静岡新聞令和3年(2021)2月1日
徳島毎日新聞に見る「中島用水」令和三年(2021)一月二十一日徳島県の阿部行雄さんから新たな資料の発見の連絡があった。「徳島県内でもコロナが発生したと新聞に。当分は自粛的になります。明治・大正時代の新聞に、鳥居信平の氏名が載った記事を一部コピーしています。中島用水も機材名が明記されていて、貴重な内容です。」記事は、徳島毎日新聞。大正三年(1913)四月二十二日付け、百年以上前の新聞になる。「既報板野郡住吉、応神、北島三村七大字二十九字聯合の耕整は面積民有地三百八十九町歩、国有地約二十五町歩計四百十四町歩にして藤岡県技手主任となり其計画を終へ帰庁せるが其設計概要を聞くに吉野川畔住吉大字乙瀬村字井利口より吉野川を水源として揚程十六尺、毎秒四十立方尺の陽水計画にしてポンプは「セントルヒユーガル」式の口径二十二インチを二台、百七十五馬力の汽罐を据え付け口径七尺長さ三十尺の「ランカシア」形の装置なり。而して其の基礎工事は鉄筋及鉄網コンクリート工にして総て最新式の工法を採用せり。地区内水路の延長は南部幹線は三十四町五十間、北部幹線は一里四町余、支線及び小線の総延長二万五千間にして実に本計画は面積に於ても又工法にありても県下嚆矢の揚水事業なり。元来本地方は三村各分立の小計画なりしを県当局の極力斡旋と地方有志の尽力によりて茲(ここ)に水利系統を同一にせる一大事業の成立を見るに至りしものにて事業の成立を見るに至りしものにて実に喜ぶべき事なり。工費概算器械購入費二万円、基礎及建築一万六百円、其他地区内土工費及雑費を合計して二万七千八百八十五円、総計五千八百八十五円を要するも一反歩当り僅に十五円六十九銭六厘の少額を以て将来一反歩僅々一円当りにて充分なる設計なり。尚此の認可を得次第直ちに工事に着手すべく発起人は活動中。」 記事中「ポンプは「セントルヒユーガル」式の口径二十二インチを二台、百七十五馬力の汽罐を据え付け口径七尺長さ三十尺の「ランカシア」形の装置」、「基礎工事は鉄筋及鉄網コンクリート工にして総て最新式の工法を採用」とあり、鳥居信平が導入を決定した機材が確認でき、基礎工事にあたって当時の最新の工法を採用したことがわかる。この当時の最高の機材、最新の工法を行うやりかたはそのまま台湾における二峰圳の工事に受け継がれているといってよい。また「元来本地方は三村各分立の小計画なりしを県当局の極力斡旋と地方有志の尽力によりて茲に水利系統を同一にせる一大事業の成立を見る」とあるのは、「時の県技師鳥居農学士は合同施行の利益を説き、遂に関係者双互の快諾を得」と「事業誌」にある鳥居信平の尽力をうかがい知ることができる。こうした信平の調整能力もまた台湾における現地の人々への工事協力への斡旋として生かされている。
2021年1月21日の徳島新聞に記事が掲載されました。大正期、台湾農業に貢献 鳥居信平の業績に光を 顕彰会、著述集刊行へ資金募る1/21 5:00徳島新聞の電子版にはロックがかかっているので、ワンタイム購入した。記事掲載の御礼にこの程度の負担は喜んで(^^)大正期に台湾の農業発展に貢献した鳥居信平(のぶへい、1883~1946年)は、徳島ゆかりの技術者だった。台湾に渡る前に3年間、農業技師として徳島県で活躍している。鳥居の顕彰会(事務局・神奈川県藤沢市)は、徳島の耕地整理事業や台湾の灌漑(かんがい)事業などの足跡を振り返る「技師鳥居信平著述集」を刊行する予定だ。クラウドファンディングで資金を募っている。鳥居は静岡県袋井市生まれ。東大を卒業して農商務省で勤務。1911~14年には徳島県に配属となり、板野郡中島地区(藍住町)の農業用水建設などに携わった。県内各地で耕地整理や農業用水の普及にも尽力している。その後は、徳島での経験を生かし、日本統治時代の台湾に渡り、14~38年に台湾製糖で勤務。南部に大規模な地下ダムを建設して灌漑設備を広めた。顕彰会代表の地福進一さんは、これまでの調査から台湾での偉業の原点は徳島での技師時代にあると考え、2019年夏に来県。県立図書館などで資料を集めて鳥居の足取りをまとめた。灌漑事業の論考の他、明治大正期の徳島の耕地整理の様子が分かる写真も収録する予定だ。https://www.topics.or.jp/articles/-/476753
令和2年12月23日J:COM の「神奈川つながるNews」で報道されました。J:COM 様に感謝いたします。ぜひ動画でご覧ください。
鳥居信平の業績知って 日本統治時代の台湾で地下ダム建設2021/1/11遠州が生んだ技術者をテーマにした冊子を数多く手掛ける「二宮尊徳の会」(神奈川県)代表の地福進一さん(67)=同県藤沢市=が、日本統治時代の台湾に地下ダムを造った袋井市出身の農業土木技師、鳥居信平(1883~1946年)の著述集を新たに編集した。クラウドファンディング(CF)で資金を募って出版し、国内や台湾の大学、公立図書館へ贈る計画。地福さんは「遠州や台湾など鳥居のゆかりの地の方々に読んでほしい」と望んでいる。 2017年に同会が発行した本「八田與一と鳥居信平―台湾にダムをつくった日本人技師」から鳥居に関連した部分を独立させ、新資料を加えた。「年代順に規則正しく資料を並べ、鳥居本人の言葉で真実を明らかにさせるようにした」(地福さん)のが特徴だ。 鳥居に関しては、台湾に渡る前の徳島県技師の頃の足跡が判明していなかった。地福さんは19年夏に同県を訪ね、図書館に残されていた地元新聞社のマイクロフィルムで当時の鳥居の動向を確認。耕地整理の現地調査や実地設計に携わっていたことが分かった。 また、同県内の関係者の協力を得て、鳥居が1913年9月の徳島県農会報に寄せた論考「旱魃(かんばつ)と水源」なども発見した。地下ダム構想はこの中にうかがえ、地福さんは「台湾に行ってから急に出てきたものでなく、徳島時代に原点があった」とみる。 出版は計800冊を目指す。鳥居の研究をしている台湾の大学教授らに200冊、袋井市や森町の関係者に100冊、徳島県に50冊を届け、残りはCFの賛同者への返礼品とする。地福さんは「鳥居の業績が広く伝わり、人類のため、社会のためという高い志を受け継ぐ技術者が育ってほしい」と期待する。 CFの詳細は運営サイト「CAMPFIRE」内の「台湾に地下ダムをつくった日本人技師鳥居信平の著述集を出版したい」へ。期間は2月末まで。 <メモ>鳥居信平(とりい・のぶへい) 周智郡上山梨村(現在の袋井市上山梨)生まれ。東京帝国大で農業土木を学び、卒業後は農商務省に勤務。1911年に徳島県農業技師となり、14年に「台湾製糖」へ転職した。23年、かんがい対策として台湾南部の屏東(へいとう)県に地下ダム「二峰圳(にほうしゅう)」を建設した。自然環境に配慮された設計で、現在も地域の人々の生活に恩恵をもたらしている。この功績を縁に、袋井市と屏東県の交流が続いている。