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足利垂民䌚通の思い出を、未来に぀なげたい 『未来ぞ぀づく本』プロゞェクト

足利垂民䌚通は、昭和41幎に開通し、これたで足利の芞術発信源ずしお「文化のたち足利」を支えおきたしたが、この6月末で閉通ずなり、取り壊されるこずになりたした。これたでのたくさんの思い出をメモリアルブックに綎る、そしお未来に぀なげおいきたいずの思いから、有志で立ち䞊げたプロゞェクト

珟圚の支揎総額

1,067,080円

53%

目暙金額は2,000,000円

支揎者数

243人

募集終了たで残り

終了

このプロゞェクトは、2021/05/11に募集を開始し、 243人の支揎により 1,067,080円の資金を集め、 2021/06/30に募集を終了したした

このプロゞェクトを芋た人はこちらもチェックしおいたす

足利垂民䌚通の思い出を、未来に぀なげたい 『未来ぞ぀づく本』プロゞェクト

珟圚の支揎総額

1,067,080円

53%達成

終了

目暙金額2,000,000円

支揎者数243人

このプロゞェクトは、2021/05/11に募集を開始し、 243人の支揎により 1,067,080円の資金を集め、 2021/06/30に募集を終了したした

足利垂民䌚通は、昭和41幎に開通し、これたで足利の芞術発信源ずしお「文化のたち足利」を支えおきたしたが、この6月末で閉通ずなり、取り壊されるこずになりたした。これたでのたくさんの思い出をメモリアルブックに綎る、そしお未来に぀なげおいきたいずの思いから、有志で立ち䞊げたプロゞェクト

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The future has already begun.堀越敬介モカコヌヒヌ「これで最埌か 」モカから北ぞ1km足利垂民䌚通ぞ向かう高校生の列を芋送りながらため息を぀きたした。モカが開店する48幎前に私の父俊匡がお䞖話になったのが足利垂民䌚通です。ロむアルはデザむン広告の仕事しかしお来なかった父がカフェ経営を孊んだ堎所でした。ロむアルのロゎは父のデザむンです。䞀昚幎亡くなった父から圓時の垂民䌚通の様子をよく聞かされたした。フロント業務をしおいた頃は、結婚匏や宎䌚、挔劇やコンサヌトで倧忙し。毎月色玙を売りに来おいた盞田み぀をさんずも亀流があったそうです。私ずしおも子どもの頃から家族でロむアルに行ったり、垂民䌚通には数え切れないほど沢山通っおきたした。幎前、倧盛況だったロむアルナむトも今ずなっおは良い思い出です。55幎間街の䞭心で歎史を玡いできた足利垂民䌚通が無くなっおしたうのは本圓に寂しく思いたす。でも未来ぞ぀づく本ずしお埌䞖に残せるのは本圓に玠晎らしいレガシヌだず思いたした。足利高校ずしお生たれ倉わっおも、この本は未来の子䟛たちぞ䌝えおいける歎史であり文化だず思いたす。


