ナラケンデビュー前、『プロフェッショナル』とは、試合を頑張るとか楽しむとかの問題ではないと思った。子供の試合だったらまだしも、プロだったら先ずは勝つために練習してきたことを、淡々とこなすことがプロの仕事ではないかと思う。そこに感情なんか必要ない。だからその「なすべき事」を明確にすべきだと思う。で、ナラケンはどうだったのか!?職務を全うできたのか!?実は試合開始早々、ジャブで左拳を痛めてしまってそれが出来なかった。左拳を痛めた場合はサウスポー。というアクシデントも想定してたものの、それをする度胸がなかった。となると最終手段、「頑張れ!」と言うしかなかった(笑)今回「やってきたこと」は殆ど出来なかったけど、今後も「試合ですべきこと」を明確にして練習させたい。
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ナラケンデビュー戦当日、中日新聞岐阜県版に載せてもらった。記者は向川原さん。向川原(むかいがわら)珍しい名前。最初名刺でこの名前を見て、「中学校の時のサッカー部の先生と 同じ名字ですね」と言うと、「その息子です」と言われた。びっくり仰天。当時のサッカー部は厳しかった。先生が来るまではヘラヘラ練習してても、先生の姿を目撃するや否や、ビシッと襟を正し練習しだした(笑)夏でも水を飲むことはタブーとされた。冬は極寒の雪の中で練習した。雪で濡れないよう靴下の上にレジ袋を履くのは必須(笑)ボールは凍ってカチカチでヘディングは頭突きされたような痛さ(笑)でもそんな厳しい練習を三年間やり抜いたことでボクサーとして必要なスタミナや足腰の強さ、精神力が身に付いたのかもしれない。あれから30年、あの頃は不満が多かったけど今となっては感謝しかない。飛騨にいたとき先生と二度ほど飲んだけど、また一杯やりたい。
移転後初の試合は引き分けに終わったと、とある業界で大物の方に報告をした。すると、「おめでとう!」と、驚きの返信を頂いた。引き分けなのに「おめでとう!」って、ちょっと目から鱗が落ちた気分。確かに武士であれば、負けてないということは、生き残ったということ。やはり大物は考え方が違うなと改めてその偉大さを感じた。
ナラケンこと楢木健斗のデビュー戦、勝てませんでした…。でも負けてもいません。ドローに終わりました。「次に繋がる試合だった」「価値のある引き分けだった」と、沢山の方に言われ救われましたが、その言葉に甘んじることなく、今後も勝ちにこだわります。本当にありがとうございました。