク出来る建物というのは、日本ではどんどん少なくなっているのではないでしょうか。柏瀬さん、中村さんから未来へつづく本プロジェクトのお話を聞きました。その姿勢に建物への愛情をとても感じます。私も微力ながらプロジェクトを応援させて頂きます。この本を通して,今一度モダニズム建築を始め、日本の古き良きかっこよしを見つめ直してみて欲しいです。そして、そこで行われてきた,人の交流を知って欲しいと思っています。人の交流こそが、この建物の存在意義であったとも思うのです。
「形あるもの」いつかは姿を消す。 当たり前のようにあったものが姿を消す時、とても大切な存在だったと気づく。 〜〜〜〜〜〜〜〜足利市民会館が姿を消す今、 一冊の本が生まれようとしています。 単なる「市民会館の思い出本」ではなく「これからの足利を探る1冊」になることでしょう。 私達足利八木節女前Japanは、5/16(日)市民会館への花向けと同時に、足利八木節の継承を願い、次の100年へのスタートとしての演奏演舞を大ホールにてご披露しました。 当日は1000人を越える方にお越しいただき最後の市民会館を楽しんでいただきました。 足利市民の暮らしと共に当たり前のようにそこにあった市民会館は 実は貴重な建物だったこと 市民はとても恵まれた環境にあったこと 数え切れない思い出が紡がれた場所だったこと。。 姿を消す足利市民会館から、 これからの足利の姿を考える今こそ残すべき1冊の誕生に、エールを贈りませんか? 足利八木節 女前Japanリーダー 、プロ歌手 小田えつこ
みなさま、こんにちは。編集者の多田と申します。 足利生まれでも、足利育ちでもない私が足利市民会館を知ったのは、2017年の春に主婦の友社より発行した『Skip』というムック本の取材がきっかけでした。 旧市街に店を構える「mother tool」の中村さんの視点から、足利という街の魅力、そしてその地で生きていくことに対して、どのような思いでいらっしゃるのかをお伝えする内容で、取材を進めるうちに、足利には、風情ある小路が残っていることや、おいしいお蕎麦屋さんや洋食屋さんがたくさんあること、そしてアートや音楽といった芸術文化が、町の空気をつくる遺伝子として漂っていることを知りました。 その中心にあったのが文化の「創造劇場」である足利市民会館の存在。 全国4カ所でしか開催されていないNHK交響楽団の定期公演場所のひとつであり、しかも、ミュージカルやオーケストラ、オペラといった劇場専属の団体が市民との協働で運営されている、劇場としてのクオリティの高さを備えた「市民のための場所」。 全国に「市民会館」と名のつくところはいっぱいありますが、市民の日常にこんなに密接している場があるのか、と羨ましく思ったのを覚えています。 1966年に竣工されたこの建物の中で、織姫伝説の一幕が描かれた美しい緞帳(どんちょう)が開く瞬間をどれだけ多くの人が目にしたことでしょう。 芸術を介して時代をつないできたこの足利市民会館は、市民のみなさんにとって欠くことのできない社交の場であったはず。 それが今、時代の流れとともに姿を消そうとしています。建物も年を老いますから老朽化は否めません。しかしそこで培われてきた足利市民の文化の芽は年月の分だけ深く根をおろし、これからも花を咲かし続けてくれると思うのです。 先に述べた『Skip』の冒頭で、足利取材を終えた感想をこのように記しています。 『あれがない、これがない (世の中は)ないものを挙げだすととまらない。 あれもある、これもある (世の中は)なくしたくないものであふれている。 同じ環境でも、考え方で世界は変わります』 今思うと、これは足利に限ったことではなく、どこに住んでいても言えること。ひとりひとりの意識で生活や環境はつくられていくんですよね。現状に目をつぶって大事なものをみすみすなくしてしまうのではなく、自分たちの未来のために何ができるのか、今一度、考えてみるべきときなのかもしれません。 このたびの足利市民会館への55年間の感謝と思い出を込めた一冊が、新しい「市民のための場」を生み出す出発点になりますように。
「なんだ、このすてきな建物は!」それが第一印象。国道293を北上して信号待ちでふと右を見ると、威厳のあるたたずまいの公共施設「足利市民会館」がそこにあった。足利暮らしも何年か経ち、屋台のコーヒー店アラジンにいくようになり、娘の合唱コンクールで、建物の中に入る機会も増え、じっくり観察するようになる。木の質感とコンクリートのバランス、空間の流れをつくる梁の位置、視界のアクセントになる照明は何度みてもあきない。いまではもう作れないであろう昭和の豊かで自由な時代を象徴する公共建築。近隣の田舎まち育ちのわたしにとって、文化度の高い建物が昔からあるということがうらやましかった。東京から戻って、何もないと思っていた数年間、そのあとに現れたこの建築物は、ただの建物ではなく、地方にも文化にふれるチャンスはあるんだよ。といってくれている気がした。大ホール向かいのウェディングレストランロイアルでクリームソーダを飲み、西には両崖山、南のまどからは飯田善國のモニュメント。ピロティ―の上から大ホールの吹き抜けを眺める。大ホールの東側の窓は足利のAの形なんて思いながら、ぜいたくな空間の中で時間はゆったり流れていく。市民会館がなくなると聞いて、建築そのものがなくなってしまうだけでなく、多くの人の思い出や、周辺の景色が変わってしまうことがとても悲しかった。老朽化や耐震などの問題をクリアして残せたらいいなと思っていたけれど、それも難しいらしい。ではわたしたちに何ができるのだろうか。数年前、ロイアルでイベントを行った。「Skip」という雑誌の発行にあわせ、誌面企画ページ内で、足利での毎日の暮らしの中で心が弾むスポットをわたしが案内し、好きな場所として足利市民会館も紹介している。その時、編集をしていた多田千里さんや、一緒にイベント主催したメンバー菊地健雄監督や惣田紗希さんにも相談し、何ができるのかを一緒に考えた。なくなってしまう市民会館。ここで培われた文化の遺伝子を伝え、未来へどうつなげていくのか、伝えるために本をつくろう。実行委員会をつくり、クラウドファンディングを始めることにした。郷愁ではなく、これからのことも考えるきっかけに。資料としてではなく、文化の遺伝子を次につなげる媒体として本を。前を向き、解体を前にした、このタイミングでしかできない本づくりがはじまろうとしている。