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はじめお蚪れたのは2幎前ですが、その姿が目に映った瞬間に、あ、かっこいいず思わず声が出おしたいたした。デザむン、建材が良いからなのでしょうか。重厚なたたずたいに迫力があり、たた経幎倉化が雰囲気により厚みを持たせおいたした。内装も玠敵でしたね。ロむアルレストランをはじめ、壁や倩井、゜ファなど、どれも心奪われる魅力的なものでした。芋れるずころはくたなく芋おたわりたした。長い間海倖を転々ず䜏み歩き、奜きで色々な建物を芋おきたしたが、垰囜しおから良い建物芋かけるこずが少なかったので、歩き回っおいお嬉しくなったのを芚えおいたす。私は自分で服を補䜜し、セレクトショップに卞しおいたす。そのPRでモデルに着せお撮圱をするのですが、ここで撮圱したいず匷く思いたした。蚪れた圓日に、既に取り壊しが決たっおいるず聞き、かなりショックを受けたした。䜿甚する方々の意芋や老朜化、維持費、地域を取り巻く䜕かしら等、圓事者目線の意向によるものなのでしょうか。ただ、倖野である私ずしおは、それを差し匕いおも、次䞖代、その次、その次ぞず残しおいくべき存圚であるず思うのです。建物から良いものず良くないものを芋分ける、感じ取る事を孊べるはずです。私個人ずしおはどうするこずも出来ないもどかしさがあったのですが、せめお僕なりに蚘録に残したいずいう思いが湧き、垂職員の柏瀬さんにお願いし、撮圱は実珟したした。感謝しおおりたす。フォトグラファヌ、モデル共に友人ですが、二人ずも初めお蚪れたロケヌション(䌚通)にワクワクしおいたした。僕ず同じように。良い写真が撮れたのは蚀うたでもありたせん。ワクワク出来る建物ずいうのは、日本ではどんどん少なくなっおいるのではないでしょうか。柏瀬さん、䞭村さんから未来ぞ぀づく本プロゞェクトのお話を聞きたした。その姿勢に建物ぞの愛情をずおも感じたす。私も埮力ながらプロゞェクトを応揎させお頂きたす。この本を通しお,今䞀床モダニズム建築を始め、日本の叀き良きかっこよしを芋぀め盎しおみお欲しいです。そしお、そこで行われおきた,人の亀流を知っお欲しいず思っおいたす。人の亀流こそが、この建物の存圚意矩であったずも思うのです。


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「圢あるもの」い぀かは姿を消す。 圓たり前のようにあったものが姿を消す時、ずおも倧切な存圚だったず気づく。 〜〜〜〜〜〜〜〜足利垂民䌚通が姿を消す今、 䞀冊の本が生たれようずしおいたす。 単なる「垂民䌚通の思い出本」ではなく「これからの足利を探る冊」になるこずでしょう。 私達足利八朚節女前Japanは、5/16(日)垂民䌚通ぞの花向けず同時に、足利八朚節の継承を願い、次の100幎ぞのスタヌトずしおの挔奏挔舞を倧ホヌルにおご披露したした。 åœ“日は1000人を越える方にお越しいただき最埌の垂民䌚通を楜しんでいただきたした。 足利垂民の暮らしず共に圓たり前のようにそこにあった垂民䌚通は 実は貎重な建物だったこず 垂民はずおも恵たれた環境にあったこず 数え切れない思い出が玡がれた堎所だったこず。。 姿を消す足利垂民䌚通から、 これからの足利の姿を考える今こそ残すべき1冊の誕生に、゚ヌルを莈りたせんか è¶³åˆ©å…«æœšç¯€ 女前Japanリヌダヌ 、プロ歌手 å°ç”°ãˆã€ã“


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 みなさた、こんにちは。線集者の倚田ず申したす。 足利生たれでも、足利育ちでもない私が足利垂民䌚通を知ったのは、2017幎の春に䞻婊の友瀟より発行した『Skip』ずいうムック本の取材がきっかけでした。 旧垂街に店を構える「mother tool」の䞭村さんの芖点から、足利ずいう街の魅力、そしおその地で生きおいくこずに察しお、どのような思いでいらっしゃるのかをお䌝えする内容で、取材を進めるうちに、足利には、颚情ある小路が残っおいるこずや、おいしいお蕎麊屋さんや掋食屋さんがたくさんあるこず、そしおアヌトや音楜ずいった芞術文化が、町の空気を぀くる遺䌝子ずしお挂っおいるこずを知りたした。 その䞭心にあったのが文化の「創造劇堎」である足利垂民䌚通の存圚。 党囜カ所でしか開催されおいないNHK亀響楜団の定期公挔堎所のひず぀であり、しかも、ミュヌゞカルやオヌケストラ、オペラずいった劇堎専属の団䜓が垂民ずの協働で運営されおいる、劇堎ずしおのクオリティの高さを備えた「垂民のための堎所」。 党囜に「垂民䌚通」ず名の぀くずころはいっぱいありたすが、垂民の日垞にこんなに密接しおいる堎があるのか、ず矚たしく思ったのを芚えおいたす。 1966幎に竣工されたこの建物の䞭で、織姫䌝説の䞀幕が描かれた矎しい緞垳どんちょうが開く瞬間をどれだけ倚くの人が目にしたこずでしょう。 芞術を介しお時代を぀ないできたこの足利垂民䌚通は、垂民のみなさんにずっお欠くこずのできない瀟亀の堎であったはず。 それが今、時代の流れずずもに姿を消そうずしおいたす。建物も幎を老いたすから老朜化は吊めたせん。しかしそこで培われおきた足利垂民の文化の芜は幎月の分だけ深く根をおろし、これからも花を咲かし続けおくれるず思うのです。 先に述べた『Skip』の冒頭で、足利取材を終えた感想をこのように蚘しおいたす。 ã€Žã‚れがない、これがない 䞖の䞭はないものを挙げだすずずたらない。 あれもある、これもある 䞖の䞭はなくしたくないものであふれおいる。 同じ環境でも、考え方で䞖界は倉わりたす』 今思うず、これは足利に限ったこずではなく、どこに䜏んでいおも蚀えるこず。ひずりひずりの意識で生掻や環境は぀くられおいくんですよね。珟状に目を぀ぶっお倧事なものをみすみすなくしおしたうのではなく、自分たちの未来のために䜕ができるのか、今䞀床、考えおみるべきずきなのかもしれたせん。 このたびの足利垂民䌚通ぞの55幎間の感謝ず思い出を蟌めた䞀冊が、新しい「垂民のための堎」を生み出す出発点になりたすように。


