こんばんは! クラウドファンディング学生サポートチームです!
クラウドファンディングの開始から4日が経過し、現在、60%を突破し、513,000円に達しました!
ありがとうございます!
まだ目標金額にはさらにひとがんばりが必要ですが、改めて私たちTDU – 雫穿大学(てきせん大学)が今の日本社会でなぜ必要なのかを、TDU代表の朝倉景樹が語りました!
ぜひご一読、そして、応援の方をよろしくお願いします!
【TDU – 雫穿大学はなぜ今必要なのか】・ 朝倉景樹
今の日本の社会は認められた生き方から一歩外に出ると途端に生き難くなります。そのことは、社会を学校とか職場と置き換えても言えることです。「こうあるべき」という範囲から出てしまったり、もはやその中に収まる努力を続けられない、ということが不登校であり、ひきこもりであったりします。不登校が70年代半ばから急速に増え、現在は小中学校の義務教育年齢の子どもだけでも16万人を超えています。かつては、不登校は子ども本人や親に問題があるとされました。子どもと親に問題を求め、学校の変化には目が向けられませんでした。70年代からの学校では校内暴力が吹き荒れ、体罰・校則で抑え込むと、いじめが激増したても、学校そのものの変化は関心の対象とならなかったのです。
全国各地の学校で同じ内容を同じ教具を使い、同じペースで学ぶことが徹底されていく中でこのような子どもたちの姿が見られるようになっていったことは注目されませんでした。しかし、十人十色、無くて七癖、人はどうしても多様な存在です。さらに、規則正しく、守らなくてはいけない行動のルールが強まり、子どもたちの負担・ストレスが増えると子ども同士での緊張が高まっていくことは不可避でした。同様のことが職場についても言えます。
この数十年、学校でも職場でも、子どもや大人は「この範囲で生きなさい」という枠組みを強められ、さらにその枠組みは狭まっていったのです。しかし、「この範囲で生きなさい」という枠に合いにくい人もあれば、転校とか家族の変化などそのタイミングでは合わせにくいということもあります。さらに、この枠組みというものはいわば「恣意的」なもので、今の時代、社会だからこの枠組みになっているということに過ぎないのです。
しかし、ひとたびこの枠組みから外れると社会からの風当たりは強く、あたかもこの枠組みに合わなかった自分が人間として劣った存在下のように思わざるを得ない、振舞わざるを得ないという状況に置かれるのです。これが「自己否定感」です。自分をダメな人間だと自分自身で思えば、人の目に晒されることは怖いことです。
残念ながら今の日本にある多くの取り組みは、ある場ではハードに、ある場ではソフトに、けれど詰まるところは社会が認める枠に収まるような指導をするものです。人によってはこの「支援」がうまくいくこともあります。しかし、そもそも合わない枠にハードでもソフトでも合わせるしかないだけならば、絶望的な気持ちにならざるを得ない人も少なくありません。
人は社会の枠に当てはまるために生まれてくるのではありません。どんなに合わなさを感じていても、何とかして社会の枠に自分を合わせようとできない努力をして身を削るように生きている人が少なくありません。自死に追い詰められた仲間も何人もいました。一体、自分を虐げるようにしてまで社会の枠に当てはまらなければいけないのでしょうか。
■枠ありきではなく、人ありきの生き方を模索する
「今の自分が在る」というところから始めてはいけないのでしょうか?「私は今、何を感じ、考えているのか」「私は何を望んでいるのか」そこから始める場所がTDU・雫穿大学です。様々な人が暮らしあう社会で、自分を尊重してもらうには他者を尊重することは必要なことです。今の社会では、お互いに理由も問わずに「こうあるべき」という枠に縛りあい、外れていると批判したりします。自分がこれだけできない我慢をしているのに、その我慢をしていない他者を許せないということかもしれません。では、お互いにその人が感じていること、望んでいることから始めてはどうでしょうか。
今の社会では、組織が組織として守らなければいけないことが、時として人の命より優先されることがあります。「組織は人のためにあるのか」「人は組織のためにあるのか」そのことが問われなければいけません。私たちは、「人の今」から始めたいのです。
■「今の自分から始まる」ということはどうすればできるのか
今の日本社会で生きていくには小学1年生ですら、さらに言えば幼稚園生であっても「こうあらねば」という枠から逃れることは難しい日常があります。物心がつく前から、日本の子どもたちは、自分に向けられている期待を感じ、それに応えるべく日々暮らしています。
フリースクールに来た子どもは「ここではあなたが好きに過ごしていいんだよ」と言われると何をしていいのかわからないということが起きることがあります。常に自分に向けられた課題を感じ取り、それにこたえることに追われれば、自分が何をしたいのか、自分はいったい何を好きなのかということも分かりにくくなることはおかしなことではありません。それは、大人でも同じです。