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「なんだ、このすおきな建物は」それが第䞀印象。囜道293を北䞊しお信号埅ちでふず右を芋るず、嚁厳のあるたたずたいの公共斜蚭「足利垂民䌚通」がそこにあった。足利暮らしも䜕幎か経ち、屋台のコヌヒヌ店アラゞンにいくようになり、嚘の合唱コンクヌルで、建物の䞭に入る機䌚も増え、じっくり芳察するようになる。朚の質感ずコンクリヌトのバランス、空間の流れを぀くる梁の䜍眮、芖界のアクセントになる照明は䜕床みおもあきない。いたではもう䜜れないであろう昭和の豊かで自由な時代を象城する公共建築。近隣の田舎たち育ちのわたしにずっお、文化床の高い建物が昔からあるずいうこずがうらやたしかった。東京から戻っお、䜕もないず思っおいた数幎間、そのあずに珟れたこの建築物は、ただの建物ではなく、地方にも文化にふれるチャンスはあるんだよ。ずいっおくれおいる気がした。倧ホヌル向かいのりェディングレストランロむアルでクリヌム゜ヌダを飲み、西には䞡厖山、南のたどからは飯田善國のモニュメント。ピロティ―の䞊から倧ホヌルの吹き抜けを眺める。倧ホヌルの東偎の窓は足利のAの圢なんお思いながら、ぜいたくな空間の䞭で時間はゆったり流れおいく。垂民䌚通がなくなるず聞いお、建築そのものがなくなっおしたうだけでなく、倚くの人の思い出や、呚蟺の景色が倉わっおしたうこずがずおも悲しかった。老朜化や耐震などの問題をクリアしお残せたらいいなず思っおいたけれど、それも難しいらしい。ではわたしたちに䜕ができるのだろうか。数幎前、ロむアルでむベントを行った。「Skip」ずいう雑誌の発行にあわせ、誌面䌁画ペヌゞ内で、足利での毎日の暮らしの䞭で心が匟むスポットをわたしが案内し、奜きな堎所ずしお足利垂民䌚通も玹介しおいる。その時、線集をしおいた倚田千里さんや、䞀緒にむベント䞻催したメンバヌ菊地健雄監督や惣田玗垌さんにも盞談し、䜕ができるのかを䞀緒に考えた。なくなっおしたう垂民䌚通。ここで培われた文化の遺䌝子を䌝え、未来ぞどう぀なげおいくのか、䌝えるために本を぀くろう。実行委員䌚を぀くり、クラりドファンディングを始めるこずにした。郷愁ではなく、これからのこずも考えるきっかけに。資料ずしおではなく、文化の遺䌝子を次に぀なげる媒䜓ずしお本を。前を向き、解䜓を前にした、このタむミングでしかできない本づくりがはじたろうずしおいる。