TDU・雫穿大学の学生たちは「自分は何者かを知りたい」と言います。自分として生きていこうという時、自分が何を好きで、何を大事にしたいのかがわからないと途方に暮れるように感じることがあります。「枠」に従って生きるのは楽に感じられることもあります。次に何をなすべきなのかは明確で、自分で考える必要はないからです。しかし、自分から始まる生き方をしようとすると自分とは何者かを問うことは必然です。それは楽な道のりではありませんが、楽しくもあり、納得も行くものでもあります。
■自分の時間を生きる
そして、自分とは何者かを見つけていくのには決められた時間で結果を出さなくてはいけないという在り方は向いていません。TDU・雫穿大学は4年制とか、2年制とかいう枠はありません。自分に必要な時間を自分や人と対話しながら確認していくのです。また、18歳で入学のようなきまりはありません。いかに生きるべきかということに集中して考えたい時に、そのような時間を持てることが大切だと考えます。自分にとってのタイミングで取り組めるということが重要です。
■自分の特別な関心を見つける
自分が何を好きなのか、関心があるのかを見つけることはそんなに簡単ではありません。好きだったら自然に目に入ってくるとばかりは言えません。いろんな機会があって、何より気持ちに負担がかからずに触れられることはありがたいことです。不登校やひきこもりをしている時に、「ゲームが好き」と言ったら、「プロゲーマーは難しいでしょうけれど、プログラムを作ったり、バグを見つける仕事にならつけるかもしれない。ゲームの専門学校に行ってみない?」というような水のむけられ方はよくあります。それでは、長きにわたって、場合によっては生涯にわたって携わっていきたいと思うような自分にとっての特別な関心には出合いにくくなります。ちょっと関心があったら「それを仕事にすべきでは?」とプレッシャーをかけるのではなく、まずはそのことにその時の自分として触れてみるということができることが肝心です。それは、自分でやりたくなったことでも、ひとがやっていて魅力的に見えたことでも構わないのです。気持ちに負荷をかけず、触れてみたいことに触れられるそんな機会と時間が必要です。
■働くことは望みだけど、焦りたくない
自分にとっての特別な関心が見つかって、たっぷりそのこと三昧の日々を送りたいくなる、そして、そのことでお金を得てみたいそんなことをTDU・雫穿大学ではたいせつにしています。TDU・雫穿大学の学生に好意を持って受け入れたり、機会を提供して下さる会社やNPO、個人のプロフェッショナルの方たちのお力を借りながら、自分に合った働き方を探していきます。そのような時間を過ごしている時に、あるいは、自分にとっての特別な関心を探している時に「働かざる者、食うべからず」は基本だぞ、とばかりに働くべしというプレッシャーをかけられることは少なくありません。このプレッシャーは逆らい難い強さがあります。なぜならば、ほかならぬ本人が自分で稼いで生きていきたいと感じており、そうしなければいけないというような言葉になるくらいそのことを望んでもいるし、当然とも考えているので、このプレッシャーには押しつぶされかねないような重圧を感じます。あまりの重圧に取り組んでいることが手につきにくくなることもしばしば起きます。
■希望としてのワーカーズコープとの有機的連携
ワーカーズコープという雇用・被雇用という関係でなく、お互いに力を合わせて職場を作りあうという方たちに出会って3年余が経ちました。ワーカーズの方たちはご多忙の中、私たちのイベントに来て下さっただけでなく、私たちの講座で自分たちの人生経験を含め、ワーカーズで働くということを語って下さったり、関係を積み重ねてきて下さいました。
今回、私たちはワーカーズの方たちと有機的な連携をしていくという選択をしました。その時に、時間を設定し、ゴールを定めての連携ではなく、お互いに模索していく有機的連携が受け入れられたのです。枠を設定してその目的を達するということをすべて否定するものではありませんが、そのことにしんどい思いをしている人が多いとき、このような連携は希望ともいえるものでした。
東京の片隅の小さな場ではありますが、つながって下さる方々のお力を借りながら、枠に自分を無理やりはめ込もうと消耗するのではなく、「今の自分」から始める生き方をつくる(それをここでは学びと呼んでいます)という試み・実践をご支援いただければ幸いです。志と思いはいっぱいの私たちではありますが、先立つものが足りていません。さらに、私たちのこの実践を同じ思い持つ国内外の人たちにも共有していきたいとも思っています。今までもつながってきた国内外の同じような思いを持つ人たちと手をつなぎながら、自分から始める生き方を必要としている人たちの輪を広げていきたいのです。ご支援の程、よろしくお願いします。